我思う、故に
お読みいただいてありがとうございます。
書籍化されている部分に関しては、後々の方の資料になればと思い、あえて誤字脱字や加筆訂正部分をそのままにしております。
ご了承ください。
誤字報告機能を利用し、校正をされる方がおられます。
誤字脱字報告以外はお断りしております。
あまりに目に余る場合はブロックさせていただきます。
あしからず。
「いやぁ、実に不思議な桃でしたなぁ」
包丁を入れなくても勝手に割れて、皮もするりと剥ける。果汁を溢すこともなく、完熟なのにぐずぐずにならない。
まるで奇跡のよう。
料理長は姫君の桃をそう評した。
私とレグルス君の手には、料理長が姫君の桃を使って作ってくれた今日のおやつのお皿。
中身は醍醐と姫君の桃を混ぜて凍らせたソルベで、結構な量が出来たから、屋敷でお勤めのひと全員にお裾分けが出来た。
「若様、源三さんとこに弁当を届けに孫が来たそうなんで……」
「はい、分けてあげてくださいな」
「はい。ロッテンマイヤーさんが若様がそう仰るだろうからと、源三さんは遠慮してましたが出しときました」
「そうですか、それはありがとうございます」
「いえいえ、事後承諾で申し訳ありません」
「冷たいものは冷たいうちに食べなければ美味しさが半減しますから、そういうのは事後承諾で構いませんよ」
頷くと、料理長は一礼して食堂から退出する。
相変わらずだだっ広い食堂に、私とレグルス君と宇都宮さんが三人。
宇都宮さんはレグルス君にソルベを食べさせつつ、自分も一口食べてはうっとりしていた。
「はぁ……なんか……幸せでふ」
「うん、ソルベ美味しいね」
「あまいのおいち!」
「おいち!ですねぇ」
小さなスプーンを持って短い手足をパタパタさせて、凄く良い笑顔のレグルス君がソルベを催促する。それに促されて、宇都宮さんが小さなスプーンを受け取って、レグルス君のお口にソルベを入れて。
燕の雛が親に餌をおねだりする光景に似て、凄く微笑ましくて和む。
「もう、本当に美味しいです!特にこの桃、甘いし濃厚だし!」
「そうですね、前も食べたけど凄く美味しいですよね」
「そうなんですか……。出入りのお店屋さんたら、凄腕なんですね。こんな凄く美味しい桃、帝都でも手に入らないですよ」
「ああ、うん。商人さんから買った訳じゃないですからね」
「へ?」
宇都宮さんの目が点になった。
すると、何故かレグルス君が得意気な顔で胸を張る。
「おひめさまからもらった!」
「お姫様、ですか?」
「うん、多分前もらったのと同じ……『仙桃』だったかな。あれです」
「は……?」
その時の宇都宮さんの顔は、多分レディがしたらいけない類いの、鳩が豆鉄砲食らったってこういうのを言うんだろうなぁって感じの顔で。
余談だけれど、用事で街に行ってたロマノフ先生にソルベをお出しした時も、桃の話をしたら同じような顔になっていた。
それから数日は何事もなく過ぎ去り、私はレグルス君とお散歩したり園芸や動物の世話をする合間に、レグルス君と源三さんの剣術道場を覗き、姫君の元で歌と魔術の練習をしたり。
レグルス君のお昼寝時間には、趣味の手芸に勤しんでいた。
で。
姫君から頂いた布も、丁寧に大小様々な大きさの正方形に切って、つまみ細工の材料へと変身を遂げていた。
姫君にお贈りするには生半可な物は作れない。
意匠からして工夫を凝らさなければ。
「うーむ、悩ましい……」
だって綺麗なんだもん、姫君。
瞬きすれば星が零れ落ちるような輝く瞳、新雪のような白い肌、どんな紅薔薇も霞む唇の艶やかさは筆舌に尽くしがたい。
それにしても、姫君からは過分なお約束を頂いてしまった。
死んでからも、望みが叶った時はそれを見せてくれるってことは、ちょっと役に立つ家来くらいには思ってくださってるのかしら。
ホクホクと姫君の布から作った正方形を、剣つまみや丸つまみ、二枚張り付けて作る二重の丸つまみや剣つまみに変えていく。
姫君の花は牡丹、あの方に捧げるなら牡丹はマストだ。
先ずは二重剣つまみを丸い土台に放射状に貼りつけて、更にその上に剣つまみを貼り付ける。下段になるのより小さめの円形に貼りつけられたら、今度は二重丸つまみを上段の剣つまみの上に更に重ねて貼りつけて。
最後に中心部に帝都で買ったキラキラ光るビーズを貼りつけて、メインになる大振りの花が完成。
後は小さな花を残りのパーツでグラデーションをかけながら、五つほど作る。
大輪の牡丹と五つの小花、それからやっぱり帝都で買った組紐を組み合わせて髪留めパーツをあわせたら、これで真実完成。
残ったパーツは僅かだけれど、小さいものなら手持ちの布と合わせて、小さなヘアピンくらいは作れるだろう。
折角だし、国立劇場へのご招待のお礼にマリアさんにもアクセサリーを作ろうか。
それにまだソルベも残っているから、それもお土産にしよう。ヴィクトルさんにもお裾分けして。
あれこれ考えていると、もにもにとレグルス君がお昼寝しているベッドでぐずりだす。
レグルス君は三歳児にしては、おねしょもおもらしもしないそうだ。
宇都宮さんに言わせれば、それはこちらの屋敷に移ってからで、お母様のご実家では年相応におもらしもおねしょもあったらしい。
ストレスからなら、逆にそういったことが増えそうだけれど、ご実家にいたころより実はレグルス君は伸び伸び生きているとか。
あちらではたった一人の跡継ぎだし、亡きお嬢様の忘れ形見だからと期待が凄くかけられていて、父上がこちらに連れてきたのもロマノフ先生ほどの家庭教師を得られる機会を逃してなるものか!と、あちら側にせっつかれたからだそうな。
私とは大違いだな。
いや、私は基本放置なだけで、暴力を振るわれるわけじゃないし、経済的に締め付けられているわけでもない。
そう思えば、あの二人は親として「どうなのか?」は兎も角、人としては「子供をいびらないし、殺さない」と言う、私にとっての良識はあるのだ。
更に言えば、こういう理由があるからお前を愛せないと、態度と言葉ではっきり示してくれてるのだから、余計な期待もしないで済む。
……読み間違えて、ちょっと痛い目にはあったけれど。
お互いに不利益になることさえせず、無関心・不干渉を貫いていれば、存外あの人達は付き合い易いのかもしれないな。
ただ、レグルス君を階段から突き飛ばした件は忘れてはいけないけど。
ぼんやりとしながらも指先は動いていて、思い描く図案通りにつまみ細工を仕上げていく。
「まあ、あれですよ。親は子供を選べないし、子供も親を選べないんだから」
その点、私はレグルス君を側に留める選択が出来たのだから、恵まれている。
麗らかな秋の陽射しは、レグルス君の金の髪を眩しいほど輝かせながら、緩やかに暮れていくのだった。
お読み頂いてありがとうございました。
評価、感想、レビューなど頂けましたら幸いです。
活動報告にも色々書いておりますので、よろしければそちらもどうぞ。