おだてられなくても豚はおどる
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あのお話合いの後でヴィクトルさんもラーラさんも、そのまま屋敷に滞在することになった。
ロッテンマイヤーさん曰く、昔の菊乃井は毎日お客様がいらっしゃるような大貴族だったから客間は沢山あるし、不意の来客に備えて常に使用できる部屋を二部屋ほど調えてあるそうで。
既に滞在が決まっていたヴィクトルさんの部屋は、彼のリクエスト通りに調えられていたそちらを、ラーラさんに関しては来客用に調えてあった部屋を使って貰っている。
ただ、ヴィクトルさんのピアノだけはお部屋に置くことができなかったので、それこそ昔賑わっていた頃にちょっとしたパーティーに使っていたホールを掃除して、そこに置くことになって、歌のレッスンもそこでするそうだ。
ラーラさんのレッスンも、そのホールでするのだそうだけど、カリキュラムはダンスだけに寄らないらしく、歩き方や座り方、果ては社交界で貴婦人が扇を使ってする合図の意味まで多岐に渡るらしい。
「例えば……扇の先端に指で触れれば『貴方とお話がしたい』とか。そう言う貴婦人の所作を知っていて会話なり対応しないと、野暮で気のきかない男だと思われて、まず良い婚約者とはみなされないね」
「あー……ねー……」
ラーラさんの言葉に、思い当たる節があるのかヴィクトルさんの目が暗い。死んだ魚かと思うくらい暗い。
でも婚約者のいない身の上には関係ないんじゃないかなぁ、なんて。
そんな私の考えを読んだのか、ラーラさんとヴィクトルさんが揃って「甘い」と首を振る。
「あーたん、社交界は婚約者を見繕う場所でもあるんだよ。貴族同士の結婚なんて、当人たちの感情よりお家の事情が優先される。家が小さいところはより大きな家と繋がりたいし、お金がない家はある家と結び付きたい」
「だから貴族の子女は自身を磨き、それを武器に余多いるライバルを倒して目的に至る。それだって、自分の幸せのためじゃない。家、つまり自分達に仕えるもの、ひいては領民たちのためでもある。彼、彼女たちには高貴なる者の義務を果たす責任があるからね。責任感の強い子女こそ、その傾向が強いのさ」
「大きな家に与することで、領民を要らぬ争いから守ったり、経済流通の中に組み込んでもらえて、領地全体を豊かに出来るから……ですか」
「他にもあるけど、だいたいそんなところだね」
世知辛い。
こどもなのに、そんなこと考えて結婚相手探さなきゃいけないとか、本当に世知辛い。
まあ、でも私には関係ないや。
豚と結婚したい女の子はいないだろうし、私の将来はもう決まってるしね。
ロッテンマイヤーさんとの約束もあるし、やりたいこともあるから、それまでは健康でいたいだけ。
「それは兎も角として、ヴィクトルさんとラーラさんが一緒にいる理由ってなんですか?」
「ああ、あのね。ラーラのカリキュラムには歩き方とかダンスがふくまれるでしょ? それを歌いながらやったらどうかなって」
「そもそもダンスにはどうしたって音楽が必要だし、ヴィーチャから聞いたけどまんまるちゃんは歌って踊ったりする劇……ミュージカルだったかな。それをやれる人を教育したいんだろう? なら先ずはどんな感じか再現する必要があると思うんだ。だけどそれを知ってるのは、神様以外はまんまるちゃんだけだからね」
「わぁ……」
歌って踊るとか、アイドルか。
いや、単なる豚だけど。
大変なことになってしまった……。
とは言え、いきなり歌って踊るなんて無理なので、それは後日と言うことに。
私はと言えば、踊りながら歌える歌を記憶の隅から発掘がてら、姫君にことの次第をご報告に上がった。
「……呪いをかけられて獣に姿を変えられた王子は、清らかで優しく美しい少女の真心の愛で、自らの姿を取り戻した、めでたしめでたし……のう」
「はい。その物語をミュージカルにした時に歌われた曲なんですけど、主役二人がダンスを踊るときに歌われるのです」
レグルスくんの手を取って、拙く踊りながら歌う。
ミュージカル時にはポットに変えられた、王子に仕えていたご婦人が歌っていたけれど、一番新しい映画では主役の二人が歌う歌詞も追加されていた気がする。
ともあれ、優雅とは言い難いけれど、ダンスをしながら歌うのは、姫君の趣向にもあったようで面白いと頷いておられて。
「痩せられる上に、ミュージカルの再現に役立つのであれば、一挙両得と言うものじゃ。妾のためにもしかと励むがよい」
「はい、頑張ります……」
「れー…じゃない、わたしも、がんばります!」
「はい!」と、おててを上げて良い子のお返事をするレグルスくんだけど、どうしてもまだ「あい!」に聞こえる。
三歳だもんね、舌足らずでも仕方ない仕方ない。
よちよちとワルツどころかフォークダンスにも遠いステップだけど、レグルスくんはお気に召したらしく、くるくると私の手を引いて回る。
揺れる視界で姫君が眼を細めて、柔く美しく微笑んでいるのが見えて、それも何だか得した気分。
「それはそうと」と、姫君からお声がかかるまでレグルスくんと踊っていた。
「ヴィクトルとやらいうエルフじゃが、妾の望み通り譜面を起こし始めたのかえ?」
「あ、はい。一応思い出せる限り、前奏からメロディをお聞かせしつつ、聞き取りして貰っています」
「然様か。なれば対価を払わねばならぬの」
ふわりと薄絹の団扇が閃くと、何もない空間に木の枝のようなものが一本現れる。
宙に浮いたそれは、姫君が団扇をもう一度振るとふよふよと私の目の前に来て、手を差し出すとその上にポトリと落ちた。
よくよく見れば、木の枝には指で塞げる程の穴が規則正しく空けられていて。
「これは?」
「エルフの始祖が妾に捧げた原初の笛よ。音楽を愛し、人に混じるエルフに渡すにはこれより最たるものはなかろう」
姫君の仰るには、この笛の持ち主の始祖エルフは、人間に混じって生活していたそうだ。
彼が笛を奏でる時には、必ず側に叩いて音を出す太鼓のような物を持った人間の友がいたそうで。
始祖エルフが笛を姫君に捧げたのは、太鼓を奏でる友が死んでしまったからだそうな。
友との永訣の証は、即ち人間との決別の証。
「どんなに心を通わせても、人間はエルフより遥かに先に旅立ってしまう。それが辛いと、彼のエルフは妾にそれを託して去った」
「え……でもエルフって人間のことを見下しているって……」
「かつて始祖が人間と距離をおいて交流を絶ったのは、そういう経緯があったのじゃ。しかし、断絶が続くと最初の意図など忘れ去られ、勝手な偏見だけが独り歩きしおる。今のエルフを見れば、始祖が嘆くぞえ」
図らずもエルフと人間の歴史を垣間見てしまったのだった。
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