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1、すべて思い出したのです

 荘厳な石造りの渡り廊下で人とぶつかって、転んで頭を打って、そのとき私はすべてを思い出した。

 ここが、前世大好きだった乙女ゲーム「マジカルラブアカデミー」通称「マジラカ」の世界だということ。

 しがない会社員に過ぎない私は不幸な事故に巻き込まれて死んで、この世界に転生したということ。

 そして、今まさにぶつかった人物こそ、「マジラカ」の中で私が愛してやまなかった推し「オルクス・テネブラン」だということを――。



「おい、大丈夫か?」

「ふゅえぇ……」


 すっ転んで石の天井を見ている私の視界に、べらぼうに美しい顔がフレームインしてきて、驚きと歓喜で名状しがたい悲鳴が漏れた。

 目の前にいるのは、つややかな黒髪に紫水晶のような瞳が目を引く美少年。肌なんて白くて見るからにすべすべで、ビスクドールのようだ。

 スマホの画面越しに見ても美しい造形だった人は、こうして同じ次元に立つとその美しさをより一層感じる。やばい。とにかくきれいだ。

 オルクス・テネブラン――我が愛しのオルクスくんは、その美しくも気難しそうな顔にやや心配する表情を浮かべ、私をのぞき込んでいた。

 そのことを理解して、転生したことに改めて気がついた。


 最後の……最期の記憶は、真っ赤な炎と真っ黒な煙に包まれた世界だ。勤めていた会社があったビルで火災が起きて、私は死んだのだ。

 炎と煙に巻かれる意識の中で、私は必死に祈った。

 こんなところで死ぬのは嫌だ。まだ生きていたい。もしこのまま死んでしまうのなら、どこか別の場所で生き直させて。どうせならマジラカの世界、サンドゥヒロ魔法学院に通う生徒としての人生を――と。

 死ぬ間際に願うのがそんなことかと他人には思われそうだけれど、私にとってマジラカはそのくらいどハマりしたものなのだ。


 「マジカルラブアカデミー」は、スマホで遊べる乙女ゲームである。

 もともとは謎解き脱出アドベンチャーノベルゲームを制作していた会社が、脚本家・イラストレーターともに人気の作家を連れてきて企画したものだ。

 この会社の謎解き脱出ゲーム自体がノベル部分の重厚さが受けていたということで、乙女ゲームとの相性はよかったのだろう。日頃この手のゲームを遊ばないユーザーたちの間でも、そこそこ話題になった。

 とはいえ、若干イロモノ臭がする作品だったことは否めない。


 「マジラカ」は孤児であるヒロイン、シャニア・ヒロイスが魔法の才能を見出され、名門校サンドゥヒロ魔法学院に入学するところから物語がスタートする。

 そこで彼女はたくさんの人々――ようは攻略対象である魅力的な男子たち――と出会い、数々の苦難を乗り越え、立派な魔法使いになっていく。

 ここまではよくある乙女ゲームのシナリオなのだけれど、問題はヒロインであるシャニアの性格だ。

 彼女は孤児院出身ゆえに世間の、特に貴族出身の生徒たちの考え方や常識とかみあわず、そのためトンチキな行動をとる。

 トンチキなヒロインゆえに、攻略対象の好感度が上がったときに発生するイベントも珍妙で、畑で泥だらけになって芋を掘ったり、森へ昆虫採集に出かけたり、湖で素潜りの最中に精霊に出会ったりする。

 そんな、乙女ゲームとしてどこで胸キュンするべきかよくわからないシナリオながらもぐいぐい引き込まれ、ユーザーを虜にしてしまうのが「マジラカ」の魅力だった。

 こんなふうにトンチキなシナリオのわりに攻略対象たちのバックボーンはそれなりに重く、ヒロインのシャニアに出会うことが彼らにとって救いになっていくのだ。

 そして、この世界の中で絶対的不憫、「マジラカ」のシリアスを一身に背負わされた存在が私の推し、オルクス・テネブランなのである。



「変な声を出して……もしかして、どこか痛いのか?」

「い、いえ……大丈夫です……うぅ、生きてるぅ……」

「な、何だ!?」


 オルクスくんは、私が変な声を出してしまったことを本気で心配してくれているようだ。

 彼はその冷たい容姿や生い立ちから誤解されがちだが、本当は優しい人なのだと私は知っている。

 オルクスくんの立ち位置はヒロインサイドといつも対立するもので、言ってみれば悪役だ。しかし、シナリオの中で垣間見える言動から、彼が思いやりに溢れる人格者で、寂しがり屋なのに出自ゆえに人と関わろうとしなかったことがわかってくる。

 わかってくるのだけれど……いつだってオルクスくんはヒロインによって倒されるのだ。

 サンドゥヒロ魔法学院に封じられた、古の魔物にまつわるものとして。

 ある√では、さらなる魔力を求めて魔物の封印を解いて、魔物に依代とされてしまったために倒される。

 またある√では、鬱屈した精神状態につけこまれ、封印が解けかけていた魔物に憑依されてしまい、倒される。

 別のある√では、魔法を突き詰めて探究していった結果禁忌に触れ、魔物となってしまい倒される。

 そしてさらにまた別の√では、学院に謀反を起こそうと生徒たちを集めて洗脳し秘密結社を組織して、魔物を崇めていたために倒される。

 とにかく魔物、魔物、魔物……魔物絡みでオルクスくんは破滅するのだ。

 というのも、この学院に封じられた魔物――魔法を追い求めるあまり魔に墜ちた魔法使いが、彼のご先祖だからなのである。


 不憫オブ不憫。業を背負いし美少年キャラ。それがこの、オルクス・テネブランという人物だ。

 そして何より不憫なのは、攻略対象のひとりでありながら、√配信前にゲームのサービスが終了してしまったことだ。

 彼が不憫なのは当然だけれど、彼を推している私たちファンだって可哀想なものだろう。

 オルクスくんが酷い目に遭うとわかっていても他のキャラクターの√をプレイしたのは、信じていたからなのに。

 いつか光が、ヒロインであるシャニアが、この闇に彩られた憐れなオルクスくんを救ってくれると。

 彼こそが、「マジラカ」の真打ちであると。

 それなのに、前座だけで終わってしまうなんてあんまりだ。

 サービス終了、いわゆるサ終とは、もう二度と推しに会えないことを意味する。

 買い集めたグッズやら何やらは手元に残るけれど、もうLive2Dで動く推しも、推しのボイスも、味わうことができなくなるということだ。


 「マジラカ」は、オルクスくんは、しんどい社会人生活を送っていた私の癒やしだった。生命の泉だった。どんなに疲れ切ってカラカラになって帰ってきても、寝る前にオルクスくんに会えば次の日を生き抜くことができた。オルクスくんに会うために、各√の彼が出てくるシーンの近辺で細かくセーブして、それを繰り返し見るのが日課だった。

 だから、サ終したあとの、彼を失ったあとの私は生ける屍となっていた。

 他に癒やしを探そうと別のゲームに手を出してみても、気がつけば彼と似た要素のあるキャラクターを探している。彼に容姿が似ているキャラクターを見つけると、ついそのゲームを始めてみるということもあった。

 でも、所詮それはオルクスくんではない。よくてジェネリックオルクスくんだ。薬なら後発品でもいいかもしれないけれど、推しに関してはだめだ。先発薬オンリー、純正オンリー。紛い物では、この心は満たせない。


 だから、だから……。

 今目の前にオルクスくんがいることが、彼と同じ世界で息をしているということが、とてつもなく嬉しい。



「おい、お前……泣いてるじゃないか。やはり、打ちどころが悪かったのか?」

「違いますっ、大丈夫です……本当に、ただ感激してしまっただけなので……」

「感激って……」


 制服のポケットからレースのついたハンカチを取り出して涙を拭うと、オルクスくんはドン引きした目で私を見ていた。

 確かに、ぶつかって転んで自分を見て泣き出す女がいたとしたら、ドン引きしてしまうのは仕方がないことだ。それでも立ち去らないあたり、やっぱりオルクスくんは優しい。


「お前も新入生だね。入学式にこんな思いをさせてしまい、申し訳なかった。名前は?」


 オルクスくんはそう言って膝を折って、私に手を差し伸べてくれた。紳士だ。物語が始まったばかり、入学式の段階だからまだすれていなくて、こんなにわかりやすくいい子なのだろうか。


「こちらこそ、よそ見をしてしまってすみません。私は、コレット・プロセルと言います」


 私はオルクスくんの手を取って、立ち上がらせてもらいながら名乗った。

 名乗っておいて、思った。

 誰だ。誰なんだ。聞いたことないキャラクター名だ。

 どうやら私が転生したのは、ゲームには登場しないモブのようだ。


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