夕陽が目に沁みる
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主婦の仕事は大まかに言えば家事の一言で終わるのだけれど、実際するとなるとその作業は多岐に渡る。
炊事・洗濯・掃除だけではなく、買い物、繕い物、在庫管理に金銭管理、調度の整備に補修、子供がいれば育児も入るし、お年寄りがいれば介護も加わり、近所付き合いによる情報収集だって必要だ。
コミュニケーション能力も必要だし、調理や掃除にもテクニックがいる。金銭管理なんかは読み書き計算が出来なきゃ無理。
育児にも介護にも必要とされるスキルは沢山あるわけで。
家庭は営む、つまり経営するもの。多彩な能力が必要なのだ。
「って訳で、主婦やメイドさんが『命懸けじゃない、三食昼寝付の楽な仕事』かどうか、お分かりいただけましたかね?」
「重々承知致しました……!」
「楽な仕事だなんて言ってごめんなさい……!」
あれから一週間、女性用下着とその他色々と引き換えに、ローランさんと晴さんは菊乃井屋敷で見事メイドさん見習い研修を終わらせた。
ロッテンマイヤーさんに事情を話して受け入れて貰ったんだけど、眼鏡の奥の眼は絶対笑ってなかったと思う。
ローランさんのギルドマスターの仕事は、その長いエルフ生で一度ギルドマスターになったことがあるラーラさんが、副ギルドマスターをサポートする形で代行していたから、冒険者ギルドは滞りなく業務出来ていたそうで。
「家を維持するなんて簡単だと思ってたが、それすら満足に出来ない上に、ギルドマスターの仕事なんて簡単に取って替わられちまうなんてよ」
「私なんて、モップは上手く捌けないし、食材の一つも鑑定モノクルが無かったら良し悪しが解んなくて買えないし、壺磨いたら割りそうになるし、接ぎ当ても満足に出来ない上に、簡単にロッテンマイヤーさんに背後を取られちゃったり……」
二人の頭上には暗雲がたれ込めていて、雰囲気が暗い。
引き換えに、ロッテンマイヤーさんや給仕に来ていた宇都宮さんはホコホコしていて、なんだか機嫌が良さげ。
「追い討ちをあえてかけますが、メイドさんは職業ですから辞めることも休むこともできます。しかし主婦の皆さんはどちらも出来ないんです。楽だと思いますか?」
「この世の中に楽な仕事などないって解ってた筈なのに、心の何処かで侮ってたんだな。本当に申し訳ない」
「命はかけてなくても、家族の健康や生活を預かってるんだもんね。楽だなんて言ってごめんなさい」
その言葉に首を横に振る。謝ってほしいのではなくて、二人が持つ偏見を捨てて欲しかっただけだ。
「晴さんはこれまで、女性冒険者と言うだけで侮られて悔しい思いをされてきたんですよね?」
「うん」
「ローランさんは冒険者は命懸けの仕事なのに、その扱いが悪いことを知っていたし、同じく悔しい思いをしてきたんじゃありませんか?」
「お、おう」
「他者に軽んじられ、侮られる悔しさを知っているのに貴方たちは主婦やメイドを侮った。それは何故ですか?」
「それは……」
菊乃井の応接室から入る日差しが、暖かに二人を照らす。
二人の前に置かれた紅茶が、彼らが身動ぎするのに合わせて、カップの中で波紋を描く。
「知らなかったから」と、小さく晴さんが呟いた。
「知らなかったからよ。私、主婦やメイドの仕事をちゃんと理解してなかった」
「俺もだ。単に食器を洗うにしても脂汚れの落とし方と、茶渋の落とし方は違うとか、そんなことも知らなかった」
「そう、全ては『知らない』から起こるんです。だから私は学んで欲しい。この世の争い事の大半は、知識不足と不理解で起こるのだから」
一口、淹れてもらった紅茶を口に含む。
あらかじめ蜂蜜を入れて調整してあるそれは、私好みだ。この私の好みの紅茶の淹れ方を覚えるまで、宇都宮さんは大分しごかれたという。
紅茶のごとき些細なことで叱られるような仕事は、決して楽な筈がない。
私が口をつけたことで、晴さんもローランさんも緊張が解れたのか、同じように紅茶を飲んでほっと一息吐く。
その晴さんの前に、私は風呂敷包みを差し出した。
「これは?」
「ご所望の女性用の下着セットです」
「開けても良い?」
「勿論」
好奇心で眼を爛々とさせる晴さんの言葉に頷くと、少しだけローランさんがぎょっとする。「俺がいるのにか!?」と悲鳴をあげるのに、晴さんはどこ吹く風で。
「丁度良いじゃない。これも人生経験よ! 何が要るのか知ってれば、困ってる女性冒険者を助けてくれるでしょ?」
「ま、まあ、そりゃあ」
「待ってください。見たくないと言うものを、無理に見せるのも嫌がらせです。ローランさん、嫌ならはっきり断ってください」
「い、いや。大丈夫です。誰かが困ってるときに力になれるかも知れんのなら、恥ずかしいとか言うてられん」
「解りました。では、どうぞ」
するりと解かれた紫の包みの中には、晴さんが好きだと言った青色のブラジャーとボクサーパンツに似たショーツが三組。
っていうかね。
この世界、なんとブラジャーがあったのよ。
そういや、前世でも十五世紀辺りに作られたブラジャーに似た下着が、オーストリアのお城から見つかってるんだよね。
いやね、それ以前にもブラっぽいのはあったにはあったんだ。だけどそれは、胸を全体的に布で押さえつけて動かないようにするためのもので、肩から吊り下げタイプではなかったらしい。
オーストリアでそれが見つかる前は、コルセットと一体化したものが大体主流で、ブラジャーのデザイン自体はこれも二十世紀初頭に出来たものと思われてたそうだ。
ところがどっこい。
そのお城から見つかったブラジャー、なんと刺繍とかしてあった。つまり、見せるものとしてと使われてた形跡があったとか。
それで見せて貰った晴さんの下着もそんな感じで、帝都のオートクチュールで作ったそうだ。
まあ、凄く可愛い刺繍がしてあって、お高そうだったわ。
それをちょっとほどかせてもらって、構造を勉強したあと、ちゃんと元に戻しましたとも。
そんな訳で、刺繍も施した下着セットをご用意したわけですよ。
「効用としては、胸の方は物理防御向上、下着の方は『血の道症』対策に、冷え症防止の為の保温やら、精神異常耐性やらつけておきました」
「あー……ちょっと鑑定させてね?」
晴さんがポケットから鑑定モノクルを出して、下着を隈無く眺める。
何度も頷くと、今度はモノクルをローランさんに渡して、彼も同じようにモノクルを覗いた。
すると「うーむ」と顎を擦って唸る。
「相変わらず布や糸は安物なのに、付加効果がきっちり付いてるのは流石というか……」
「量産するならコストを抑えて、利益を出さなきゃですからね」
因みに今回縫製したのはエリーゼで、私は歌で付加効果を後々付けただけ。
そう説明すると、晴さんは小さく頷いた。
「充分、うぅん。それ以上だよ。そのエリーゼさんも貴方が任せるくらいなんだから、腕の良いひとなんでしょう」
「ええ、私と同様『青の手』持ちです」
「わぉ……!」
「凄い!」とローランさんの肩をバシバシ叩きながら、晴さんがはしゃぐ。
人が物を作り始めたのは、利便性だけでなく、案外こう言う誰かの喜ぶ顔見たさかも知れない。
「お客さんはお帰りになったので?」
「ああ、はい」
夕方、書斎で祖母の日記を読んでいると、細長い影が差す。
顔を上げれば西日に照らされたロマノフ先生の、緑の眼が優しく私を見ていた。
あの後、晴さんはモジモジと手を組み合わせながら「私もEffet・Papillonの顧客になりたい」と申し出てくれて。
承知すると「材料を持ち込みしたら、ちょっとオマケしてね?」なんて言いながら、ローランさんと街に戻っていった。
「ローランに『この世の争い事の大半は、知識不足と不理解で起こる』と言ったそうですね」
「はい」
向かい合う相手のことを知らないから、自分の価値観や正義が全てと思い込んで、それを相手に押し付ける。
その押し付けが受け入れられないことから端を発して、争い事はおこるのだ。
しかし、相手の事情を充分に知っていたら、あちらの事情を考慮した条件を示せるし、まず自分の価値観やら正義を一方的に押し付けようとはすまい。
そう言う意味だと話せば、ロマノフ先生は「なるほど」と細い顎を撫でた。
そして、今回の件で私も思い知ったことがある。
「私も他人のことは言えないなって思いました」
「他人のことは言えない……ですか?」
首を傾げるロマノフ先生を見ながら、読んでいた祖母の日記を畳む。
温故知新。
領地を富ませる工夫がないか探すために、祖母の日記を読むことが、最近日課になった。
窓の外は沈む夕陽の赤が、やけに眼に滲みる。
「私もね、領主の仕事に一枚噛むまでは両親を愚かだと思っていました。領主がどんなに忙しいのか知らなかった癖に。とは言え、知った今だって愚かだと思ってますけど」
あの人たちはあの人たちなりに何とか立ち回っていて、それで菊乃井は揚々立っていたのかもしれない。
でも私とあの人たちの関係は冷たい。
人は自分の鏡。
あの人たちが私を疎むように、私もあの人たちを疎む。実に心暖まらない関係だ。
そして、その心暖まらない関係の末に、私はどうにかして両親から権力をもぎ取ろうとしてる。
「父に関しては尽力頂いた結果、近い将来追い落とせる見込みが出てきました。ですが、それが叶ったとして、あの子は……私のひよこちゃんは、私をどう思うでしょう」
今は懐いてくれている。でも、あの子の大事な父親を、私は引き摺り下ろすのだ。
険悪な仲とはいえ、子から追い落とされる父親の受ける社会的な打撃は計り知れない。
私が自分の父親を追い落とした人間だと分かった時、あの子は私を憎むだろうか。
そうして、私はその時、あの子を恨まずにいられるだろうか。
「自信がない」と告げれば、ロマノフ先生の眉が寄った。
「お互い疎みあい、憎しみあう。こうして負の連鎖は続くんです。因果応報とはよく云ったものですね」
でもだからって、あの子を手放そうとは思わない。例え将来憎しみあうことになったとしても、私は今出来ることをあの子にしたい。
その結果、あの子が私を殺すことになっても。
呟けば、密やかにロマノフ先生がため息を吐く。
「私たち教師が、それを阻止するためにレグルス君を手にかけるとは思わないのですか?」
「先生方が教え子を弑するなんて思えません」
「君がレグルス君の手にかかってしまっても、仇討ちもしないと思われてるのは心外ですね」
出来の悪い生徒を宥めるように、ロマノフ先生が肩を竦めた。
それに私は笑顔で答える。
私は、そんな望みは抱いていない。
「私が先生方に仇討ちを望むことはありません。もし最悪私が死んでも、怒りも恨みも呑み込んで、あの子を助けてやってください。でなくては負の連鎖がどちらかの血脈が絶えるまで続いてしまいます。遺言書に書き加えますから、そのおつもりで」
暮れる夕陽に未来のレグルスくんの姿が重なって。
触れられないと分かっていながら、手を伸ばさずにはいられなかった。
お読み頂いてありがとう御座いました(^人^)
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活動報告にも色々書いておりますので、よろしければそちらもどうぞ( ^-^)_旦~