諸刃の毒性
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あしからず。
明日からエストレージャが受けた以上の地獄レベルブートキャンプを、ベルジュラックさんは開始するそうで。
彼の宿やら色々をローランさんに任せ、私とロマノフ先生は帰路につく。
屋敷に続く森の中、ロマノフ先生が「それにしても」と顎を擦った。
「神狼族の末裔ですか。君は本当に引きが強いですね」
感心したような言葉に、私は首を傾げる。
神狼族の末裔とわざわざ付けるって事は、その神狼族という事自体になにかしら価値があるんだろうな。
先生も引きが強いっていうくらいだし。
解ってない私に気がついたのか、ロマノフ先生がニヤリと笑った。
「神狼族と言うのは、狼の獣人と旧き狼の神様との間に生まれた子どもの一族です。身体能力が高く、魔力も豊潤。ただ……」
「ただ?」
「狼の性質が強く出る質らしいです」
うん?
狼ってどんな生き物だっけ?
確か群れで行動する社会性の高い生き物だったような……。
一匹狼っていうのは、群れから巣立つ時に、番を探して単独行動を取っている時の狼を、人間が勝手に群れからはぐれたとか、馴れ合わないとか判断して、出来た言葉らしい。
私の困惑が解ったのか、ロマノフ先生が頷く。
「狼と言うのは一夫一妻制で厳しい序列を定めて、集団生活を送っています。序列はシンプルに強い狼が上、弱い者が下。ただし、一番上に君臨するにはただ強いだけでなく、集団での狩りを成功に導く高い知力と統率力が必要とされる」
「ははあ」
「その狼の質が強く出ると言うのは、善悪問わず強く賢い人に惹かれるというところ、ですね」
「そうなんですか」
ふぅん、そういう種族もいるんだなぁ。
世の中広いよねー。
薄ぼんやりそんな事を考えていると、ロマノフ先生が微妙な顔をする。
「他人事のような顔をして……。ベルジュラック君は君に心酔してるというのに」
「……は?」
変な声が出た。
いや、何で?
あの程度の会話の何処にそんな要素が?
心底意味が解らなくて、首を思いっきり捻ると、ロマノフ先生が「おや?」と片眉を上げた。
「てっきり私は計算してやったんだと思っていましたが?」
「計算? なんのことですか?」
「アースグリムのギルドで凄く悪そうなお顔で笑ってたじゃないですか。あのギルマスはもう君には逆らえませんよ?」
そんなに怖がらせちゃったのか。
そりゃそうか。
百戦錬磨の商業ギルドの職員が泣いて帰るくらいだもんな。
あの上品で穏やかなお婆さんには、とっても怖かっただろう。
後でラーラさんを通じて謝っておこうかな。
そう思っていると、ぷにっと頬を摘ままれた。
「薄々そうだとは思ってましたが、やっぱり気づいてなかったんですね」
「何をですか? 私の悪い顔は【威圧】と同じ効果があるってことなら」
解ってます。
そう答えようとして、私は口をつぐんだ。
だってロマノフ先生が、凄く真面目な顔をしてるから。
その顔で先生は引き結んでいた唇を開いた。
「……確かに【威圧】も含まれていますが、そんなものはごく微量ですよ。思い出してください、商業ギルドの職員は微笑む君を前にして顔を真っ赤にしていませんでしたか?」
「それは……子どもに怯えて泣くとか恥ずかしいから……」
「ふむ。ならばレグルスくんは兎も角、紡君やアンジェちゃんの反応は?」
「えぇっと……レグルスくんの影響で……?」
「君が私達やレグルスくん、ロッテンマイヤーさんと同じくらいその言に重きを置く奏君は? 彼は君に『益々若様のお祖母ちゃんに似てきた』と言いましたね」
そうだ。
奏くんはそう言ってくれた。
だけど、それが何なんだろう。
私が祖母に似ているのは、決しておかしなことじゃない。
先生の真意が解らず、その翠の目から視線を逸らす。
すると頬を摘まんでいた指が外され、両手で頬を包まれた。
そして、視線が先生の顔に固定される。
「君のお祖母様は肖像画の通り、非常に美しい人だったそうで、母が言ってましたが実物はもっと美しかったそうですよ。城どころか、国すら傾け兼ねないレベルで」
「そ、そうなんですか……。でもそれは祖母の話で私には……」
「君のお祖母様を知る人は、君とお祖母様は瓜二つだと言う。母もそう言っていました」
何を言われているのか、言葉は解っても意味が解らない。
心臓がバクバクする。
指の先が冷たくて、ついつい手を強く握り混むと、先生が僅かに表情を緩めて、困ったような顔をした。
「君にとって、認めるのは苦痛なのかもしれませんが、これから先もそれを武器として使おうと思うのなら、事実は事実として認めなくては」
「なにを、ですか……?」
ひりひりと口の中が干上がる。
私は何からも目を逸らしてなんかいない。
いない、筈だ。
先生は静かに、唇を解いた。
「きちんと現実を見なさい。君はもう以前の君ではない。あの頃の君だって君が思うほど醜くなかった。君は自らを磨いて美しくなったんです」
「うつく、しい?」
はっと喉が詰まる。
美しいって何だ?
美しいって言うのは、違う。
それは、醜く肥太った白豚から生まれた、同じく醜い人でなしに使う言葉じゃない。
先生、こんな冗談を言う人だったのか……。
冗談、下手くそか。
笑おうと思って歪めた口から漏れたのは、でも笑い声じゃなくて。
ひゅっと息を吸う音だけが出て、ロマノフ先生が首を振る。
「君がどう思おうと、君はとても美しい容姿をしています。いえ、容姿だけではない。腹違いの弟を引き取り、可愛がり、その子を守るため、或いは貧困に喘ぐ領民を救うために、両親を向こうに回して戦った。それだけでなく圧政を敷いて、立場の弱い者を虐げていた貴族を誅して、彼らに富をもたらしている。君の行動を客観的に見たとき、君は実に慈悲と知勇を備えた一廉の君子だ。二つがあわされば、大概の人は君に信仰心に似た好意を抱く。誰もが愛する、美しく心優しい聖人のような君子。それが今の君です」
誰の事を言ってるんだろう?
文字通り目と鼻の先くらいの距離で話している筈のロマノフ先生の声が、異様に遠い。
誰もが愛する?
そんなの嘘だ。
違う、嘘だ、あり得ない。
だって、本当の私は──
「……美しいって何ですか?」
自分でも驚くほど、腹の底が冷たくて、だけどどうしようもない苛立ちが涌いてくる。
頬を包むロマノフ先生の手を、私は引き剥がそうともがいた。
沸々と沸き上がるのは、怒りだった。
「先生はさっきも聞いた筈だ。可愛いと言う弟のことすら、私は復讐の道具にしている。領地のことだって、奴等に吠え面かかすためにやっているんですよ!?」
「そう言う面もある、ということですね」
「私のことなんか、何も解らない癖に! 私の中身なんてドロドロしてて汚くて……! そんなものの何が!?」
バリバリと地面が凍って、周囲に白い靄が広がる。
空気の中に含まれる水分が凍結しているんだろう。
緑の木々も少しずつ氷結が始まったようで、霜で白くなっていく。
抑えられない。
ブリザードが吹き荒れる。
その中で、先生は平然と立っていた。
「知らない、解らないから、余人は君の外見と行いだけを見て、君に夢と希望を持つのです」
「そんなもの! そんなものは本当の私じゃない!」
「君の思う君と、人の思う君の間には酷い隔たりがある。それがどれ程君を傷つけるのかなんて、君を知らない人間には解らない。ただ君は、君に夢を抱かずにいるには、あまりに存在自体が鮮やかだ。そしてそんな君が微笑む。その笑みには『相手を従わせたい』と言う君の思惑が乗せられている。穏やかではいられないでしょうね。夢のような存在が微笑みかけて、自分を頼りにしてくれるような気がするんだから。そんな思惑が乗った人をその気にさせる笑みをね、【魅了】と呼ぶんです」
「────ッ!?」
ガツンと頭を殴られたような衝撃に、ピタリとブリザードが止む。
私は、何を、していた?
少しだけ、私の言うことを聞いてくれれば良いと思ってた。
笑えば大人は私に、色々と譲ってくれる。
そんな確信が確かにあった。
私の外見だけを見て好意を抱く人と、好意を利用する私と。
私は──
私は、やっぱり──
「なんて醜い……」
ほろりと零れた言葉に、やっぱりなって思う。
私のことなんか何にも解んない癖にって癇癪を起こしておきながら、自分はそんな人達の好意を利用して自分の良いようにしてるんだ。
なんて────
「……穢い……醜い……!」
ぶわっと身体から大量の魔力が出てくる。
腹のそこでぐるぐる煮えたぎっていたものが、それにつられて一気に湧き出してきて。
気持ちが悪いとか、穢いとか、ありとあらゆる呪詛が心の中を占めていく。
この気持ち悪いものを無くさなければ。
頭の中はもうそれで一杯で、膨れ上がった嫌悪感が弾けたと思うと、ロマノフ先生が地面に膝をつくのが見えた。
その手袋に覆われている筈の指先に、真っ赤な血が滲む。
私が、やった?
先生が痛みに顔を歪めている。
えんちゃん様の力を受け止めてさえ、穏やかだった先生が。
ガタガタと身体が震える。
先生まで傷付けて、何をしてるんだろう。
知らず、両手が頬にかかっていたようで、爪を立てたところから皮膚が破ける。
でも、こんなんじゃ足りない。
指が食い込んだ部分を、更に抉るように力を入れる。
なのに、その指を強く掴まれて、強引に腕を引かれて、ぎゅっと抱き込まれて。
「止しなさい」
「だって……! だって、穢い!」
「……それでも、私もハイジもレグルス君も、ヴィーチャやラーラや奏君……屋敷の人達も、君に加護を下さる神々も、君が大嫌いで穢いと言う君を愛していますよ」
暖かいけど、それが苦しい。
だって、こんなに醜い。
レグルスくんのことは可愛い。
だけどあの子を自分の寂しさを埋めるために利用してる。
見返りを求めず、誰かを助けるなんて出来ない。
だって等価交換が成立せずに、相手の重荷になったらいつ棄てられるか解らない。
無償の優しさなんて信じられない。
親ですら棄てるようなものに、そんなものはありはしない。
私の中身はこんなに醜くて穢いのに!
「いいじゃないですか、醜かろうと穢かろうと。だって私達は知ってます。君が実はわりと大雑把で怖がりで、お人好しだから頼られたら満更でもないけど、面倒なことは御免だし、無理強いされたら爆発するくらい沸点が低い。言い出したら聞かない頑固なところがあるのも、出来うる努力は惜しまないことも、どんなに悪い奴等でも斟酌してやろうとするところがある、とっても複雑だけれど弟想いで友達想いの優しい子なのを。良いところも悪いところも含めて君だ。そんな君が私達は愛しい」
「でも……!」
「『でも』も『だって』もないんですよ。私達の心は私達のものだ。君が君自身を嫌っていても、私達に同じ様に君を嫌うことを強制することは出来ない。勿論、私達も君が君を好きになることを強制は出来ない。しかし、君は私達のことが好きでしょう? その私達が君自身を大事にしてほしいと願うのを、君は無碍には出来ない筈だ。無碍にしたら、私達が悲しみます。それが解っていて、出来ますか?」
ぐっと言葉に詰まる。
それを見て、綺麗なお顔に切り傷を付けたロマノフ先生が笑う。
「出来ないでしょう? 本当に君は良い子なんだから……」
くしゃくしゃと頭を撫でられ、長くなった髪を梳かれる。
「君が君の有り様を武器にするのは一向に構わないんです。不埒な真似をするものは、私達が除けばいい。君のことは、私達が守ります。ただ、君が今のように自分を傷つける可能性も、把握してほしい。そして使うなら、割りきって君が傷付かない使い方をしてほしいんです」
「先生、私は……!」
ぐしっと洟を啜る音がして、やっと自分が泣いているのに気がついた。
お読みいただいてありがとうございました。
感想などなどいただけましたら幸いです。
活動報告にも色々書いておりますので、よろしければそちらもどうぞ。




