10、イベントは起こすものです
オルクスくんとシャニアを食堂で引き合わせてから何日か経った日の夜。
みんなが寝静まったのを確認して部屋を抜け出して、私とリリーは寮の屋根の上で作戦会議を開いていた。ふたりとも両手にマグカップを持っている。カップの中身はアルコール……と言いたいのだけれど、飲酒で退学になるなんてあってはならないから、薬草学の授業で作ったハーブティーだ。飲まなければやってられない、そんな気分だった。
あれから何日も二人を見守ってみたところ、関係が進展することはなかったようだ。顔見知りにはなったし、私との共通の友人ということで授業が同じになれば会釈くらいはするみたいだけれど。
何というか、壁がある。やっぱり、シャニアがオルクスくんに対していい感情を持っていないのが問題なのだろう。
これはきっと、このまま放っておいても状況が改善することはないだろうということで、リリーと緊急会議をすることになった。
「シャニアってさ、もっとこう、誰にでもガンガン行くタイプだと思ってた。攻略対象ともどんどん接点を作っていって、コミュ力モンスターなイメージでプレイしてたんだけど」
「いや、コミュ力モンスターなのは間違いないんだろうけど、関心が人間に向いてないっていうか。これが運命から解放されたキャラクターなのかって感じだよな」
「じゃあ、これが本来のシャニアってこと……?」
入学式のフラグを達成しない様子から、私はてっきりシャニアは何かおかしいのではないかと思っていた。でも、リリーの言うようにシナリオの強制力がなければシャニアの性格や行動なんてこんなものだと言われてしまえば、そんな気がしないこともない。
天真爛漫で無邪気なヒロインは、シナリオから解放されたらしたいことだけする自由人だった――うん、なんの違和感もない。
「テネブラン氏だけじゃなくて、他の攻略対象とも全然人間関係を築いてないっぽいんだよね。別にフラグは立てなくていいけど、全く接点なしってのは、世界観を保つためによくないと思うんだよね。もし創造主がいるとしたら、主人公ってのはその世界のメインパーツとして据えてるはずだ。そのメインパーツが働かないなら、他の歯車も動かないわけでしょ。これは、放っておいたらだめなんだろうな」
「う、ん……?」
リリーの難しい話を私はすぐに理解できず、首を傾げるしかなかった。
前世でただのプレイヤーだった私と、作り手側だったリリーとの間では、こういう認識というか考え方の違いがある。
「だからね、このまま自然に任せても無理だろうと。それなら、こちら側が何らかのイベントを仕掛けて、それで人間関係発展させたり、好感度アップをはかってもらいましょうよってこと。題して『ティーパーティーで仲良くなっちゃいましょう』だな。あ、この『なっちゃい』の『ちゃ』がティー(茶)にかかってるから」
わかりやすく説明してこれからの作戦について教えてくれたのはいいものの、あまりのタイトルセンスのなさに私はすぐに返事ができなかった。でもこのダサさ、すごく懐かしい。
「あ、うん。いいと思う。『マジラカ』の季節のイベントって、そういうダサいダジャレタイトル多かったよね……」
「そのダサいダジャレタイトルの季節イベントのシナリオ書いてたの、自分なんだけど! 転生してプレイヤーにディスられるとは思わなんだわ!」
「ご、ごめん……」
まさか「マジラカ」の季節イベントのシナリオを担当していたのが前世のリリーだったなんて知らなかったから、うっかり失言してしまった。でも、サブライターをしていたというのだから、考えてみればわかったことだった。
「た、タイトルはちょっと変わってたけど、私は季節のイベント、好きだったよ。恋愛だけじゃなくて、キャラ同士の掛け合いとか見られて、すごく楽しかったし。本編ないからオルクスくん推しとしては公式からのお恵みだったわけだし」
リリーの機嫌を直そうと、私は「マジラカ」のイベントシナリオの感想を口にした。でもこれは別にお世辞でもなんでもなく、本当のことだ。オルクスくん推しの私は、ずっとイベントを開催していてほしかったくらいだ。
「……そうだろ? てわけで、そのお恵みイベントをやりましょうって話だよ。テネブラン氏とヒロインの距離、それから他のキャラクターたちとの関係が一気に進展するのが期待できる」
「お茶会って、どんなことするの?」
リリーの機嫌がよくなっているうちに話を進めようと、私は水を向けた。
「ホストはコレットと自分。お菓子を焼いて、お茶を用意して、必要メンバーを招待する。ディーネさんあたりに声をかけてお願いしたら、攻略対象キャラも呼び出せるはず。ディーネさんは世話好きで情報通だから、こういうときに動かすのにこれほど適した人材はいないだろ」
「おお……なるほど。ということは、招待する人選はディーネさんにお願いして、私たちはお菓子を焼けばいいってことね」
「そういうこと。製菓スキルに自信がないなら助っ人を呼べばいいし、人選に関しては『○○くんとお近づきになりたいの!』とか言ってたらディーネさんが頑張ってくれるはず」
「……この計画、完璧なのでは?」
リリーがまさかこんなに頭が働く人だとは思っていなかったから、私はただただ驚いていた。感嘆する私に、彼女はドヤ顔だ。
「シナリオライターとしての腕が試されるのは、こういうときだろ? 自分、何でこの世界に転生してんだろと思ってきたけど、このときのためだったんだなって」
いつもは眠たげなジト目なリリーの目が、このときはパカッと開いて輝いていた。開眼だ。
この世界に転生してきた私の願いは、オルクスくんを幸せにすることだ。闇落ちさせない、破滅させない、できたら健やかに魔法を学んでほしい――それが私の願いだけれど、リリーと一緒なら叶えられそうな気がしていた。
「頑張ろう! 絶対にお茶会を成功させよう!」
気合いたっぷりに迎えたお茶会当日。
すでに私とリリーは疲れ果てていた。
というのも、お菓子の用意が思いのほか大変だったのだ。
肩肘はらない気楽なお茶会とは言え、オルクスくんやネプト・ウォルターなど呼ぶ何人かは貴族の子息だ。あまりに庶民すぎるものはどうかということで、量産できて見栄えがそこそこいいお菓子を作らなければならなかった。
ということで採用されたのが絞り出しクッキーと木苺のタルトとパウンドケーキだったのだけれど、ひとつひとつがそこまで手間がかからないものでも、量を作るとなると結構な労力だった。
ホストの私たちも含めて参加者は二十人ほど。その人数に行き渡る数のクッキーとタルトとパウンドケーキとなると……本当に大変だったのだ。
しかも、ここは前世のテクノロジー溢れる日本ではなく異世界。お菓子の材料は取り寄せられたけれど、電動ミキサーなどの便利道具は手に入らず、すべて人力だった。
リリーは「手作りお菓子を女の子に軽々しく要求する男がいかにクズかわかった」などと言いながら、バターを混ぜる作業を頑張ってくれていた。
ホスト二人はヘロヘロになっているものの、お茶会は好感触でスタートを切ることができた。
人を集めるのをお願いしたディーネさんは快く引き受けてくれ、本当にネプト・ウォルター、イグニス・フレイ、ソリ・ガイア、ベント・ウィンディア――つまり、攻略対象キャラ全員を連れてきてくれた。
そこにオルクスくんとシャニア、ディーネさんと、イケメンな攻略対象キャラたち目当ての女子が何人か、それとお菓子と女の子たちを目的に来た男子たちという感じのメンバーでお茶会は始まった。
「学院はこういった生徒主催の交流会を歓迎している。だから、呼んでもらえて嬉しいよ。君の癖のある魔法にも興味があるしね」
「あ、ありがとうございます」
みんなにお菓子とお茶がきちんと行き渡ったか確認していると、ネプトに声をかけられた。水色がかった銀髪と深い海みたいな青い目が、間近で見るとまぶしかった。
今日は椅子を設けず、立食パーティースタイルにしてみた。そうすると固まって話し込まずに流動的に交流ができるだろうと考えたのだけれど、ネプトはじっと私に張り付こうとしている。
何が目的なのかわからず、私は薄く微笑むことしかできない。
「ま、魔法はまた今度〜」
「そうだな。同じ学年だし、私は魔法が得意だからいつでも頼ってくれていい」
他の人たちにお茶のおかわりを注ぎにいくふりをして、私はティーポット片手に退散した。
「甘いもんを食べる会って聞いてたからどんなもんかと思ってたけど、うまいな」
どこへ行こうかキョロキョロしていると、イグニスがそう声をかけてきた。片手にタルト、もう片方の手にはパウンドケーキを持っており、彼がお茶会をエンジョイしているのがわかる。
「気に入ってもらえたならよかったです」
「でも、次は肉を食う会やろうぜ。火起こしなら、俺がやってやるからさ!」
「あ、ありがとうございます。それなら今度は、ピクニックも兼ねた肉焼き会を考えてみますね」
「おう、頼むな」
イグニスはあっさりしたもので、主催の私に挨拶しに来てくれただけみたいだ。粗野に見えるけれど、さすが裕福な家の出だ。さりげない社交スキルがすごい。ちゃっかり、次の会の約束までしてしまった。火のように赤い髪や鋭いつり目が怖い印象を与えるものの、やはり攻略対象のひとりという感じだ。
もうひとりの主催であるリリーはどうしているかと思ったら、ベントに捕まっていた。何か言われているらしく、ティーポットを手にふるふる震えている。
「ウィンディア先輩、楽しんでますか?」
震えるリリーを救おうと近くまで寄っていくと、すぐに気がついたベントが微笑みかけてきた。
「俺に興味があったっていうのは、君かな? 直接声をかけられないからお茶会を開いちゃうなんて、シャイで可愛い子だね」
素早く距離を詰めてきたベントは緑の髪をさらりと耳にかけ、色っぽい声で囁く。さすが「マジラカ」のセクシー担当と言われているだけあるなと、私はこっそり距離を取りつつおののいた。
「私ももちろん先輩に興味がありますけど、私だけじゃなくてここにいる女子みんなですよ」
「うんうん、そうだよね。俺はみんなのものだものね。でも、今だけは自分だけのものにしたいって独占欲を出してもいいんだよ?」
長い睫毛に縁取られた艶めいた目にウインクされ、私はどぎまぎした。はっきり言って好みのタイプではないけれど、やっぱりきれいな顔にすぐ近くで見つめられるのはドキドキしてしまう。これは、私が前世の記憶なしのただの十代少女だったら、きっとまずかった。
これは危険な恋泥棒だ。
「あ、あの! 他の方にもお茶を注いで回りたいので、失礼します!」
私がベントの色気にやられてしまっていたところを、横からリリーがぐっと腕を引っ張って助けてくれた。
「コレットがあいつの色気にやられてどうするんだよ。フラグ立てなきゃなんないのはそこじゃないだろ」
「ご、ごめん」
ベントから十分に距離を取ったのを確認して、リリーが語気を強めて言った。かなり焦っているのを見ると、傍で見ても私の様子はまずかったのだろう。
「まあ、自分も危なかったんだけど」
「あんたもかい」
二人してベントの色気の恐ろしさに震えていると、背の高い人物が近づいてきた。
ソリ・ガイアだ。短く整えた茶髪に茶色の目という、「マジラカ」の世界では地味めの容姿であるものの、とにかく背が高くガタイがいい。静かで穏やかな人物ながら、こうして近づいてこられるとやっぱり威圧感を覚える。
「今日は、このような会に呼んでくれたこと、感謝する」
「いえ、こちらこそ、来てくださってありがとうございます」
私とリリーがややかしこまって見上げると、ソリも落ち着かなさそうに会場である教室内に視線をめぐらせた。
「その、こういった会には、花があるとより気持ちが華やぐのではないかと思う。俺は、日頃から花の世話をしているから、言ってくれれば手配する。次に何か集まりに呼んでくれるときには、ひと声かけてくれ。会場の飾り付けから手伝わせてもらうから」
「は、はい。ありがとうございます」
言いたいことはそれだけだったのか、ソリは言うだけ言って去っていった。残された私とリリーは顔を見合わせて、それからなぜか頷きあった。二人とも何か同じことを感じたのだ。
「……あの人はあの人でやばいな。ゴツいのにお花に優しいとか、自分が無垢な女児だったらハート持っていかれてたわ。あいつ、絶対に初恋泥棒だ」
「何ていうか、『マジラカ』の良心って感じだもんね。プレイしてた頃も、オルクスくんの次に好きだったもん」
さっきベントに感じたのとは違う胸のときめきを感じてしまい、私は何だかドキドキしていた。リリーもどうやら、ソリの魅力に驚いているらしい。
「そんなことより、どうなることかと思ったら、あっちはうまくいってるみたいだな」
リリーが示したほうを見ると、そこにはオルクスくんとシャニアがいた。周りにはディーネさんや、他の生徒たちもいる。
ぎこちない笑みを浮かべながらも、オルクスくんは周囲と談笑していた。
あのオルクスくんが! 毎度毎度どの√でも闇落ちして、この世界の仇としてシャニアたちに討たれるオルクスくんが! 「マジラカ」の悲劇とシリアスを一心に背負わされるオルクスくんが!
推しの孤独ではない姿に、私の胸はいっぱいになった。いろんな感情が押し寄せてくる。
「ぼーっと立っていないで、こっちに来たらいいだろ」
私とリリーに気がついたオルクスくんが、ちょっとぶすっと顔をしてこちらに手招きした。私は溢れそうになった涙をぐっと飲み込んで、笑顔を浮かべてオルクスくんのもとに行った。
「どう? 楽しんでる?」
「お菓子はおいしいし……こうやって人と話すのも、悪くないと思う」
「そっか。それならよかった」
拗ねているような困っているような顔をしているのを見て、オルクスくんがどんな顔をしたらいいのか知らないのだとわかった。
こんなふうに大勢ではしゃぐことなどなかっただろうし、人の輪に入れてもらうこともなかったはずだ。だからきっと、こういう場でどう振る舞えばいいのか知らないに違いない。
それなのに逃げ出さずに、この場で他者と交流しようとしている姿が、私は愛しくてたまらなかった。これはもしかしたら、親心に似ているのかもしれない。
推しの成長、愛おしい!
「テネブランくんさ、コレットに感謝しないとね。こんな機会でもなければ、人と話すことなんてなかったでしょ。こうやって人に囲まれて親しくしてもらうことも」
オルクスくんが自分の感情を持て余し、その姿に私が感激していると、近くにいたシャニアがそんなことを言った。
オルクスくんがひとりきりにならないようそばについていてくれたことには感謝するけれど……正直この発言には、「うわぁ」と思った。
これは、ないな。あまりにも上から目線すぎる。
オルクスくんが人を避けているわけではない。みんなが偏見で差別するから、自分と親しくする人が周囲に傷つけられないように距離を取っているだけだ。
それなのに、自身の中にもオルクスくんに対する偏見を持っているシャニアが今の発言をするのは、無神経すぎる。これがヒロインならではの無邪気さなのだとしても、嫌だった。
オルクスくんがどんな反応をするのか気になったのだけれど、意外なことに彼は落ち着いていた。気分を害した様子もなく、むしろ笑顔だった。
「そうだな。プロセルのおかげで、毎日楽しい。自分ひとりだと、こんなふうに人と過ごそうだなんて考えもしなかったから。ありがとう」
オルクスくんは私のほうを見て、はにかみながら言った。クールな美少年が、はにかんだのだ。
神が与えたもうた美しい容姿のオルクスくんは、無表情でも、怒っていても、拗ねていても素敵なのに、こんなふうに照れたみたいに笑ったら大変だ。私がもし詩人なら大長編の詩を書いているし、画家なら大作を描き上げるだろう。
でも、私はただの凡人だから、この溢れ出る喜びを表現する術を持たない。そのせいで、情緒が不安定になる。
「……こちらこそ、ありがとうだよぉ」
私は周りがドン引くのも気にせずに、オルクスくんを拝んだ。生まれてきてくれてありがとう。
やっぱり推し、最&高。