第一話 現実と幻想と夢
第一章 託された願い
第一話 現実と幻想と夢
「ふんふふっふっふ~ん♪ ふんふふっふっふ~ん♪」
「上機嫌だね! 四音ちゃん!」
「そりゃそうだよ~。私たち、バーチャルアイドルなんだし!」
色鮮やかな世界、道路の上をパーカーやコート、ジャケット、ポンチョなど、様々な上着が巨大なサイズで宙を行き交う世界を浮遊する四音と七菓。
七菓はお姉ちゃんのような存在である四音の明るさが好きだ。
四音も妹のように後ろに付いてくる七菓のかわいさが好きだ。
「あっ! あっちで服がぶつかったよ! 四音姉ちゃん、ライブに行こう!」
「うん! よぉ~し! 今日も張り切ってライブしよう!!」
立ち往生した服を見ながら怯える人々を救いに、彼女ら2人は今日も歌って踊り続けるのだった。
暗い。とにかく暗い。
ただ、自分が未知の暗さの中に放り込まれたのではない。嗅ぎなれた田畑の匂いと虫の音を目で確認しながら、家の方向だと思われる道を本能的に選び取り歩く。
しかし、自分は歩いているはずなのに、前に進まない。頭がグラつき、仁王に足を立てられない。
左にあるゲームセンターの一本の蛍光灯が薄すぎるほどに意味を持たない光を与えてくれている。
自分が立っていられないのは、どこに立っているのか分からないからか。
それでも家へ帰る。這いつくばって、ポケットの折りたたみ携帯を開き、弱すぎる光を前に発しながら進む。
そこで初めて怖いと感じた。携帯の光が余りに弱すぎて、道を明るくしてくれない。目の前に何か得体のしれない殺人鬼が夜の暗さに紛れ込んで現れ、正面から切り込んできそうな、そんな予感がした。
それでも携帯の画面を前に示した理由は、何としても前に進みたいと言う意思が、本能がそうしてしまったためだ。
無意味さを自覚してしまった今、この携帯をしまう理由が出来てしまったことになる。
けれど、今右手の微弱な光を消してしまうと、隙を見た殺人鬼が目の前に現れ、殺しに来るかもしれない。
怖い。怖い怖い怖い。それでも、家に帰りたい。
怖いときは別のことを考えて頭を騙そう。そうだ、今は何時だろうか。それに光が何故こんなにも弱いのか。僕は何故こんな場所に居たのだろうか。
別のことを考えようとしても思考は散り散りになり、夜の暗さに吸い取られた。
同時に、三つん這いの手足に力が無くなり、右手に持った携帯と僕の体は、凸凹の何十年前に塗装したか分からないアスファルトの上に零れ落ちた。
歩きなれた地面の感覚を体全体で感じ取り、さっきまで感じていた怖さは大きく軽減された。
それに、歩いている時は前後左右が空白で暗闇だった。今は上だけ見ていればいい。
力なくして、帰えられなくなったのに、そのような安心感に満たされていた。
ここで、眠ろう。何もかも終わるころに起きればいいか。
最後の力でアスファルトを背にするように仰向けになって、空を見上げた。
体が沈んでいく感覚を味わいながら夜空を見上げた。
真っ暗で星が一つもなかった。
起きればベットの上、暗がりだが、しっかりの部屋のものの配置がわかる。つまり自分の部屋にいるわけだ。
「何だったんださっきの夢」
当然の発言をしておいて、おかしな部分を全て夢だったからだと一つ一つ解決して、頭の靄を取り除く。
違和感が多すぎたのだ。夢には匂いが足らな過ぎたな。家の近所の匂いなら、目をつむっていても場所がわかる。
空虚に対し優越感を感じ取りながら、重たい体を起き上がらせる。
重たいと言っても太っているわけではない。むしろ痩せていると自覚している。
ただ眠りすぎたのだ。眠りすぎで体が疲れるということは、皆も経験するはずの事柄の一つだろう。
頭の血液が循環しきっていない。水を飲もうと部屋の扉を開けると、先ほどからならされ続けているだろうインターホンの音をようやく聞き取ることが出来た。
この一軒家には、俺以外の家族はいない。つまり、家の前にいる人は、俺に用があると言うこと。
それでもこんな夜中に何の用だろう。次の日ではいけないのか。
言葉の投げかけが口に出る直前、家のドアが開く音がした。
いや、辞めてほしい。不法侵入? 金目狙いか。幸い家には金目のものはない。けれど、幸いとは言い難いのではないか? 金が無ければ次は命を狙ってくるかもしれない。
夢の中での暗闇の恐怖が実感となってきた。恐る恐る、階段を静かに降りようとしたとき、初めてインターホンの主の声を聴いた。
「おっじゃまっしまーす! 秋氏君いるかなー?」
「ていうか、勝手に入っていいのか? いいわけないよな」
「問題ないだろう。こちらは五分も待たされた」
「それでも、明日の朝とかでもよかったんじゃ......」
軽そうな男に真面目そうな男、気の尖った女に少し怯えた女。声でそう判断した。
絵にかいたようなバランスの男女比と、彼らの会話の空間に、悪意や殺意はなかった。
静かに降りようとしていた足の運びを再開させ、玄関に入り込みつつある彼らの恰好を確認しながら近づいた。
全員黒の纏でフードも被っていた。しかし、1人の男は、わざとらしく家に入りながらフードを被る振りをした。僕に顔を見せるように。
「こんばんは、すみません寝ておりました。こんな夜分にどのようなご用件でしょうか?」
嫌味に聞こえないように丁寧に話した。
「まぁとりあえず座ろうや。お茶とかは要らんからね」
軽い男がそう口にした。
軽い男は玄関に一つ置いてある丸椅子に座り、気の尖った女と真面目そうな男は、家庭訪問の先生がごとく玄関に腰かけ、少し怯えた女は丁寧に靴を脱いで玄関を上がり、綺麗に膝を折り曲げ正座をしている。全員の顔が深いフードで隠れているさまは、警戒心を揺るがせない。
僕はと言うと、彼らとは玄関を一杯使って彼らと離れている。といっても、僕の家の玄関はそんなに広くないから、それほど離れていない。
「じゃあ早速だけど、まず君が疑問に思うことから聞いていいよ。正直に答えるから」
口火を切ったのは軽い男。正直な疑問か。
彼らの名前? 目的? それも気になるが、それよりもあり得ないものを先ほど見てしまっている。
まず背中側の暗い階段が少し怖いから、階段登り口横のスイッチを入れて明るくしておく。
そして座り直し、正直に聞きたいことを初めに聞いた。玄関に腰かけた真面目そうな男を指さして。
「そこの男の人、何故僕と同じ顔をしているのですか?」
沈黙は数十秒、いやもっと短かったのだろうけれど、長く感じざるを得なかった。
目の前の四人は黙ってこちらに顔を向けている。勿論、顔の向きだけで、僕から彼らの顔は見えていない。
恐らく十秒ほど経過したころ、真面目そうな男以外の三人が彼の方を向いた。
彼は、彼女らの視線に気づいた。
「え? 俺?」
「「「当然だろ(でしょう)」」」
何だこの腑抜けた雰囲気は。こっちは眠る前から恐怖で頭がいっぱいなんだよ。
男はフードの先を少し持ち上げて、前頭に引っ掛けた。全ては脱がない。
先の声は、心なしか僕とよく似ていた。体格は俺より断然しっかりしている。
「確証を持たせるため、一応もう一度顔を見せておく。俺とお前は同一人物だ。しかし、ただの同一人物ではない。お前は幻想を生きるはずの人間だった」
「秋氏くん、幻想じゃなくて夢だよ」
「決して夢ではない、幻想だ」
少し怯えた女は目の前の男と言葉を交わした。争っているようには聞こえない。彼らの意見に相違が出る問題は、僕にも分かっていない、幻想や夢と呼ばれる何かにあると、そう思われるやり取りだ。
その会話の数秒後、外から爆発音が聞こえた。ド田舎にはとても似合わない爆発の光と音。
「見つかったのか?」
「いや違うだろ。遅くはないことだ。都心はもう無いだろう」
「それに今、僕たちはいけないことをしているわけじゃないからねぇ~」
「不法侵入」
女が爆発で警戒心を表し、僕と同一人物だと名乗った男が冷静に指摘し、軽い男が2人を落ち着かせ納得させようとした。そこに僕も今現在進行形で行われている不法行為を指摘した。
四人が一斉にこちらを見た。顔は見えないけれど、皆呆けた顔を向けていたのではないだろうか。その証拠に、四人ともに軽快な笑いを浴びせあっていた。俺を除いて。
不快な笑いではない。例えるなら、大きな問題に立ち向かっている最中なのに、小さな現実に意識を戻された、まさにそんな反応だった。
玄関のドアの隙間や玄関隣の窓から差し込むオレンジ色の見慣れない爆発の光。それを背景に笑っている彼らが、非現実さを体現していた。
目の前の男が話を再開、いや締めくくりに口を開き始めた。
「外のことも、そしてお前のことも分かっていたことだ。本題に進もう。現実の俺から、幻想の俺に願いがある。世界を救え。現実の俺たちは必死に持ちこたえる。幻想の中では今もこの三人が活動しているはずだ。合流して、力になってもらえ。頼れるはずだ」
「言っている意味が分からない」
「いずれ分かる。なぜならお前は俺だからだ」
自信ありげに言われても、抽象的すぎる上に、人一人に世界がどうのと。
なんなのだこの人たちは。頼れるとか言われて他の三人が照れている。そこまで表情豊かにするなら、そのフード達は要らないのではないか。
男は、最後の決心に苦汁を後付けしたような表情をした。それを見て他の三人も表情を硬くした。
「そのために......お前には、死......」
「待ってください」
男が何か大事なことを言おうとしたのだろうけれど、僕の中の怯えが、耳がそれを逃さなかった。
「屋根の上に誰かいます。ハイヒールかそれ準ずる硬い靴で屋根を踏んだ音がしました」
「なにっ!?」
「今度こそ、厄介なのに見つかったんじゃないかな」
最後に軽い男が放った言葉は真剣そのものだった。
全員が立ち上がった。全員が立ち上がると玄関の面積はより小さく見えた。
耳を澄まし、屋根の主が何をしようとしているのか聞き逃さない。
田舎者の耳を舐めるな。これ以上厄介な人間を家に招かせない。
リビングの方を見る。背中の玄関側では、彼らが武装する音、銃や刃物を手に取る音がする。怯える女は非武装か。もう怯えて無いみたい。
それらの音に紛れて、リビングのマットが僅かに擦れる音がした。
勢いよくドアを開けて、跳び入る。玄関の四人がついてきた。
「誰だ!」
叫び声はもう一人の僕が放った。
続いて非武装の女が目に指をさす。
「そこにいます!!」
リビング奥の方のフローリングマットの上、彼女は空虚に指を指し示していた。
そこから右手に、人型の何かが空間を歪めた。その姿を残りの三人も見逃さなかった。
気の尖った女が銃を放ち、軽い男が刀身一メートルほどの刃物を振ったが、どちらも外れ。
もう一人の僕が、左手に移動していた対象をしっかり捉えた動きで殴るモーションをしたが、それも避けられた。
避けられたが、対象は姿を隠す余裕をなくしたか、その美貌を露わにした。
黒くて長いストレートの髪に長いまつげ、紫の唇に深紅のタイトドレス。
そんな彼女はいつの間にか僕の前で微笑んでおり、禍々しいナイフを俺の顔めがけて突き刺していた。
避けられるくらいの運動はしておけばよかった。
左後頭部が痛い。それに右半身に力が入らない。右を下にして倒れこんだ。
左目も見えないし、いったい僕はどうなってしまったんだ。
刃物を突き刺した女の方を見上げると、彼女の顔を隠すように、ナイフの柄が見えた。
ああ、そうか。今顔面から後頭部までナイフが貫通しているのか。
そこまで状況を把握して、何も考えられなくなった。
もう一人の俺が何かを叫びながら拳に光を灯して彼女を捕らえようとする。
「いずれ殺すんでしょう? いいじゃないの」
「そ......も、俺が...を見送......この世界......だ!」
もう、何も、聞こえない。
頭が痛すぎて、麻痺寸前。音が、光が、匂いが、全てが痛みになる。
もう眠ろう。もう一人の俺は、最後に何と言ったか。
世界を救え、か。こんな体たらく、頼む相手を間違ってるって。
もっとこう、世界を救えそうなやつに頼みなよ。
もう一人の俺が謎の女を殴り倒し、リビングのテーブルが倒れる姿を細目で確認して、全てが終わった。
何もかも終わったからもう眠ってもいいか。
全てが終わった筈だった。
起きた先の世界は、巨大な上着が空中浮遊する世界だった。
なにこれ。