事実はありふれていて奇なり
いつも感想などなどありがとうございます。
大変励みになっております。
次回の更新は、7/10です。
ややあって。
「ちょっと待て、イフラース。おふくろの妹って、旅人と駆け落ちしたって話じゃ……?」
衝撃を自分なりに咀嚼したらしいラシードさんが、困惑の声を上げる。
私にしたって凄く疑問があるんだ。
「第一いきなり赤ん坊が増えたら、下の兄貴は兎も角、上の兄貴は気が付くだろう? もしかして上の兄貴も事情を知ってたのか?」
ラシードさんの疑問は即ち私の疑問だった。けど、まあ、考えられることはあるわな。
「赤子が増えてもおかしくない事柄があったんでしょう?」
赤子が増えても誤魔化しきれるなら、おそらくはそうだろう。ただもしもそうなら、族長の本当の赤子はどうなったのかっていう疑問が増えるんだけど。
事実を尋ねる私とラシードさんの視線に、イフラースさんは頷いた。
「ラシード様のお母上が駆け落ちしたというのも、間違ってはいません。ラシード様のお父上は身分を隠していて、その当時の族長で今はもうお亡くなりになったラシード様のお爺様に結婚を反対されて駆け落ちなさったのです」
話は続く。
ラシードさんの母上はそうまでして結ばれた夫と幸せに暮らしていたのだそうだ。しかし彼女は第二夫人だったそうで、それも第一夫人の許しなく夫が勝手に選んだ人だったお蔭で、周囲から随分と辛く当たられたそうだ。
けれどそんなラシードさんの母上を守ってくれたのは、留守がちな夫でなく、誰よりもラシードさんの母上を疎んでいるはずの第一夫人だったそうで。
第一夫人は少し変わった人で、恋敵という認識をラシードさんの母上に持つでなく、ただよく解らない場所に好きな人を追いかけて来た恋する健気な乙女として遇したのだそうな。
それにそもそも第一夫人には夫への恋慕の情がなく、家族の情はあってもそんな気にならないと話していたという。
それでも義務として産んだ子は可愛い。そしてこれからラシードさんの母上が生むだろう子どもも可愛いだろうと思うので、母親同士仲良くしたいと言っていたほどで。
「え? めっちゃ変わった人ですね」
ちょっと驚くよね。
やんごとない家で、第一夫人が選ばなかった第二夫人とその子どもなんて、厄介事の極みなのに。
ついつい出て来た私の言葉に、イフラースさんも頷く。
「はい。自分もそう思いましたが、とにかく浮世離れした方で……。本当にラシード様のお母上に親切にされていて」
「そ、そうか……。それで?」
ラシードさんは当事者だけど実感が湧いてないんだろう。困惑しながら続きをイフラースさんに促す。
「はい。そのうちお母上……アーティカ様はラシード様を身籠られ……第一夫人・ファーティナ様も、それはそれはラシード様の誕生を心待ちになさっていました。けれど……」
生まれたラシードさんを見た瞬間に、彼の母上はラシードさんを死産したことにしたいと言い出した。
「死産!? なんでだよ!?」
「ラシード様の、その立派な角です」
「は?」
動揺しているせいでラシードさんの声が強くなる。彼の背を柔く支えると、私は「何故?」とイフラースさんに問うた。
苦しそうに眉を寄せつつ、イフラースさんが説明することには、ラシードさんの本当の父上の一族の風習というか言い習わしが関係するとか。
曰く、彼の父上の一族は角の大きさで持っている力が変わるとされる。
そうはいってもラシードさんのお父上の一族は、己の一族の血を尊ぶあまり近親交配を繰り返しその血を細らせ、それを挽回するために外部から新たな血を入れたために、もう角を持つ子どもが生まれなくなって久しかったそうな。
ラシードさんの母上にしても角はなかったらしい。
しかし第一夫人の産んだ長男は髪に隠れて見えない程ではあったが、僅かに角があった。そのため彼がラシードさんの父上の跡継ぎで決まっていた。
だがラシードさんはその長男より遥かに立派な角を持って生まれて来てしまい……。
そこまで言われれば想像がつく。
「ラシードさんの母上は、友人になった第一夫人とそのお子の立場を守るために、ラシードさんを死んだ者としようとした、と?」
「はい。でも実際に命を取るなど出来ないから、姉上である現族長のアーディラ様の元へやる、と。それはもうファーティナ様は反対なさりましたが……」
その日から、ラシードさん親子の敵が増えた。まずラシードさんを取り上げた産婆が敵になり、第一夫人の召使も敵になったという。
それらラシードさん親子を亡き者にする企てを、第一夫人が持てる知恵と力全てを使って阻止していたけれど、彼女にだって限界はあった。なにせ第一夫人が信用していた者が、彼女とその息子の地位と正統性を守るために、敵として立ち塞がるのだから。
そして疲弊していく第一夫人に心を痛めたラシードさんの母上は、心身ともに弱り果てて儚くなってしまい。
それでも第一夫人はラシードさんの母上に代わり、我が子として育てるつもりだったそうだ。しかしラシードさんの母上に、我が子に平穏な人生を送らせたいと遺言されてしまっては、第一夫人も強くは言い張れず。
「アーティカ様の遺された手段でアーディラ様に連絡を取りつつ、私とラシード様を雪樹に逃がしてくださったのは、ファーティナ様なのです……」
沈黙が室内を満たす。
重苦しい雰囲気のなか、私はこめかみを揉んだ。疑問がまた出てくる。
「ラシードさんの父上は何をしていたんです? 妻子が危ないときに出てこないなんて、あり得ないでしょう?」
「折り悪く、周辺で大きな……死者が出るような大きな揉め事があり、それを治めに出ておられました。お戻りになったのは、自分達が雪樹に逃げてからだと、アーディラ様からお聞きしています」
なるほど。やんごとなき身の上っていうのは、もしかしたらかなり上のほうの身分ってことかも知れないな。
苦いものが口に広がる。
窺い見たラシードさんの横顔は、途方に暮れたような、迷子の子どものような雰囲気があった。
「それで、怪しまれず一族に入れた理由は?」
「アーティカ様がラシード様を身籠っておられた同時期、アーディラ様も三番目のお子を身籠っておられたそうなのです。出産時期も同じ頃だったそうですが、残念ながらその三番目のお子は死産だったそうで……」
雪樹の一族は、出産を控えた女性は、子どもが生まれる数か月前から生まれて半年ほど経つまで、山を下りて安全な場所で過ごすそうだ。
族長も当時、一族と二人の子を夫と長老に任せて山を下りていたという。
その間に入れ替わったというなら、ラシードさんについてはたしかに誰にも分からないはずだ。
しかしそれならイフラースさんはどうやって?
それは彼の出自とラシードさんの母上に受けた恩とを織り交ぜて話せば、誰もが納得したそうだ。
「自分は食い詰めた親に捨てられ、森をさ迷っていたのを、偶々ファーティナ様とお散歩に来ていたアーティカ様に拾われまして。ラシード様のお家で働くことになったのですが、出自故に盗みの濡れ衣を着せられ追い出されそうになったのを、アーティカ様が『ならば私が更生させる』と、傍仕えにしてくださいました。自分のこの隷属の証は、ラシード様が生まれてお命を狙われるようになったときに、一生かけてお守りすると誓って付けたものです」
「そのラシードさんの母上というのを、族長と誤認させたわけですか」
「はい。家族に捨てられたのを拾ってくださったから……と」
はぁっと大きく、それこそ肺から絞り出すように息を吐く。
なんてややこしい。
違う、ややこしくはない。単純な跡目相続問題でしかないんだから。
これがややこしくなっているのは背景に情の絡む人間関係と、それとは別の利権やらが絡んだ人間関係が垣間見えるからだろう。
どこかのやんごとない家で秘密裏に行われたように見えて、方々に開いた穴を事情を知る者達が塞いだか目を瞑ったか。そうして薄氷の上で守られていた平穏を、今更壊した誰かもその人間関係の一員なんだろうな。
胸やけがしそうだ。
お読みいただいてありがとうございました。
感想などなどいただけましたら幸いです。
活動報告にも色々書いておりますので、よろしければそちらもどうぞ。




