生の先達と書く理由(後)
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ぎょっとした私に「言葉の綾ですが」と前置きしつつ、ロマノフ先生はじっと組んだ手を見つめながら口を開いた。
「癇癪を起こしたり、泣いたり喚いたりするって、実は凄く体力がいるんです。それから我儘というか、まあ、『欲』と言うのは度が過ぎれば困りますが、生きるための力にもなります。前の君はそういうものに溢れていた」
「ああ、良く言えばそうですねぇ」
「そんな風に言わないんですよ、実際元気だったんですから。元気であるというのは、エルフにしても人間にしても、一種の才能みたいなものです。病は君からそんなものを全て奪っていった。逆に言うならば、我儘や癇癪を起こすだけのエネルギーを全て使いきらなければ、君は病に勝てなかった。その時に君は一度死んでしまったんじゃないかと」
「えぇっと、じゃあ、今の私は……?」
「小さな君が生命力の限りに戦って守った、君という剥き出しの魂とでも言うのか……端的に言えば奇跡が起こった証でしょうか」
なんだか詩的な表現が出てきたぞ。
でも一回死んだのかもって思うのは何となく解る。だって、熱が下がった後、生まれ変わったんだなって何となく感じたし。
それは前世の死を追体験したせいもあるのかもだけど。
「医者に匙を投げられたのに、君は助かった。それは奇跡としか言いようがない。だから今の君の存在は奇跡の証。ロッテンマイヤーさんも同意しておられましたし、何より泣いておられましたよ。『神様は私たち大人に、やり直す機会をお与え下さったのです』って」
「やり直す、機会……。私じゃなくて、ロッテンマイヤーさんたちに?」
「ええ。貴方の境遇に、真実寄り添うのであれば、我儘に唯々諾々と従うのでなく、誠実に諭し叱るべきではなかったのか。君が死んでしまうかもしれないとなってから、そんな後悔を随分したそうです。だから、これは神様から与えられたやり直しの機会で、出来ることは何でもしようと思ったんだとか」
ロッテンマイヤーさんは何故そこまで。
彼女は菊乃井の使用人の一人ではあるけれど、私の養育の責任全てを負う立場にない。まして私は両親がいても棄てられてたような状態だったのだから、そこまで気にする必要はないだろうに。
気付けば震える唇が「何故」と問うていた。
緩くロマノフ先生の首が横に振られる。
「私は彼女ではないので、なんとも。けれど、君が生まれた時からずっと見ていたそうですから、思うことが沢山あったんでしょうね」
先生の表情は柔らかい。
姫君や、先生とヴィクトルさんの話を総合して、エルフは人間に普通こんなに優しくしてくれないそうだ。
でもロマノフ先生は優しいし、おまけに凄いエルフな訳で、そんなひとをロッテンマイヤーさんは伝があったとはいえ探してきてくれた。
並み大抵では出来ない。
姫君はそう仰っていた。
「それはちょっと置いておくとして」
ロマノフ先生の声が、思考の海から私を引き戻す。
翠の眼は穏和な光を湛えていた。
「そんな訳でね。私は君が外界に興味を持たないのは、そういうエネルギーを喪ってしまったからだと考えていました。だから、そんな君にどうやって外界に目を向けて貰うかが私の課題だと思ったんですよ。折角助かった命です、どうせならもっと色々見て聞いて知って楽しく生きて貰いたいじゃないですか」
「立派な大人になるために、ですか?」
「この世に立派な大人とやらがいるならお会いしたいもんですね。私は何百年と生きてますが、まだまだ大人にはなりきれてないように思いますし。でなくて、人生は短いんです。辛いこともあるだろうけど、楽しく生きて、幸せになれば充分でしょ。私はそのためのお手伝いをしているに過ぎない」
「えー……立派な領主になるとかそんなことじゃなく?」
「領主なんかは君の人生の一面に過ぎません。君がトータルして、君の人生において、君自身を含め、幸せにした人間の数が、不幸にした人間の数を上回れば、人としては上出来だと思いますよ。誰かが誰かを幸せにすることの、なんと難しいことか。君をそこまで導けたなら、私は師として鼻が高いですがね」
組んだ脚を再び入れ換える。その姿が様になっていて、やっぱりちょっと真似したい。
まあ、足が短くて無理なんですが!
うごうごと脚を動かしていたのを、ロマノフ先生に見られたようで「ぷっ」と小さく吹き出された。
「まあ、そういうことなので、どうやってアプローチしようかと思ってたとこだったんですが、なんだか最近君の様子が変わってきまして」
「私が、変わってきた……とは?」
「レグルス君を引き取った後くらいから、突然教育がどうとか、産業がどうとか。外の世界を気にするようになりました。凄まじい変化ですよ。だけど残念なことに、全てレグルス君のため。自分自身のためではない」
「いや、そういう訳じゃないんですけど」
多分に私情が含まれてるんだけどな。寧ろ、突き詰めれば私利私欲なんだけど。
そう言えば、ロマノフ先生は苦く笑いながら頷いてくれた。
「音楽学校を作りたい、『ミュージカル』がみたい、でしたね。外界に興味が無いどころか、外界と繋がりがなきゃ出来ない夢を語るようになったんですから、心臓が口から飛び出るかと思いました」
姫君とお話するようになってから、音楽という趣味が増えたことは解っていたし、姫君が目をかけるのだから才能はあるのだろうとは認識していた。
しかし、それと異母弟の出現が合わさって、何だか知らないうちに外界に興味を持っただなんて。
そう言いつつ、先生は口を尖らせる。
「私もね、姫君から君の音楽の才を伸ばすよう仰せがあったでしょ。だからヴィーチャに連絡を取って、少しずつ君を売り込んで、『連れてきていいよ』って言われたのがあのタイミングだった訳ですよ」
絶妙なタイミングとなったけど、まさか私と姫君が『ミュージカル』がどうのなんて話をしているとか、先生は知らなかった訳で。
音楽家のヴィクトルさんと引き合わせ、帝国一の歌手の歌声を聴かせて、外の世界に興味を抱かせよう作戦だったらしい。
そのためにお小遣いの準備から、色々考えて街に出たりしてたのに、話はロマノフ先生が考えていたより進んでいて。
「全く、こどもから目を離しちゃいけないってのは真理ですね。一足飛びに成長しちゃうんだもの。今の私の気分はあれですよ。立てそうな赤さんがいて、いつ一人で立つのか楽しみに見てたのに、ちょっと脇見をしたら、赤さんが立ち上がっていた的な!」
「その例えられ方は、自分の話だと思うと複雑なんですが、レグルスくんだと思うとめっちゃ悔しいです」
「でしょ?こういう瞬間を見るのが楽しみで、家庭教師やってるのに。姫君に美味しいところを持っていかれてしまいました」
眉を八の字にしてぷすっと膨れるエルフとか初めて見た。
「でも」とロマノフ先生は続ける。
「まだまだ、君には教えたいことや知って欲しいことがある。私の教えられること、伝えられることは、全て教えたいし伝えたい」
「はい、よろしくお願いいたします」
ぺこりと頭を下げる。
するとツンツンと旋毛をつつかれて。
顔を上げて見た先生は、とても綺麗な顔をしていた。
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