あの子
1
私たちは彼女の秘密を知った。
とても他人に話せるものではない。
だから私たちは決めたのだ。なにがあっても決して口外しない。
たとえ知りたいと迫られても堅く口を閉ざそうと三人で誓った。
彼女のためであり、私たちの責任でもある。
私、寺海サトエはⅠ中学校に転入した。入学ではない。父親の仕事関係でこの地域に引っ越してきた。ちょうど学年があがる時期と重なって入学式に参加したものの、知らない顔ばかり。
引っ越しを繰り返してきたから新しい環境に抵抗はなかった。しかし、友達はうまくいかない。私は話が合わないと距離をとってしまう癖があり、クラスに馴染むまでいつも時間がかかった。今回もそうだろうとため息をつく。
ふと、ひとりの女子と目が合う。初対面だから名前はわからない。見た目も顔つきもお嬢様だ。あたまがよさそうである。
私から視線を逸らした。たぶん、彼女とはあまり仲良くなれないだろう。お嬢様な雰囲気が私を突き離している。庶民は近づかないほうがいい。
校長先生の長い長い話が終わり、閉式する。
新しい教室に新しい自分の席。窓の外もはじめて目にする景色だ。校舎、運動場、体育館、道路を挟んだ向こう側にテニスコートがあった。
引っ越しばかりしているせいか、いま見ている光景もいずれ見られなくなるなんて、マイナスなことを考える。
毎回そうなのだ。せっかく慣れてきたのに、両親からタイミングを見計らったように引っ越しを告げられる。学校の勉強は参考書や問題集を買い漁って追いかけるけれど、友達はそうはいかない。お別れをして、涙を流して、次の家に向かわなければいけない。手紙のやりとりをしたくても、時間は残酷で、お互い友達だった頃の記憶と関係が薄れて手紙がこなくなる。送らなくなる。
この中学校でもそうかもしれない。友達ができても、私は完全に心を開かないだろう。別れのときがしんどいのだ。
ぼんやり窓の外を眺めていたら隣の席に座る女子が話しかけてきた。
「ねえ、名前教えて」
「寺海サトエ。あなたは?」
「井ノ原ミオだわさ! よろしくね」
小柄、細くて運動をしている人の身体つきだ。だわさ、というおかしな語尾とのギャップに私は困惑する。
「あ、えーと、よろしく。だわさって?」
「流行らそうと思うの。かわいいでしょ、だわさ!」
インパクトが強い。
でも、謎の語尾が私とミオを近づけてくれた。席が近くて、帰り道も一緒だったとわかってからはさらに意気投合した。
入学式からしばらくして、生徒会選挙が開催される。中学三年の先輩五人の立候補者から生徒会長、副会長、書記、会計、庶務に相応しい人を選ぶ。私はだれとも面識がないわけで、ほとんど適当である。ただ生徒会長は、入学式で目が合ったお嬢様に丸をつけた。
結果発表はその日の放課後に行われた。
生徒会長栗山リカ。
生徒会副会長一之瀬コウヤ。
生徒会書記堂本ユリ。
生徒会会計九条アユミ。
生徒会庶務大岡コウイチ。
「あの子、栗山リカっていうんだ」
これが私と彼女の出会いだ。
栗山リカの秘密を知るきっかけは、ここから始まった。
翌日。生徒会長は体育館の壇上で演説する。
品行方正、眉目秀麗、才色兼備すべてを兼ね備えた栗山リカ。おだやかで柔らかい声音にみな魅了されている。ミオによると、彼女の両親は企業の偉い人で、家は豪邸だとか。
やはりお嬢様である。そして引っ越しばかりする我が家は庶民である。
ぼんやり演説を拝聴していると、突然目が合った。リカが微笑む。気のせいだろうと思ったが、彼女の視線は私を捉えている。気のせいだと思った。思いたかった。
演説が終わって拍手喝采。みなが栗山リカ生徒会長に期待していた。
「やっぱりリカ先輩だったねえ」
「よく知らないんだけど、いいの?」
「そりゃ美人だし。あったまいいし。バレンタインはもう大変だわさ」
「あーわかった。ロッカーがいっぱいなんでしょ」
「それよりすごいのが、リカ先輩の家まで行った生徒! ま、門前払いだったけど」
「ここってすごい学校なんだなあ」
バレンタインの話題はどこでも聞く。しかし渡したい相手の家まで行ったという話は聞いたことがない。
栗山リカ、只者ではない。
彼女の容姿を思い返した。短く艶のある髪と、細く色白い手足。幼顔に可愛げな立ち振る舞い。男女関係なく彼女は大衆の目を奪う風貌だ。歩いたあとにきらきらと輝きが零れ落ちそうである。
近づきにくい。それが私のリカに対する第一印象。
ミオも同じだそうで、栗山リカには話しかけられないと言っていた。
周囲も注目しているが、みな恐れ多くて声をかけない。かける勇気がない。
否、ひとりいた。
体育館から教室に戻る途中、廊下で対象的なふたりを見かける。
件の少女と、生徒会庶務の大岡コウイチだ。お嬢様な女子と地味な男子。
「リカ、がんばれよ」
「ありがとう、コウイチくん」
幼馴染だと聞いている。だが、そう思っている生徒はあまりいない。
ミオが言った。
「ぜったいデキているだわさ」
「そうかな」
「そうだって」
私と井ノ原ミオ。
栗山リカと大岡コウイチ。
役者は揃った。
蝉せわしなく鳴く夏休み、私たちの記憶に残るあの子の秘密を知る。
2
寺海家は引っ越しばかりだ。父をどんなに恨んだことか。寂しくて、辛くて、新しい場所へ移るたびに泣いていた。戻りたい、帰りたい、もう嫌だと両親に訴えた。困らせた。中学にあがって泣かなくなったが、それだけである。寂しいし、辛い。ひとつのところに留まりたい。しかたないにしても、思い出をもっと創りたい。
そう私が心中で悶えていても、月日は過ぎる。
転入してあっという間に夏になった。
前期最後の授業が終わる。いまから待望の夏休みだ。
学校のチャイムを背に、私とミオは帰路につく。
「プールに祭りに夜更かし! あと肝試しもやっちゃうか」
「宿題はいつやるのかなあ」
「まずは遊ぶだわさ。貴重な青春なんだし」
「あとで答え見せてって言っても見せないからね」
「だめだめ! それだけは勘弁!」
夏休みは青春。思いっきり羽を伸ばせる一か月。
この地域の分岐点である十字路に立った。信号待ちをしていると、視界の端に栗山リカが映った。そちらへ視線を向ける。私たちと同じ信号を待っているかと思いきや、どんどん離れていく。
「ねえ、リカん家ってあっち?」
首を傾げるミオ。
「逆だわさ。塾に行くんじゃないかな」
そうだろうか。
学校にいる彼女はいつも輝いている。でも、いまは違う。きらきらしていない。
私は怖くなって栗山リカから目を逸らす。見なかったことにした。
帰宅して自室のベッドに寝転ぶ。さっそくミオから夏休みのお誘いのメッセージをいただいた。明後日に市民プールへ行こう! 私は即決でいいよ、と絵文字をつけて返信。
今年の夏は異常に暑い。暑苦しい。そういうときはプールで涼しくあれ。思いっきり楽しんでやろう。
「あ、そういえば……」
栗山リカ。あれからどうしたのだろう。
家に帰ったのか?
「私のバカ。帰ったに決まってんじゃん」
どうしてここまで彼女のことが気になるのだろうか。特に親しいわけではない。たまたま転入した学校にいたお嬢様のはずだ。
豪邸に住む生徒会長。それだけ。
母の声がした。夕ご飯ができた。
食事中、母に問い質す。
「塾なら十字路を右。あんたが学校から帰ってくる道のりね。そこにしかないはずよ。まさかあんた、夏期講習受けるの?」
「受けない。あ、勝手に応募しないでよ」
私の母は引っ越す前、住む家の周辺をよく調べる。塾の位置はまちがっていない。
十字路はさまざまなところに繋がる。右は学校や塾、隣町へ。左は旧道、上は隣県に続く。下はショッピングモールやスーパーなどの商業施設が立ち並ぶ。十字路の四つ角にはガソリンスタンド、コンビニ、アパート、更地がある。学生たちの溜まり場になっている喫茶店とカラオケ店は学校の裏手だ。
ちなみに寺海家が住むマンションは十字路を上に行った場所にある。
栗山リカの豪邸はたしか、ミオの話によれば旧道を進んだ先の住宅街に建っているそうだ。つまり、あのとき彼女は逆方向に歩いていた。寄り道か。
真面目そうな生徒会長も実は外で……なんて。あり得ない。
「ところで夏休みなんだけど」
「なにママ」
「パパの休みに、みんなで海に行きましょう。三泊四日で」
「やった! いついつ? 水着買っていい?」
「八月のお盆。水着は買ってよし」
「よっしゃー! お小遣いはたいちゃう」
夏休みは青春。
楽しいことばかりで休んでいられない。
いまでもそうだったと言える。けれど、あの日がどうしても脳裏をよぎってしまう。
私と彼女のどこに接点があるのかと問われてもはっきり答えられない。
生徒会長を選ぶために丸をつけたこと以外、なにもなかった。
3
七月某日。
珍しくあれこれと熟考していたせいで寝不足である。けたましく反響する目覚まし時計を投げて音を止めた。カーテンを開放し、眩しい朝日を全身に浴びる。それからカレンダーを見た。ミオとプールへ行く約束をしている。
ベッドから降りて、パジャマを着替えて、自室を出た。
朝ごはんがテーブルに置かれていた。食パンの上に目玉焼きが乗っており、私は黄身を指先でつつく。半熟だ。私の好きな具合の触感だ。
「行儀悪い」
言いながら可愛い娘のあたまをぺちん、と一発叩く。鋭いのでかなり痛い。
「痛いってばもう」
叩かれたところを擦りながら、洗面台に移動した。はやくあの半熟を味わいたい。
私を焦らすように爆発した髪はなかなか整わなかった。むりやり引っ張ると頭皮まで剥けてしまいそうだ。
ややあって爆発した髪はストレートヘアになってくれた。顔を洗い、歯を磨き、朝ごはんの前に着席する。
私と母は揃って食事の挨拶を口にした。
「今日たしか、ミオちゃんと遊ぶんだっけ」
「そうだよ。市民プールに行くの。学校の近く」
「へえ。ずいぶん仲良くなったこと」
「気が合うんだ。……引っ越し、まだしないで」
「パパに言っておく」
「高校は私、一人暮らしするから」
「はいはい。それも言っておきます」
母は放任主義らしい。私がなにをしていようと、気にならない。ただ、無事に帰ってきて顔を見せてくれたら満足なんだとか。非行に走ってもそうなのかと言えば、どうせ帰ってくるじゃない、そう返してきた。緩いか厳しいかはっきりしない。でも、私にはちょうどよかった。帰ってくれば母が待っていてくれる。早くても遅くても、どこにいても、ずっと私を待っているのだ。
「あらやだ、せっかく半熟にしたのに黄身が落ちてる」
「え、あ、ごめん」
パンの齧ったところを伝って黄身がとろりととろけた。慌てて舌で掬う。
むしゃむしゃ食べて、ごくごくコーヒーを飲む。中学生だがブラックである。
「ごちそうさま」
「ごちそうさま!」
さあ、いよいよ新しい友達とプールで泳ぐ時間だ。
支度を済ませて、鏡で身なりをたしかめて、いってきます。
十字路でミオと合流する。
「おはよう」
「おっはようだわさ!」
「その語尾流行らないね」
「サトエが使えば」
「いやいや」
会話を弾ませながら市民プールへ。
買ったばかりの水着でプールに飛び込む。晴天の下、クロールで端から端まで泳ぐ。そのあいだ、栗山リカが家と逆方向に歩いていった理由を考えた。寄り道だといえばそうなのだが、妙に引っかかる。イメージと違った一面を見たせいだろうか。
くるりと回る。壁を蹴り、再び二十五メートルを泳いだ。
栗山リカ。お嬢様。将来がとても有望な少女。男女問わず目を惹いて、人望が厚い。どうみても寄り道をする人ではない。むしろ注意する側だ。いったいどこへ行っていたのだろう。
両親が企業の偉い人なら厳格な家庭のはず。門限や細かいルールが決められていたりしてもおかしくない。
二十五メートル泳ぎ切って、プールからあがった。
日陰に座って、水分を補給した。
「……性に合わないわ、考えるって」
いろいろ詮索してしまう。深い闇、渦に吸い込まれる感覚を憶えた。
悶々としている私に、ミオが水をぶっかけてきた。口が開いていたせいでむせる。
「めちゃくちゃ怖い顔してるんだわさ」
「ごめん。ちょっとね」
「悩み事?」
「ていうか、生徒会長のことが気になる。寄り道する人じゃないでしょ」
「お嬢様だしねえ。イメージないわ」
「なーんか引っかかる。ありえないでしょ、生徒会長になった人がそうするって」
「たまたまサトエが見たんだよ、きっと」
「うーん、まあ、そっか」
栗山リカお嬢様が寄り道。イメージとかけ離れている。しかしそれは、私が思い込んでいるのであって、彼女は関係ない。
そう決めて、深く考えなかった。
ところが、きっかけが訪れてしまう。
プールでめいっぱい身体を動かした帰り道、コウイチとリカが揉めている場面に出くわす。コウイチがずいぶん声を荒らげており、驚いた。またしても分岐点の十字路だ。
リカの表情がわからない。私に背を向けて立っていた。怒るコウイチに対して落ち着き払っている。それが少し、怖かった。
私は佇んでその場面を眺める。
「コウイチの言い分はわかる。だけど、もう変えられない」
「夏休みぐらいやめておけ。ずっと居られるわけねえよ」
「そうでもないよ。ふふ、コウイチってば心配しすぎ」
同じくじっとやりとりを聞いていたミオが一言。
「別れ話」
「にしちゃ会話が違うような」
「あ、リカ先輩行っちゃった」
すたすたとリカは立ち去った。コウイチが肩を竦め、私たちのほうへ向きを変える。
ちょっと気まずい。
「なんだよ」
「コウイチ先輩、さっきリカ先輩となに話していたんですか」
「ちょっと、な」
はぐらかされる。言えないことらしい。
私はリカの歩いていった方向を見据える。
そのうち、コウイチは短く別れの挨拶をして去っていった。
なんだったのだろう。
ミオが腕を組む。
「なにかあるわ、これ」
「なんだろ。変えられないとか言ってた」
「生徒会長に選ばれたのが不満だったりして」
「ありえそう」
「演説はすごかったけどねえ」
栗山リカの演説は生徒だけでなく先生たちもうっとり聞き入る内容だった。さらに彼女の声音が語りを彩る。よりよい学校生活を、生徒たちが苦しまず登校できるように、無理なく日々を謳歌し卒業しましょう、などを全校生徒と先生陣の前で堂々語った。
選挙の結果に不満があるようには見受けられない。
私はすっきりしないまま、帰宅した。
4
七月下旬。夏休みになってもう一週間である。
電気代の節約をしてほしい。母の頼みで私はマンションを出た。否、追い出された。炎天下のなか、普段立ち寄らない図書館に足を運ぶ。空いた席に座って宿題を進めた。黙々と問題を解いていても、栗山リカがあたまに浮かんでくる。
なにかある。彼女には秘密がある。それをコウイチは知っているのだ。
秘密になりそうなこととは。わからない。真面目な人ほど非行に走ったりするんだと前の学校で聞かされた。栗山リカはそれに合致する。みながみなそうというわけではないけれど、あの生徒会長は怪しい。
シャーペンを指先で回しながら考え込む。
眉間に皺が寄る。そこを、一緒に宿題をしていたミオに小突かれた。
「怖いんだわさ」
「だって気になるし」
「はあ。もう一週間経っているんだよ。サトエってば気にしすぎ」
「怪しいというか、なんというか」
「なら探偵みたいに推理しちゃえばいいじゃない。安楽椅子ディテクティブ」
「難しい言葉どこで憶えたの」
「かっこよくない? 座ったまま解決するんだよ。すごかったなあ」
たぶんミステリードラマの影響だろう。先日の二時間スペシャルを観賞したミオがメッセージを送ってきたけれど、興奮しすぎていて言葉がめちゃくちゃだった。どうやら安楽椅子ディテクティという単語が気に入ったみたい。
ミステリーなら栗山リカは謎を暴かれるポジションになる。たいてい暴かれた人たちは、悲痛な顔になったり泣き叫んだり、反対に安堵していたりする。もしも私が栗山リカの秘密を暴いたなら、彼女はどんな風になるだろう。
否、私はなにを考えているんだ。夏休みに入ってからいつもこうだ。
栗山リカのなにに私は引っかかっているのか。
シャーペンを置いてぐっと伸びをする。それからぼんやり図書館の外を見やる。
晴れている。知識欲に飢えた人たちが冷房の効いた図書館にやってくる。そのなかに、栗山リカがいた。噂をすれば本当に人がくるようだ。
向こうも私を見つけ、微笑む。
リカは私たちのところにきて、挨拶をした。
「勉強中だったのね。邪魔したかな」
「いいえ。先輩も宿題やるんですか」
張りついた笑顔が胡散臭くて語気をちょっと強めた。
「うん。あとちょっとで数学が終わるから」
優等生だ。こっちはひいひい苦しみながらやっているのに、涼しい表情をしている。
がんばって。そう言い残して図書館の奥に消えた。
ミオが言う。
「あんなきれいな人をサトエは疑っているんだ」
「まあ、ね。リカ先輩見ていると、なんだかもやもやしちゃう」
「サトエってレズ?」
「ち、が、う!」
「ふーん」
「ちょ、ほんとだって」
「じゃあなんだっていうの。入学式からずーっと気になってるみたいじゃん」
「まあそうだけど。恋愛じゃない」
「ならさ、いっそ探偵になればいいだわさ」
「ここで座って解決しろって?」
「うんうん」
「はあ。ドラマじゃないんだよ、ミオ」
「じゃあじゃあ、尾行しようよ。それから情報収集」
まずい。私が気になると言ってしまったせいでミオまで深入りしようとしている。さすがに彼女を巻き込みたくない。
「ひとりでやる。ミオはいつもどーり夜更かしして」
「友達が困ってんのにじっとできる? 助手がいるでしょ、助手が」
ノリノリである。……しかたない。
「ならワトスンくん、最初はなにをするべきだろうね」
「情報収集!」
これが一歩目だ。件の少女に迫る第一歩を、私たちは踏んだ。
さて、どこから情報を得ようか。
「コウイチ先輩がいいんだろうけど、いきなり行ってもだめだわさ」
「家族もだめだな。あんまり話してくれなさそう」
「豪邸は見たい」
「私も。んで、消去法でいくと、リカ先輩のクラスメイト」
提案したものの、ミオは腑に落ちない顔をしている。
「下級生の私たちがなんて聞くのさ。いまは夏休みだし、上級生に会えるかどうか……」
真夏の暑い日に上級生探しはきつい。学校は開いているときは限られている。上級生みながくるわけではない。
先輩のクラスメイトには聞けないか。
「会えるとしたら、コウイチ先輩だけか」
すんなり話さない可能性大。外堀を埋めていこうにも、埋めるものがわからない。
栗山リカの攻略は、夏休みの宿題より難解だ。
その日は結局、図書館で宿題を進めることしかできなかった。
5
夕方。帰宅した私は勉強机に頬杖をつく。
座って解決できる探偵が羨ましい。こうしているだけであたまが働いて、犯人を見つける。私にそんな力はない。座っているものの、なにも思いつかないでいる。
宿題でフル回転させたあたまで推理まがいのことをしてみた。
あのとき聞いたリカとコウイチの会話がヒントになりそうだ。
変えられない。今日も行く。やめておけ。心配しすぎ。
「行くってどこに。選挙のことじゃないな……」
変えられなくて、毎日行っていて、やめたほうがいいことってなんだろう。
――非行。悪い連中とつるんでいる。まさか彼女が? 否、この際思いついたことは否定しないでおこう。
もしもそうだとして、コウイチはそれを知っていて止めようとした。しかし、会話から察するにうまくいっていない。栗山リカは後戻りできないところまできている。
なぜリカが? 勉強はできるし、成績はトップ。みんな頼りにしている。
それがだめなのか。学校で見る彼女が本物とは限らない。仮面を被っている。己をさらけ出せなくて非行に走った。ありえない話ではない。
被る仮面を剥がしているだけならまだしも、危ないものに手を染めていたら。
「やってやろうじゃない」
漲ってきた。
もう今更引き下がれるものか。
最後まで追究する。してやるのだ。
期限は、私たちが自由に動ける夏休みのあいだ。八月三十一日を過ぎたら栗山リカについて忘れる。ミオへ伝えると快く承諾してくれた。
次の日、さっそく行動に移る。
情報収集のため、リカのことを知るため、まずはコウイチを探した。
だが、問題が発生する。
私もミオも、彼の家を知らない。彼の行きそうな場所に心当たりがない。
どうする。開放日ではないが、イチかバチか学校に行ってみようか。
「でも待って。生徒会は部活に入らなくてもいいはずだよ」
「そうだった。生徒会の日程とかわかんないし、……はあ」
思わぬところで躓いた。
町の分岐点たる十字路で立ち往生する。蝉だけは忙しそうだった。
「このままじゃリカ先輩に近づくどころか、コウイチ先輩にも会えないよ」
希望を失った。
俯き、自分の影を睨む。
「おい、どいてくれ」
声のほうを振り向く。私たちの目的がひとつ、達成された。
平凡で地味な顔のコウイチ先輩だ。――やっぱり、噂をすれば人がくるようだ。
「コウイチ先輩!」
「なんだよ。あんたら、I中の学生か?」
「そうです。あの、時間ありますか」
「は? 俺これからダチと遊ぶんだ。悪いが、かまってやるヒマねえよ」
チャンスを逃すわけにはいかない。
私は思い切って言った。
「リカ先輩のことです。なにかあるんじゃないですか」
コウイチは立ち止まり、黙り込んだ。
私たちも沈黙する。
信号が赤から青に代わって、リズミカルな音が流れる。
「わかった。ちょっとこい」
青に代わったばかりの横断歩道を渡り、ちょっと行ったところのハンバーガー店に入店する。先輩のおごりでポテトとドリンクを頼む。
窓際の丸テーブルを囲んで、本題に入った。
「リカのやつ、学校に住んでいるんだよ」
私はストローを噛んだまま思考が停止する。
ミオが短く驚きの声をあげた。
「わけわかんないって顔だな。まあ事実だ。長いこと学校で寝泊まりしている。俺が知ったのは小学生の頃で」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください」
突然のことであたまが混乱した。
「学校に住んで、寝泊まりって、その、どういうことですか」
コウイチはポテトを頬張る。
「そのままだ。授業が終わっても、家に帰らない。適当なところで時間を潰して、みんなが帰ったタイミングで学校にもう一度行く。そんで、寝る」
生徒会長のイメージが、お嬢様な雰囲気が、崩壊していく。
学校に住む? 寝泊まりする? わからない。わからない。呑み込めない。
「どうして、そんなことを」
「……あんたら、親に学校に行きなさいって言われたことあるか」
「まあ、ありますけど」
「私も」
「俺もある。リカだって例外じゃねえ。……あいつ、学校に行けっていうのをおかしく解釈しちまって、学校に住むになったんだ」
開いた口が塞がらない。
〝学校に行きなさい〟がどうやって〝学校に住む〟になるのだろう。まさか親がそうしろと言ったわけではあるまい。なら、ならなんで。
「学校に寝泊まりって、ごはんはどうするんですか。着替えとか、お風呂とか」
「そうです。先生たちが帰った学校は鍵が閉まっていますし、できることなんて少ないはずじゃ。リカ先輩はどうやって……」
私とミオの詰問に、コウイチはていねいに返答してくれた。
「ごはんはコンビニで買ったもの。着替えはなくて、制服を脱いで体操着を着るらしい。風呂はわからない。学校にはピッキングで鍵を開けて侵入する」
「ピッキングってあの、細いもので鍵穴を弄って開けるやつ、ですよね」
「その通り。リカはどこで憶えたか知らねえが、それができる。校舎の入口と、職員室を開ける。職員室にはほかの教室の鍵があるだろ。それを奪って、学校のいろんな教室に出入りしているんだ。なにをしているのかは、さっぱりだ」
背筋がぞっとした。夜な夜な蠢く生徒会長。学校で寝泊まりし、翌朝なにごともなかったように朝の挨拶をする。いろんな学校に転入して、いろんな噂や怪談話は聞いてきた。でも、生徒会長がそんなことをするなんて聞いたことがない。否、生徒会長に選ばれるような人がしていいことではない。バレたらどうするのだ。
「ミオは聞いたことあるの、生徒会長がそういうことしてるって噂」
「あるわけないだわさ。だって、だって、あのリカ先輩だよ? 人違いだよ」
「人違いじゃねえ。動揺する気持ちはすげえわかる。でも、本当だ」
「コウイチ先輩は、知っていて止めなかったんですか」
ドリンクのカップを握りしめるコウイチ。
「止めた。止められなかった」
「どうして」
「もう遅かった。昔のリカはもう、いねえよ」
私が気になっていたことは、かなり根深いことだった。学校中に知れ渡ってしまえば生徒会長としての面目は丸つぶれ。みなの見る目が変わる。
あの微笑みは仮面か。あのきらきらした輝きも、幻なのか。
非行ではなかったにしろ、だめだ。
「……ねえ、サトエ」
「なに?」
「これ、私たちが知っていいことじゃないよね」
「そう、だね」
たしかにミオの言う通り。知らないほうがよかった。
「サトエ、生徒会長を止めるとか言い出さないよね?」
「……ごめん。ちょっと思った」
「なんで。私たちに止める理由ないじゃん。もういいでしょ」
ミオは必死だ。生徒会長栗山リカお嬢様のイメージを壊したくないのだろう。
私が気にしなければ、ミオを巻き込まずに済んだ。これ以上の深入りは、よくない。
でも。私は。
「理由はない。けど、会って話がしたい」
「サトエ。どうしてそこまで、リカ先輩のこと」
「放っておけないの。なんていうか、遅かれ早かれバレるでしょ。そしたらみんな先輩のこと悪く言うと思う。でも、学校で寝泊まり――住んでいるには理由があるはず。私はそれが知りたい」
ミオは私の目をじっと見つめた。
「本気、なんだね」
「うん」
「そっか。……なら私も、リカ先輩に会う。本当のリカ先輩を見る」
私たちの決心は固まった。
コウイチと向き合う。
「会わせてもらえませんか」
コウイチはあたまを掻いた。
「なにもできないと思うぞ。それでもいいのか」
「会うだけ、会ってみたいんです」
「……なら今夜だ。夜の七時、出てこられるか?」
私とミオは頷いた。
「夜の七時、学校の裏にある喫茶店前に集合。それからリカを待つ」
やっとだ。
やっとリカ先輩に近づける。
――なぜあのとき、引き返さなかったのだろう。
――なぜあんなにも、彼女の秘密を知りたかったのだろう。
中学生だから、若気の至りだから、なんて一言ではまとめられない。
私たちは自ら罪を犯しにいった。
栗山リカを知らなければ、夏休みは青春の一ページに堂々と描かれた。
そうできなくなったのは、罪を犯したからだ。
世の中、知らなくていいこともあるのだと、身を以て知った。
好奇心は猫を殺す。
私たちは殺されたようなものだ。
思い出してはいけない。忘れなければいけない。
それが私たちの償いである。
6
夜の外出の許可はすんなり下りた。ママが怪訝そうな顔をしたけれど、説明している時間はなかった。うまく説明できる自信もなかった。いってきます、その一言だけ残して真夏の夜に踏み込んだ。
約束の時間ちょうどに集合場所の喫茶店に到着する。もうコウイチがいた。
「寺海サトエか」
「はい。ミオはまだみたいですね」
「おう。ところで、リカのことなんだけど」
「なんですか。あ、別に私、言いふらしたりしません。そんなことのために、今日きたわけじゃないですから」
「それはわかってる。ただ、リカはちょっとやそっとじゃ変わらないぜ」
「頑固っていうことですか」
「まあな。俺も何度か説得してるけどよ、結局なにも変わらなかった。あいつは学校に住むのを辞めないし、家にも帰らねえ」
家。そういえば、家族はなにも思っていないのだろうか。私はそれをコウイチに問う。
コウイチは悲しげな色を浮かべた。
「あいつん家、共働きでさ、両親が家にいることが少ないんだと。だから自分がなにをしていても、気づかないらしい」
「じゃあ……学校に住んでいることも」
「知らないと思う。一応、俺が教えに行ったんだけど、〝うちのリカはそんなことはしない。現にいま家にいる。帰っていないわけない〟の一点張り」
「……そっか。まあ、信じられないか、あのリカ先輩がそんなことしてるって」
私もまだ、半信半疑だ。この目で見てみないと、信じ切れない。
ミオがやってきた。
いよいよ学校へ侵入する。
コウイチの案内に従って、正面からではなく裏から校内に入った。普段はあまり開閉されない運動場に繋がる出入り口をよじ上る。音を立てないよう下りてから運動場のそばを横切った。幸い部活動をしている生徒はおらず、だれにも見つからなかった。とはいえ、まだ油断できない。
体育館のそばまできて身を屈める。ちょうど校門が見えた。
あとは待つだけ。気が遠くなりそうだった。
ふと、視線を巡らす。夕闇の校舎にいるのは私たちだけだ。勝手に侵入したなんて知られたら説教どころじゃないだろう。罰を受ける覚悟はある。それくらいなければここにいない。
校門に戻した視線が、リカを捉えた。
唐突だった。
「リカ先輩!」
彼女は校門を上ってなかに侵入してきた。私たちが駆け寄ると、困惑顔になる。
夕日が沈む。眼前はどんどん暗くなっていった。
「コウイチ……それに、あなたたちは」
制服ではなく私服。肩にかけているバッグと履いている靴は学校指定のもの。寝泊まりするにしては荷物が少ないように思えた。学校指定のバッグにはなにがおさめられているのか。教科書やノートは、夏休みはいらないだろう。コウイチ曰く、彼女はずっと学校に住んでいる。長期休暇じゃない日もこんなことをしているなら、次の日の授業はどうしているのか。――ああ、ふつふつと疑問が湧いてくる。すべて彼女にぶつけたい。
「どうして、どうして、また――またァァ!!」
私の疑問の泡は、彼女のヒステリックな叫びに破壊された。
リカはあたまを抱えた。髪を掻き毟った。さらには身体を仰け反り、爪が食い込むほど力強く頬を握りしめた。くねくね身体が曲がる。腹の底から声をあげ、私たちを、現実を認めようとしなかった。
叫び声が止む。いきなりの静寂に私とミオは顔を合わせ、お互い手を握った。
コウイチが前に進み出る。
「リカ、今日だけでいい。一日だけ、家に帰ろう」
「うっふふふ。あっはっはっは。コウイチってばそればっかり。もう、心配性ね」
リカはバッグのなかを探りはじめた。なにを出すつもりだろう。
「だったらもう二度と言わないようにしてあげる」
リカとは思えない荒々しい声と、細い鋭利な刃物。
このままではコウイチが危険だ。なんとかしないと。
ゆっくり深呼吸する。刃物は脅し。脅しだ。屈するな、私。
「リカ先輩」
振り絞った声は、彼女に届いた。
「なにかしら。うちの下級生みたいだけど」
「寺海サトエといいます。今年の春に転入してきました」
「ふうん。で、ここでなにを? コウイチに加勢してって頼まれたのかな」
「いいえ、逆です。私がコウイチ先輩に頼みました」
リカは私とミオをねめつける。蛇みたいな目だ。
「……あっそ。理由はなんであれ、私を邪魔しにきたわけか。いいわ、いいわよ」
笑っている。否、狂っている。
これが本物の栗山リカ。
真実。事実。現実。
だとしても、信じられない。
――栗山リカが私を、刺し殺そうとするなんて。
くる。くる。鋭利な尖端が私の胸めがけて。
まるでスローモーションだった。
私の服に穴があいた。
ぐしゅり。肉の裂ける音がした。
血飛沫が飛び散る。
私はよろめいた。おそるおそる自分の胸を見下ろす。
――刺さっていない。
「いってえな。こんチクショウ」
コウイチが、素手でリカの刺突を阻んだ。
予想外のことにリカは青ざめる。
「や、やだ。どうして」
「ばかやろう。後輩殺す先輩がどこにいるんだ」
瞬く間の出来事だった。
助かった。あのままでは死んでいた。心臓が抉られて、血が出て。
へなへなと座り込む。生きている実感を味わって脱力した。
心配したミオが駆け寄る。
「怪我してない?」
「うん。なんとか」
私は自分の身体が小刻みに震えていることに気づく。足は竦んで力が入らない。
目を潤ませるミオが手を貸してくれた。友人に凭れかかるように立つ。
リカはどうなった。コウイチはどうなった。
ふたりは向き合っている。すると、
「リカ、あとで俺を殴れ」
ぱちん。今度は乾いた優しい音だった。
コウイチに頬を叩かれたリカはふらつき、刃物を手放す。
リカから殺意が消えた。仮面も本性も剥がれたその顔は、虚ろである。
静かな、とても静かな夜が戻ってきた。
7
それから私たちは、校門前から場所を移し、運動場に続く階段に座った。
リカはぼんやりしている。かける言葉を探していると、彼女が口を開いた。
「小さい頃だった。小学生にあがったばかりかな。親から言われたの、〝ちゃんと学校に行きなさい〟って。だから私、がんばって毎日登校したわ。皆勤賞もとったし、親の言うことを守ったつもりだった。でも……それでもだめだった。いくら登校しても毎日言われる。行きなさい、行くのよ、勉強が遅れないように。私はだんだん怖くなった。登校することが辛くなった。足が重くなるし、授業には集中できない。成績が落ちてきて、担任の先生から心配されたわ。親に成績のことは伝わらなかったけど、私の様子が変だってことは、親も気づきはじめた。
私はだれにも相談できなかった。どう言えばいいかわからなかった。親の言葉がプレッシャーになっていると一言で済むはずだけど、気にしすぎだと言われたくなかった。気にしているわけじゃない。勝手に言葉が私を苦しめるの。だけど、私の身体はロボットみたいに毎日学校へ行った。
学校に住むきっかけになったのは、小学生五年のときよ。学校生活で一番の楽しみな夏休み。登校日ってあるでしょ、私、それをまちがえた。登校日じゃない日にランドセルを背負って家を出た。親はなにも言わなかった。見ているはずなのに、まちがえているって教えてくれなかった。当然学校は開いていないから引き返した。家に帰ると、親はふしぎそうな顔をしていた。てっきり登校日をまちがえていることを笑われると思った。恥ずかしさで黙っていたら、〝学校に行ったんじゃないの。はやいわね〟そう言われた。
私は絶望した。親は私を学校に行くロボットとしか考えていない。帰ってくることに意味はない。行っていることが大事なんだ。行き続けることが、私の役目。そう解釈してしまった。学校に……住むようになった。もともと親は共働きで家にいることは少ない。私はよくひとりだったから、そうしても親は騒がなかったな。
でも、コウイチは止めてくれた。私を家に帰そうとしてくれた。だけど……私は帰れなかった。
でも、やっと帰れる日がきたわ。ありがとう」
栗山リカは微笑んだ。
とてもきれいな笑みだ。これが本物の彼女だ。
私たちは彼女の秘密を知った。
とても他人に話せるものではない。
だから私たちは決めたのだ。なにがあっても決して口外しない。
たとえ知りたいと迫られても堅く口を閉ざそうと三人で誓った。
彼女のためであり、私たちの責任でもある。
土足で踏み入った私たちの償いだ。
しかし、栗山リカは許してくれた。
そうしてくれなければ、いつまでも変わらなかったからと。
真夏の夜、私たちはそれぞれの家に帰宅する。
彼女の真実を思い出のなかにしまって、朝を迎える。
まだまだ夏休みは終わらない。
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