ジュニア文庫1巻発売記念SS・命を繋ぐ料理
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次回の更新は、9/4です。
通常のストーリーに戻ります。
後にも先にも、ロッテンマイヤー夫人のあんな悲鳴のような声を聞いたことがない。
「若様が、お目覚めになりました!」
歳の暮れから寝込んでいた、俺の御主人、菊乃井家のご嫡男鳳蝶様がようやく目を覚まされて、それを触れ回る彼女の声。
鳳蝶様……若様は不憫な子どもだった。
両親は彼を愛していない。都合がいいから作って、都合が悪いから放置する。死なない程度に生かして置け。
それが若様のご両親である奴らのやり方だった。
雇い主に対して「奴ら」というのは不敬だろう。けれど本来の俺の雇い主は、奴らの先代にして若様の祖母である先代伯爵夫人の稀世様だ。奴らを主と仰いだことなどない。
俺は親から丁稚奉公に出された料理屋で、いじめにいじめられて、そこを逃げ出した。でも料理は好きだったから、あっちこっちの店に見習いで勤める傍ら、冒険者として稼いでいた。
小さな店を出したい。そういう夢があったからだ。
でもその夢は叶わなかった。店を持つための金を騙し取られて途方に暮れていたところを、料理長を求めていた大奥様に拾っていただいた。
その大奥様はもうこの世にはいらっしゃらない。
それでもここに留まっているのは、大奥様から受けた恩を返すため。それからあの方の遺言通り、若様を御育てするためだ。
とはいっても、俺はろくすっぽ親に育てられてこなかった。俺だけじゃない、この屋敷にいるものほぼ全て、親にろくに育てられなかったか、死に別れたかで、愛されて育つという経験がないものばかり。
若様にどう接していいか、どうやれば育てることになるのか、全く解らないままに、気が付けば若様は癇癪を起す子どもになっていた。
昔、冒険者時代に少しだけ聞いた事がある。
子どもっていうのは自分の気持を言い表すことが出来ない。だから泣く。全身で気持ちを表すのだ、と。
言葉を上手く使えない子どもの、精一杯なのだとか。
それを大人としては汲み取ってやらないといけない。なのに俺達はどいつもこいつもそれが出来なかった。
俺は親父らしき男に殴られ、おふくろにヒステリックに怒鳴られて育った。そのせいか、怒鳴り声もヒステリックな高い声も苦手だ。このお蔭で、まともに若様と触れ合えたこともない。
愛されて育ったわけじゃないから、愛し方が解らない。
それならせめて、俺は料理長なのだから、旨い飯を作ることで伝えられないかと思った。
試行錯誤を繰り返し、好みを把握して、よく食べるものを模索する。
そういうことを続けて、若様は食事をするときは機嫌のいいことが増えた。
いつも不機嫌そうに寄せられている眉が、甘いものを食べたときは解ける。好みの味に行き当たったときは、仄かに笑うこともあった。
それが、嬉しかった。
俺でも、誰かを幸せにしてやれるんだと、ほんの少し誇らしかった。
でもそれは俺の自己満足に過ぎなかった。
本当に可愛がる、愛するというのは、ひもじい思いをさせないだけじゃない。
若様が流行り病にかかって、死ぬかもしれないとなったときに、屋敷にいる大人は気が付いたのだ。
必要だったのは、どんなに怒鳴られてもヒステリックに叫ばれても、真正面から抱きしめてやることだったんだ、と。
真正面から向かい合っているように見えて、全く向かい合ってなどいなかったのだ。
だって食事をしているときは癇癪がなかった。だからそのときだけはほっと落ち着けた。それがいつの間にか、癇癪を起す原因などそっちのけで、菓子でも食べさせておけば機嫌よく居られるだろうと、易いほうに流されたのだ。
俺は馬鹿だ。大馬鹿だった。
言葉を上手く使えない子どもが、全身で苦しみを表していたというのに。それをただ機嫌が悪いというだけだと流してしまった。
熱の下がらない若様を見舞う。
段々と赤みのあった丸いリンゴのような頬から、血の気が引いて青になり、白くなり、そして土のような色になっていくのを、俺達若様を取り巻く大人は黙って見ていることしか出来なかった。
神様に祈ることさえ出来ないほど、若様に死の影が張り付いていたからだ。
けれど奇跡的に若様はお命を取り留めた。
まずは熱が下がり、顔色が土のような色から青白いものの、血の通った人間の肌の色に変わり。
そういえば医者が俺に「暫く食事をしなくても何とかなるだけの体力があったから、病に勝つことが出来たのかもしれない」と告げた。
もしそれが本当であったなら、俺の愚かしさも少しは若様の御為になったのか。少し、慰められた。
熱が下がり始めて二日、若様はとうとう目を覚まされた。
そのときのロッテンマイヤー夫人の叫び声は、いつまでも心に残って離れない。
若様が目覚められて、俺がまずやったのは重湯を作ることだった。
熱で魘されている間、若様は水分を取っても食事は中々出来なかった。だから絶食していたようなもので、急に普段と同じ食事は出来ない。
だから重湯を丁寧に。
鍋に生米とその十倍程度の水を入れて、ゆっくりと。目覚めたばかりの胃に負担をかけないように塩はほんの僅か。
炊きあがったものをざるで丁寧に濾して、残った米は俺が粥にして食べた。当然味なんかない。でも、これが若様の命を繋ぐ味になる。そう思えば、今まで食ったどんな粥より旨かった。
他にはほんの少しだけ味噌を溶いた、ただの湯に近いみそ汁と、リンゴの搾り汁を極々薄めたものを。
それを一日四回、朝昼おやつ夕、食べられるだけ。
二日くらいそれを続けて、次に作ったものは粥だった。滋養が付くから卵粥と行きたいところだったけれど、胃が弱っているところに卵はあまり良くないと聞いたことがある。
だから三分粥を。塩は重湯のときよりほんの少し多めで。
まだ若様は朦朧としていて、いつものように沢山は食べられないようだった。それでも何も食べなかったときよりも、ずっと安心出来た。
食べられる量が増えてきたら、五分粥、七分粥と米の割合も増やして、副菜も少しずつ添えて。
全粥を食べられるようになった辺りで、卵粥にしてみたり、ミルク粥にしてみたり。
若様はどうやらミルク粥がお気に召したようで、病から回復して始めて「美味しい」とほんのり笑ったそうだ。
パンに牛乳、ほんのり蜂蜜。
若様は甘いものが好きだったから、少しだけ甘くした。
ようやく、そこまで回復なさったのだ。
その日は屋敷の皆で、若様の回復を祝って、若様が「美味しい」といったミルク粥を食べた。甘く作った筈なのに、落ちた涙で皆自分のミルク粥を塩辛くしていた。
それから、色々なことがあった。
目覚めた若様は、もう癇癪を起すこともなく、必要以上に菓子を食べたがることもなくなった。
それどころか、好んでいた濃い味付けのものを全て忘れたかのように遠ざけて。
痩せるためだと、何処から仕入れたか解らない「まごわやさしい」という食材の使い方も指定された。
まるでそれまでの俺のかかわりを、だからダメだったのだと否定されたようで辛かった。
けれど若様は仰った。
「料理長のご飯は、私の命を繋いでくれるものだから。料理長のご飯、好きなんだ」
俺は、今までと違う形で、だけど自分のやり方で、これからも気持ちを伝えることを許された。
これから先も、俺は俺の出来る形で、若様をお支えしよう。
親に愛されなかった子ども(俺)は、けれど守るべきお方から赦し(愛)をもらった。
俺が若様の命を繋いだというのなら、この先も何があっても俺はそのために料理を作り続ける。
俺はきっとそのために今まで生きていたのだろうから。
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