16、チームワークは大切なんです
オルクスくんが叫ぶのを聞いて、私とリリーはすぐにそばまで行った。彼にならって通路に顔を出すと、確かにそこには何かがいた。化け物としか表現しようのない何かが。
それは、体高二メートルはあろうかという真っ黒な獣だ。犬とも熊とも言えないような姿をしているが、とにかく牙が鋭く獰猛そうな顔をしているのが見てとれる。赤い目を光らせ、獲物を求めて苛立っているかのように喉をぐるぐる鳴らしている。
「ちょっと何あれ!? 世界観違いすぎん!?」
「嘘でしょ……お初すぎる。制作会社変わったのかな……」
私とリリーは衝撃から立ち直ろうと、小声でそんなことを言い合った。これがゲームなら、一回ブラウザを落としているところだ。
この試験事態が「マジラカ」の中で一度も見たこともないものだけれど、こんな化け物まで出てくるなんて本当に信じられない。リリーの言うとおり、世界観が違いすぎる。乙女ゲームの中にいると思っていたのに、いつの間にかアクションRPGの中にいることにされていた、みたいな気分だ。
「他のチームはみんな退避したのか。……僕たちも道を引き返したほうがいいのだろうか」
静まり返った通路の中、獣の気配が濃厚に伝わってくる。オルクスくんはギュッと拳を握りしめて、ひどく悩んでいる様子だ。
気持ちとしては、進みたいに決まっている。でも実際問題、あんなものを目の当たりにして、すぐに進む決意なんてできるわけない。私たちはあんなのと戦う訓練を詰まされているわけではないし、ましてやまだひよっこの魔法使いだ。
でも、他のチームみたいに今すぐ逃げる決意をしないあたり、オルクスくんはすごく冷静だと思う。やっぱり、甘い人生を生きていないぶん、肝の座り方が違うと思ってしまうのは、オタクの贔屓目だろうか。
「逃げなくていい、と自分は思う。てか、今逃げてもな、今度は他のチームと狭い通路で鉢合わせしてにっちもさっちもいかなくなる」
リリーはメモに記したこの巨大迷路を模した図形に人を表す●を書き込みながら、いかにみんなが逃げた先が混雑しているかを教えてくれた。各通路からの合流地点で、人が団子状になってしまっているようだ。
「でさ、今ね、教師になったつもりで考えたんだけどさ。学校って、授業料を受け取って生徒たちを預かってるわけじゃん。その子たちを怪我させたり大変な目に遭わせたりって、したくないと思うんだよね。だから、あの化け物は生徒で倒せるレベルだと思うし、無理そうなら教師の誰かが来ると思う。というわけで、戦いを挑むのはそこまで無謀なわけでもないと思う」
「な、なるほど」
「それと、化け物になって考えてもみたんだけど」
「え、斬新」
「化け物、この迷路で何してるのかなって。無意味にここにいるわけないだろ。そしたらさ、あいつがいる目的って、生徒がゴールするのを阻止することだと思うんだよ。自分が化け物なら、何人の生徒の邪魔できたかってめっちゃ気にすると思う。というわけで、あいつのいるほうに進めばゴールがあるんじゃないかな」
「おお……!」
リリーはメモにいろいろなことを書き込みつつ、そんなことを話した。教師になったつもりでのところまではまあ理解できたけれど、まさか化け物になったつもりでまで考えるとは思ってもみなかった。
でも、その斬新な考え方によって、勝機が見えてきた。
「ノーマンの分析は正しいと思う。教師たちも、ただ生徒を混乱に陥れるために化け物を放つわけはないし、あいつの強さも知恵で乗り切れる程度のよののはずだ。それなら、逃げるか挑むかも評価の対象のはずだ。僕たちは、挑もう!」
オルクスくんはそう言って、杖を構えて何事かを唱えた。すると、足元の闇から黒いものが触手のように這い出してきて、化け物のほうに伸びていった。
「この魔法はあんまり見せたくなかったんだが……僕がこの影で化け物の動きを封じるから、その隙に二人は出口を目指して走ってくれ」
「オルクスくんは?」
「あとから行く。でも、最悪僕がゴールできなくても二人が無事なら何とかなる。試験の規定に『チームの半数でゴールできなければ失格』とあったから、僕を犠牲にしてでも二人にはゴールしてもらわないと」
「そんな……!」
オルクスくんの決意に私はまだ気持ちが追いついていないけれど、影の触手は化け物へと到達した。触手が音もなくその体を締め上げると、化け物は突然のことに驚いたように咆哮を上げ、身をよじった。
「コレット、行こう! オルクスの頑張りを無駄にするな!」
ためらって動けなくなっていた私の手を引いて、リリーが駆け出した。オルクスくんの脇を抜けて、化け物めがけて走っていく。
化け物は自分を縛る触手から逃れようと、おぞましい叫び声をあげながらのたうち回っていた。近づくにつれその声が空気を揺さぶるのが、暴れる動きが地面を軋ませるのが伝わってくる。
これが自分ひとりだったら、きっと足が動かなくなっていたか、逃げ出していただろう。でも今は、怖いなら走らなければならない。ここで足止めされたり捕まったりするのは、オルクスくんの頑張りを無駄にしてしまうし、このチームの失格を意味する。
化け物は触手に絡まれている苛立ちを通り過ぎる私たちにぶつけようとしたけれど、オルクスくんがそれをがっちりガードしてくれた。
人前では使いたくないという、この強力な闇魔法。すごいものだと、誇っていいものだと、この試験が終わったら絶対に伝えようと私は決めた。
他の誰が何と言ったって、私はオルクスくんの魔法は、魔法使いとしての才能は、素晴らしいものだと思うから。
「オルクス、直進して左に折れて、そのあと右だー!」
走りながら曲がり角に差し掛かったところで、リリーが叫んだ。
ずっと私の手を引いて走っていたからてっきり二人でゴールするつもりなのかと思っていたけれど、どうやらそうではなかったらしい。
「わかった!」
後ろからオルクスくんが答えたのが聞こえて、彼もまたあきらめていないのがわかった。きっと、どこかで追いつく気はあるのだ。それがわかって、私は少し安心した。
それから私たちは走り続けた。
ゴールまでの地図はリリーの頭にあるようで、彼女の足取りに迷いはない。だから私はただ手を引かれるままに走っていたのだけれど、それからしばらくして、迷路全体を揺らすほどの地響きがした。
「な、何だ!?」
「もしかして、オルクスくんが化け物に負けた……?」
立ち止まって、リリーと二人で顔を見合わせた。何が起きているか全くわからないけれど、いいことが起きている想像は全くできなかった。
「い、行こう! オルクスに何かあってたとしても、とりあえず自分たちがゴールしなきゃ!」
ためらってから、リリーは再び私の手を引いて走り出そうとした。でも、私はそれを拒んだ。
「ごめん、できない。オルクスくんを見捨てるなんてやっぱりできない」
「そんなこと言ったって、あいつが頑張ってくれてるのを無駄にするのか?」
「違う。でも、オルクスくんはためらいなく自分を犠牲にしてくれた。きっとそういうことに慣れてるから。その気持ちを、少しくらいは顧みたいの。……あとで二人で行くから、とりあえずリリーは行って」
リリーが怒ったような困ったような顔をしつつ動かないのを見て、私は急いで杖をとりだした。
やりたいことは決まっている。でも、どんな呪文が適切なのかわからない。
だから、とりあえず叫んだ。
「蔦、伸びて、オルクスくんを守って運んできて!」
私が叫ぶと、杖から勢いよく緑が飛び出していき、びゅんびゅんと風を切るように伸びていった。蔦は何本も伸びていき、やがて幾本もの細いロープのようになって進んでいく。そして、しっかりとした手応えを掴んだ。
「うわっ」
遠くから、驚いた声が聞こえた。オルクスくんだ。うまく捕まえることができたのがわかったから、私は一本釣りのつもりで両足を踏ん張った。
「そういうことなら、協力あおいでよっ」
「ありがとう!」
オルクスくんと蔦のロープの重さに負けそうになっていると、リリーが気がついて腰を支えてくれた。女子とはいえ二人分。これで何とか持ちこたえられるはずだ。
「オルクスくん、来てー!」
「わかった!」
私が叫ぶと、離れたところから黒い触手が伸びてきた。影の触手が私の体に絡まると、蔦が戻ってくる速度が増した。
やがて、通路の向こうにオルクスくんの姿が見えた。ものすごいスピードで近づいてくる愛しの推し――これが平常時だったらきっと私は狂喜乱舞して、鼻血を出すか吐血していただろう。
でも今は、非常事態だ。オルクスくんがすぐそばまでやってきてシュタッと着地したときには、にやけそうになるのを抑えて、私は身構えた。
「すまない、対して抑えていられなかった。どうも、ひとつの属性で攻撃しつづけていると耐性がつくらしい。たぶん、全部の属性で同時攻撃が正解だった」
「じゃ、うちのチームはどのみち無理じゃんか」
「そういうことだ。――逃げろ!」
オルクスくんの声を合図に、私たちは走り出した。今度は三人揃ってだし、ゴールはもうすぐだ。
影の触手の戒めを解かれた化け物は、迷路の内部を震わせながら追いかけてきているようだ。地面がどんどこ揺れて走りにくいことこの上ない。でも、追いつかれるわけにはいかないのだ。
リリーの導きで走って、走って、ようやく最後の直線コースに差し掛かると、光が見えてきた。出口だ。
それなのに突然瓦礫が飛んできて、それがリリーを真横に張り飛ばしていった。
「わっ! ごめんなさい! 化け物かと思って、あたしったらうっかり……」
瓦礫が飛んできた方向を見ると、そこにはシャニアと、その後ろに揃った攻略キャラたちがいた。どうやら、私に声をかけていた彼らは、ヒロインであるシャニアとチームを組むことで追いついていたらしい。それは正規のシナリオっぽくていいのだけれど……
「すまない。とりあえず壁があれば壊して進み、何か不穏な気配があれば魔法でふっ飛ばして進んでいたものだから」
ネプトがそういって代表して申し訳なさそうに謝ったけれど、シャニアをはじめとしてメンバーを見る限り、ここまでかなり乱暴に進んできたのだろう。
逃げずにここまで進んできたのはうちと同じとはいえ、やり方が大違いだ。
「出口ならそこだ。出るなら先にどうぞ。うちは、不幸にも瓦礫の餌食になったノーマンを運ばなくてはならないからな」
「あ、そうだった! お先にどうぞどうぞ」
オルクスくんがシャニアたちを迷惑そうに一瞥してリリーに駆け寄るのを見て、私も慌ててついていった。
可哀相なことに、リリーはすっかり伸びてしまっていた。
意識のないリリーの脇をそれぞれオルクスくんと支え、私たちは出口を目指した。
どうなることかと思ったけれど、何とか試験を突破したのだ。オルクスくんに頼りきりではなく、それぞれが自分のできることをやって。
「やったね、私たち」
オルクスくんに言うと、彼は不敵な笑みを返してくれた。
「僕はわかっていた。コレットはちゃんとやれるって。ノーマンがすごい能力を持っていたのは、意外だったけどな。とにかく、三人でやったんだ。きっと誰も、僕たちがゴールできるなんて思ってなかっただろうに」
「そうだね。……やりとげたね」
巨大迷路を脱して先生たちに拍手で迎えられると、私もオルクスくんもぐったりと地面に膝をついた。
もうヘトヘトだ。こんなに疲れることなんて、そうないと感じるくらい。
でもそれは、決して嫌な疲労感ではなかった。