手を伸ばすための集合知
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次回の更新は、6/2です。
背後に暗雲が立ち込めているようなルイさんの雰囲気に、息を呑む。
これは多分重大事案。
そう思って「どうぞ?」と真剣な顔でこちらも受けてる。
真面目な重苦しい雰囲気で彼が口を開く。
「我が君の仰る育児休暇というものを、私も取得できないかと……」
「うん?」
物凄く申し訳なさそうな声で彼が話すには、初めての子どもということで、ルイさんも大分浮かれて部下の人に色々聞いて回ったんだそうな。
それで大概の人が奥さんに赤さんの世話を全部任せて、自分は何もしなかったと、子どもがかなり成長した今でさえ恨まれているという話を沢山聞いたそうだ。
それだけでなく、お子さんがいる女性も役所では働いているから、その人達からも産後の恨みは一生涯続くという怖い話を聞いたとか。
実際夜泣する赤さんに付き合うことで、寝不足でフラフラしてるのに、旦那さんは一切育児に協力してくれず、それどころか自分の世話までさせるとかで大揉めに揉めて三行半を突き付けた人もいたという。
ルイさんも知識としては産後の女性の身体は凄いダメージを受けるって言うのは知っていたけど、実際当事者や家族の意見を聞いて「これは仕事を休んで育児を自分もしないといけない」という方向に意識がいったみたい。
でも今菊乃井は色々と忙しくて、自分が抜けることで各所……主に私にしわ寄せがくるのでは……と。
それが申し訳ないというので、背中に暗雲が立ち込めていたらしい。
「なぁんだぁ、びっくりしたー!」
あんまり暗いから、領内の統治で重大事が発生したのかと思った。一安心。
でもルイさんとロッテンマイヤーさんご夫婦の間では、一大事なんだよね。だけどそういうことなら杞憂ってもんだ。
「構いませんよ。っていうか、率先してお代官が育休を取ったら、ロールモデルになるんだから当然推奨するでしょ」
「は、しかし……」
「あー……権限の問題があるよね。そこは……そうだな、家にいても執務が少し出来る方向で調整するとかは?」
「家で、ですか?」
きょとんとルイさんとロマノフ先生が瞬く。
役所から持ち出し厳禁の書類とかはどうしようもないかもしれないけど、決裁の権限を私もしくは副代官に回して、報告を受けたりしたり・会議なんかは家でも出来る。
なにせ菊乃井には遠距離映像通信魔術という強い武器があるんだから。
「在宅で勤務すればいいんですよ。育児の合間に出来る仕事をすれば、私や現場に負担が~なんて思わずに済むんでは? あくまで育児がメイン、仕事は時間が出来たとき!」
「ああ、それなら育児の気分転換にもなりますね」
ロマノフ先生がぽんっと手を打つ。
「はい。ロッテンマイヤーさんにも出来ればそういう感じで産休・育休の間に、ちょっと空いた時間で屋敷の運営に助言をもらえればいいかなって思ってたんですよ。完全に休ませてあげたいけど、そうすると息が詰まるっていう人もいるみたいだし……」
ロッテンマイヤーさんにどちらか選択してもらおうかとは考えてるけど、やっぱり私もロッテンマイヤーさんの顔を一日一回は見たいし。
もしかしてロッテンマイヤーさんがちょっと普段と違う感じだったのって、こういう心配をしてたからなんだろうか?
思い立ってそのことを聞いてみれば、ルイさんもロッテンマイヤーさんの様子がちょっと常とは違うと感じていたそうで。
「これからの話をすると、ほんの少し戸惑った表情になることがありまして。私としても仕事と育児の両立で悩むことがあるのではと考えてはいたのです」
「なるほど、そうですよね。産休・育休を導入するっていっても初めての試みだもの、不安になるよね。まだ形にもなってないし」
「彼女は出産で身体に大きなダメージを受けるのです。そこから後は私が彼女を支えて育児の主軸になりたいと考えてはいるのですが、知識はあっても経験がないので上手く出来るかどうか、私としても不安ではあります」
「ああ、そうか。そういうことも考えないといけませんね。母親教室や父親教室も開催しないと……」
いつになく難しい顔をしているルイさんに、自身も育児経験のあるロマノフ先生が思いっきり頷いてる。
先生もだけどヴィクトルさんやラーラさんも、ロッテンマイヤーさんの遠い御先祖様であるレーニャさんの育児で苦労してって言ってたもんな。
やはり知識は力。力is知識。ここは頼れるお母様御経験者の皆さんの知識を分けていただこう。
というわけで。
「ソーニャさんとラシードさんのお母様のお力を借りましょうか? あと、奏くんのお母さんに……領内のお母様方のお知恵とお力を集結してもらうってことで」
「ああ、なるほど。育児経験者の経験と夫に対するアレコレを吐き出してもらって、それを次の父親候補生に伝授していく……と」
「はい。領内のお父様経験者のお話を聞いて、同じ轍を踏まない、見習うべきは見習う。そういう問答集みたいなものも作りましょう」
思い立ったが吉日ってわけで、ソーニャさんに後で連絡を入れておこう。
これも一種の学問だよな。どんなことも知の累積で乗り越えていける。菊乃井はその実証実験社会であれればいい。
ホクホクしていると、不意にルイさんが唇を引き結ぶ。ロマノフ先生も同じように、けれど少しの揺らぎを持って私を見ていた。
何だろうな?
首を傾げると、引き結んでいた唇をルイさんが解く。
「我が君のご経験も、どうか知識として我らにお伝えください」
「……え?」
ひゅっと喉が鳴る。
私の、経験?
パチパチと目を瞬かせると、ロマノフ先生が私の手を握った。
「君が受けた扱いは、とても酷いものでした。そんな扱いを受けた君の気持ちを、後世に同じ扱いを受けるかもしれない子達を助けるために、受けている子どもを見つけた大人達がその子を救い出すことに戸惑いを持たないために、伝えてほしいのです」
「それよりもっと前に、親が子を虐げることを防ぐためにもなるかと思われます。酷なことをお願いしているとは存じております。けれど……」
そうか。
子が産まれても、喜ばない親だっている。私のように、望まれない子どもだっているだろう。
でも私の中にある怒りは私だけのもの。それを伝えて、同じように怒りと憎しみで立ち上がれって言うのか? 私にはその環境があっただけ、助けてくれる人がいたからそうできただけ。何より伝えて同情されるなんてまっぴらごめんだ。
色んな感情がグルグルと渦巻く。
ふと、ロッテンマイヤーさんの姿が頭を過った。
彼女はいつか私に「親に愛されたことのない自分に、若様をまともにお育て出来るとは思えなかった」と話してくれたことがある。
養育係が自分でさえなければ、私はもっと幸せに育てたのではないか、と。
彼女はあのとき、どういう思いでその言葉を口にしたのだろう。
そして実際、ロッテンマイヤーさんのお腹の中には彼女とルイさんの赤さんが育っていて――。
「……ロッテンマイヤーさんと話さないと」
「鳳蝶君?」
「だめだ。私、ちょっと見誤ってました。運河とかどうでも……そんなことより大事なことがあったのに」
「我が君?」
がばっとソファーから立ち上がった私に、ロマノフ先生からもルイさんからも驚愕の視線が寄せられる。
掴めない危機感の正体は解った。
今すぐロッテンマイヤーさんと話さないと。
「私の経験の話はちょっと保留! それよりも大事なことがあるので!」
居ても立っても居られないってこういうことを指すんだろう。
腰にベルト代わりに巻いてる夢幻の王が、魔力発露に「あ、転移ですね~! ひゃっふー!」と喜んでるのを聞き流す。
それからロマノフ先生にレグルスくんをお願いすると、一気に景色が飛んだ。
「ロッテンマイヤーさん!」
着地は屋敷のエントランス。
花を活けていたロッテンマイヤーさんが振り返った。
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