書籍15巻発売記念SS・人、それを妄想力……じゃなくて、想像力と呼ぶ
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次回の更新は、8/22の朝6時です。
通常の本編更新です。
なみなみと神酒の注がれた真っ赤な盃を、すっと目の前に差し出される。
恐縮しきりでそれを受け取ると、盃をくだすった武神がにっと口の端を引き上げられる。
隣に座した相棒も、普段のトンチキぶりは何処にやったのか緊張の面持ちだ。鹿だからたいして表情筋動いてないけど。
「飲め」
「は」
短く、けれど否やを言わせぬ力の籠った言葉に、粛々と盃に口を付ける。
百華公主様の桃園で作られた仙桃と、氷輪公主様の月のお宮に湧き出る清水――変若水で作られた酒は、天上でも力の強いお方々しか飲むことを許されない。
稀に気に入った者に振舞われることもあるそうだけれど、人間から神になっただけの下級の地方神にそんな機会があるとは考えたこともなかった。
その酒が盃一杯に注がれ、俺とラトナラジュは飲み干すまで許されそうもない雰囲気のただなかにいる。
鹿にこの平らの盃はちょっと辛くないか?
酒を飲みつつ、目の前に広がる光景――天上の特に力の強い六柱の神々が、俺とラトナラジュの一挙手一投足に注目している――から、現実逃避にそう思う。
すると、艶陽公主様が「あ、そうじゃな」と短く。
何が、そうじゃな?
コクコクと甘い、けれど酒精の強い液体が喉を焼く。
旨い、んだと思うんだけど、正直周りのお偉いさんが気になりすぎて、味が分からない。
そんな俺を尻目に、ラトナラジュの前には黒い染料の艶やかな椀が置かれた。それもラトナラジュが顔を突っ込んでも大丈夫そうな大きさのが。
「鹿じゃものな。盃だと零してしまうやも知れぬし、こちらの方が気兼ねせず飲めるかや?」
「……勿体なきお心遣い。恐悦至極に存じますれば」
鹿なのに難しい言葉を使うもんだ。
何千年かに渡る付き合いだけど、コイツがこんな丁寧に話すなんて初めてに近い。
驚いていると、俺の驚愕を察した鹿がじっとりと俺を見て来る。こっち見んな。
今日は何やら宴らしい。
普段俺らが過ごしている下界の、菊乃井という領地で六柱の大神方に感謝を示す祭事が行われる。
それに合わせて祀られている神様方が集まって、どんちゃん騒ぎするんだそうで。
一地方、それもあんまり関係なさそうな土地の土地神である俺らが、そんなお偉いさんの集まる席に呼ばれる理由ってなに?
考えながらもこくこくと酒を飲み干せば、酒精の混じる息が口から勝手に出た。
無礼になったらどうしよう? 俺は根っからの庶民だし、ラトナラジュは鹿だ。礼儀と言われても、頭を下げて失礼にならないように言葉遣いに気を付けるくらいが関の山。
横の普段は傍若無人が鹿の皮を被ったようなやつも、ガチガチに緊張しているのが解る。
飲み干した盃をすっと目の前に現れた膳の上に置くと、百華公主様が薄絹の団扇を閃かせた。
「さて、今日の仔細を話してやろう」
「は」
「そなた、菊乃井鳳蝶を知っておるな?」
「存じております」
その名は、俺とラトナラジュが宿敵を討ち果たすための手助けを頼んだ子どもの名で。
強い神聖魔術を使えるようだから、てっきり艶陽公主様の眷属たる国の出かと思ったら、そうでなく。
百華公主様を始め、我らが主のイシュト様や海神・ロスマリウス様、氷輪公主様や風の神・イゴール様や艶陽公主様の加護を持っていた。
お蔭で宿敵を倒せたのは良いけれど、神も縦社会。
知らずに声をかけたとはいえ、俺より遥かに上の御方の庇護を持つ者を勝手に使ったとあれば大変なことになる。
お叱り覚悟でイシュト様やロスマリウス様にご報告申し上げたら、ロスマリウス様には「アイツ、本当にヤベェな」と大笑いされ、イシュト様には「良き座興であった」と褒められ。
オマケに俺とラトナラジュはその日から、時が流れて俺らを覚えている人間が減るごとに失われていった力が、何故か徐々に戻り始めたのだ。
あれはジュンタって娘が鳳蝶達から俺らの話を聞いて、小さな石の塚に朝な夕なに花と感謝の祈りを捧げてくれたからだと思ってたけど、それにしちゃ戻る力の量が多いよな……と。
そしたらなんと、鳳蝶とその一行が俺とラトナラジュが天地の礎石辺りをずっと守って来たって話を世間に発表してくれたからだってさ。
ジュンタがそういう風に霊媒師の婆さんに話してた気がする。
ジュンタの村は、鳳蝶が俺らの話を公にしたことで、観光客やら色々が増えて、一気に金回りが良くなったそうだ。
その感謝に俺やラトナラジュを祀る祠までジュンタは建ててくれた。
鳳蝶との縁はジュンタの力になる。
生前冒険者として培った俺の勘がそう告げるから、ジュンタには急いで菊乃井に、鳳蝶の治める地に行けって神託を下しておいた。
それが今日、この日。まさか神々が宴を開くとは思ってなかった。
呼び出された俺らは、てっきりお叱りを……鳳蝶とジュンタの縁を勝手に繋げたことに対して……受けるのかと思いきや。
緋色の敷物の上に座れと招かれ、ビビりながら跪座を取れば、渡されたのは朱の平たい盃。それも神酒をなみなみと注いだ。
上座にお座りになった六人の大神様方の視線が俺らに注がれる。
百華公主様が薄絹の団扇を翻し、艶やかに唇を引き上げられた。
「さて、今日そなたを招いた理由じゃが」
すわお叱りか。
ほんの少し構えると、近くて遠い場所から氷輪公主様のお声があった。
『お前達を叱る理由はない。鳳蝶を討伐に誘ったことは、加護ゆえの試練だろうと思っている』
「は」
『それにお前達との出会いは、鳳蝶の新たな力になった。結果としては上々だ』
「恐れ入ります」
いや、何のことか俺にはさっぱりだけども。
俺らは地方神だから、世界の大きな流れを知る由もない。せいぜいが守っているあたりの状況の把握くらいだ。
だから上々と言われる理由も掴めない。
ラトナラジュに目で問うても、俺と同じでやっぱり何のことか分からないようで。
まあ、でも怒られなかったし、いいのか?
視線でラトナラジュに言えば「多分」と、アイツの目が伝えてくる。
でもじゃあ、呼ばれた理由が益々解らない。
俺らの困惑に気が付いたのか、イゴール様がひらひらと手を振った。
「イシュトもロスマリウスも、来いっていうだけで説明しなかったんだろ?」
「んあ? 言ってなかったか?」
「恐れながら……」
もう俺さっきから「恐れながら」とか「恐れ入ります」とかしか言ってない気がする。そしてラトナラジュに至っては、話せる癖に単なる鹿に擬態していた。お前も喋れや。
若干のイラつきを腹の底にしまいつつ、苦笑いだ。
すると艶陽公主様が、はわっとしつつこちらに声をかけてくださった。
「そうかや、それは済まなんだ。吾が兄様方に、そなたらを呼んでたもとお願いしたのじゃ」
「は、然様でございますか」
「そうなのじゃ。これから菊乃井歌劇団のミュージカルが始まるのじゃ。そなたらの伝承を元にした話での」
「……え?」
きょとりと俺もラトナラジュも瞬く。
ミュージカルってなんだ? 歌劇団って言うからには、劇か?
初めて聞く単語にラトナラジュと目を白黒させていると、百華公主様が自信に満ち溢れたお顔をなさる。
「妾の臣である鳳蝶が、異世界の歌劇をこちらの世界でも見られるように励んでおるのじゃ。今日の宴で、こちらの世界で作られた最初の作品の一部を披露する。その物語はそなたから鳳蝶が聞いたそなたらの身の上話を元に、物書きに筋書きを作らせた物なのじゃ」
「え、えぇ……?」
俺、そんな大層な話を鳳蝶にしたっけな?
隣で置物のように固まっていたラトナラジュに、視線で問い掛ける。
コイツ、あのときは面倒だって俺の傍にいた癖に、鳳蝶の前に中々姿を現しやがらなかったんだ。
けれど話は聞いていたはず。
じっとり視線を向けていると、ようやく口を開く覚悟が出来たのか鹿の口が動いた。
「お言葉ながら、我らは特に芝居になるような話を彼の者に聞かせた覚えがなく……」
ラトナラジュの言葉に合わせて、俺も首をブンブン上下させる。
しかしそれに艶陽公主様がにこっと笑った。
「そなたらの話に物書きが色々足して、劇になるような物語にしたそうなのじゃ。それでどの辺りまであっているのか、直接聞きたいと思っての。忙しいであろうに、ごめんなのじゃ」
丸いふくふくとした頬っぺたを、恥ずかしそうに赤く染める。
俺に妹はいないけど、幼馴染のことを僅かに思い出して微笑ましくなった。
それと同時に背中に悪寒が。
氷輪公主様と百華公主様から「分かったらつべこべ言わずに話せ」という、無言の圧が向けられていて。
「その、拙い昔話でよければ」
「覚えている限り、全てお話いたしましょう」
頭を艶陽公主様に垂れると、圧がすっと消える。
それと同時に、イゴール様が「始まるよ」と仰った。
宴席の中央に据えられた鏡に、地上の様子が映し出される。
霞の中に浮かぶ舞台に、チラチラと魔術の花が散って酷く神秘的だ。
静々と幕が開いたかと思うと、音の洪水。
賑やかに打ち鳴らされる手と、響く足踏みの音。それから華やかな曲に、少女たちの声が合わさった。
聞いたことのない調子に合わせて踊る少年姿の乙女達は、凛々しくもしなやか。
こんなものは知らない。
隣でラトナラジュが口を開けて呆然と鏡に見入ってるのに気が付いて、何だか可笑しかった。でもきっと俺も似たような表情をしていると思う。
ワクワクするような踊りや歌は、これから始まる楽しい舞台を予感させるのに十分なもので。
見入っていると、歌が終わって舞台の上が暗くなる。
まさかこれで終わりか?
ラトナラジュと顔を見合わせていると、鏡の中の舞台に動きがあった。
水色の衣をまとった稚い娘が舞台の袖から中央へと歩む。
その姿に俺は既視感を覚え、ラトナラジュを見た。ラトナラジュのほうも既視感があったようで、俺を凝視している。
娘が纏っている水色の衣は、俺らが生きていた頃の流行の服だった。年頃の娘は皆あんな服を着たがって、自分で糸を紡いで布を織って……。
遥か昔、まだ人間だった頃。それも幼い頃の風景が不意に呼び覚まされて、胸が詰まる。
水色の衣を翻し、少女は歌う。
今は昔の天地の礎石が出来るその以前。
俺とラトナラジュ、そして幼馴染の間に流れていた穏やかで優しい時間を。
懐かしさに目を細めれば、隣でラトナラジュも同じ眼差しで鏡を見ていた。
あの優しい時間は、呆気なく終わりを迎えた。
俺の何が気に障ったのか、何が駄目だったのか、俺には今でも分からない。ラトナラジュにも分からないそうだ。
あのときの幼馴染と同じく、舞台の少女は俺を……ウイラという存在を襲った暴力に嘆き「逃げてくれ」と涙を流す。
それだけじゃなく、あのときはそれこそ世界を滅ぼさんばかりにラトナラジュは怒り狂った。
舞台の上のラトナラジュも、同じように怒り狂う。その怒りを、舞台のウイラと少女は宥めるために言葉を尽くして。
それもまた、あのときの俺と幼馴染の再現のようで、胸に苦みが走る。
あのとき、幼馴染を連れて行っていたらどうなっていたんだろう? あの子は生贄になどされなかった? それとも親との離別に苦しんだだろうか?
今となっては昔のこと。
歴史の流れに「たられば」はない。
俺はラトナラジュとの旅を選び、彼女の言うままに逃げた。そしてほとぼりが冷めた頃に国に戻り、彼女の惨状を知って、あの宿敵を討ち果たしたからこその今がある。
後悔はしていないけれど、自分の過去を改めて見せられると、もっとやりようがあったのでは……と。
隣のラトナラジュにもたれかかると、鹿の顔が俺に寄り添う。
気が付けば舞台が暗転して、俺とラトナラジュの話は中途半端に終わりを迎えていた。
ノロノロと顔を上げれば大神の皆様の目が、全て俺とラトナラジュに向いていて。
何か言わなければと思っていると、するっと言葉が口から出た。
「あの、この物語書いたやつって過去を覗けたりするやつです?」
鳳蝶に教えてないことまで当たってて、すげぇ怖いんですけど。
寧ろ、なんで幼馴染が女の子って解った? 俺らそんな話したっけ?
俺の記憶の中じゃ、当たり障りない事情説明しかしてないはずなんだが。
ラトナラジュも「詳しく話してないぞ」と同意してくれている。
それで何で解ったんだよ、怖すぎるだろ。
ぶるっと身体を震わせると、艶陽公主様がそっと俺らから目を逸らす。それだけじゃなく百華公主様や氷輪公主様もだ。
なんで? どういうこと?
ちょっとどころか不敬だけどドン引きしていると、視線を逸らしたまま百華公主様がもそっと呟かれる。
「この物語を書いた男、相当に妄想力、いや想像力が豊かでな」
なにそれ怖い。
神様って言われる立場になって、俺は初めて人間って怖いって思った。
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