棕梠
奇怪短篇
暑い風を受け男は巨大な牛のような2輪にまたがって国道をひた走った。国道を逸れて爆音を轟かせながら辺鄙な街に寄り添うよに並ぶ低い家並みを一気に駆け抜け列車の通過する踏切で停車した。
駅に吸い込まれてゆく列車の音に消されていた、牛のようなバイクの音がドドッドドッと再びあたりに響き出し遮断機が上がり始めると男は一気にアクセルを吹かしてただっ広い駅前のロータリーに入った。駅前広場に植えられた、温暖な気候によって異常な程高く育ったシュロの樹が男のバイクのアイドリングにあわせ踊るように天空の葉を振る。それまで手にアイスを持ちながら談笑していたクラブ帰りの女子高生が振り向き目を反らしまた談笑を始める。
駅前広場の駅の向かいにある古いミシンの看板のある白い建物が男の目当てだった。2日後その古い蛇の目ミシンの看板は男の手によって取り外されて5日後には見事なカリフォルニア風の白い店舗に生まれ変わった。古いミシンの看板跡は『HEY MAMA』に塗り替えられた。
◆客は全く来なかった。何を考えているのか、何をしたいのか全くわからない男だった。こんな辺鄙な岬の先端部の居抜きで借りた店舗に残されたガラスのシヨウウインドウに男は飾り付けを始めた。
古い70年代の髪をポマードで固めたロックンロールバンド スマイリーズのポスター、周りにバドワイザーの空き缶を並べグリーン色のクシと黄色い香油のヘヤーポマード、先が尖った革靴そして自分が作曲した曲が入ったドーナッツレコードも時計のように丸く陳列した。そのレコードを男は来る日も来る日も誰一人お客の来ない店内で流した。その曲はラテン風味の古いリズム アンド ブルースを思い起こさせるビートで駅前ののっぽなシュロの葉が揺れる度に店内に差し込む木漏れ日とマッチングして男は一人腰を卑猥に降り木の床をきしませ踊り陶酔した。
雨の日も風の日も男は定刻に巨大な牛のような単車でやってきて店を開けた。駅前広場の客待ちのタクシー運転手や隣の喫茶店の女店主とも挨拶を交わすようになっていた。年配のタクシー運転手の中にはこのおかしな男の売る香油のポマードを懐かしそうに買い、まだ若い運転手らに当時自分らのした髪型を駅のトイレの鏡で整えて自慢げに教えたあげく、結局昔のおんなの話になり、真夏日の中で掴み合いじゃれあうのだった。
ただ辺鄙なこの土地の人々は『がんばりよ』と声をかけるが全くこの男の事を理解できずにいた。ある日の昼下がりホコリの匂いのする店内を覗きこむ揺れる小さな影がある。まだ幼い女の子がシヨウウインドに顔をくっつけ小さい両手を顔の両側にくっつけ中を覗き込んでいた。息をするだびにガラスが曇り唄を歌っているのか可愛い声が店内にも聞こえてくる。やがて女の子は何やら笑い声を立てながら後ろから追って来たお祖母さんに抱きついて手をつながれ駅の改札の方へ消えて行った。
空が急に真っ暗になり突然夕立がやってくる。暑く乾いたコンクリートを打ち続ける雨の匂いがたまらなく好きだった。そんな時男は子供のような叫声を上げ続け駅前広場の人達を驚かせた。しかし男はたまに恐る恐る店のドアを開け2,3人でやってきては店内を見渡し何も手をとらずにまた店を出てゆく高校生に優しく笑顔を向けるだけで語りかけはしなかった。
いつもこの店を見下ろしやがていつのまにかこの男を見守るようになったシュロの大樹だけが何故こんな街にやってきてこんなおかしな店をやる理由など問わずに優しく撫でるような木漏れ日をザワザワ揺らし続けていた。
ある日を境に男は店にやって来なくなった。店の不思議なホントに少量しか並んでいなかった陳列品もそのまま、『HEYMAMA』は閉店した。色の白い、切れ長目を持つ変な男だった。