決別の時に至りて
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書籍化されている部分に関しては、後々の方の資料になればと思い、あえて誤字脱字や加筆訂正部分をそのままにしております。
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あしからず。
先に動いたのは父で、鈍い音がするほど勢い良く額を床に着けた。
それに続いてイルマも、スカートの裾を払って土下座の姿勢。
ビクッと宇都宮さんが肩を跳ねさせて、私の方を見る。
「レグルス! 父が悪かった! この通りだ!」
「レグルス様、私が悪うございました……!」
突然の出来事に驚いたのか、レグルスくんはぎゅっと私にしがみつく。
そして視線を私と父とイルマの間でさ迷わせると、こてんと首を傾げた。
「にぃに? とうさまたち、なににごめんなさいしてるの?」
「レグルスくんがマーガレットさんを『嫌い』なんて思っちゃうほど、悲しい思いをさせてご免なさいってことかな?」
「ですよね?」と見下げてやると、二人はブンブンと首を縦に振る。
それに対してひよこちゃんは、ただただ不思議な顔をするばかり。
でも瞬きを一つすると、きゅっと眉間にシワを寄せた。
「とうさま、なんでにぃにとおやくそくしたみたいにおしごとしなかったの?」
「え、あ、そ、それは……」
「イルマはなんでれーにいじわるしたの?」
「それは……その……」
鋭い質問に二人が口ごもる。
これに答えない限りは、レグルスくんの納得は得られない。
そしてそれなくして、私からの温情はあり得ない。
Dead or お話。
前者を取るなら最初から謝る選択肢は無いわけで。
カウントダウンするように、コツコツと指先でテーブルをつつきだすと、二人は慌てて口を開いた。
「そ、その、事業を起こそうとはしたんだ! したんだが、その、金を持ち逃げされて……。督促は来なかったし、服などは用意してくれていると宇都宮からも手紙が来ていたから……だから……」
「う、宇都宮のせいですか!?」
「い、いや! 俺が悪い! 全面的に俺が悪い!」
顔色を変えた宇都宮さんの悲鳴に、慌ててまた父が頭を下げた。
この人、本当に何も考えずに話してるんだな。
私の呆れが伝わったのか、物凄くしょっぱい顔をしてレグルスくんは父から視線を外すと、今度はイルマの方を見た。
答えなさいな。
先生方からも私からも、無言の圧力がかかっているのだろう。
イルマは冷や汗をかきつつ、視線を床に落とした。
「マーガレット様に、アタシは幸せになってもらいたかったんです。でもマーガレット様は、散々この男は止めておいた方が良いって言ったのに、この男を選んで……! あんなに尽くしてきたアタシじゃなく、この男を選んだのかと思うと、お嬢様もこの男も許せなくって! 憎らしくて、でもお嬢様は可愛くて何もできないし、この男は軍人で何かしようにも歯が立たないし……」
「一番弱い所に目をつけた、と?」
しおしおとイルマが泣き崩れる。
くだらない。
誰も彼も本当にくだらない。
ギリッと唇を噛み締めると、レグルスくんが紅葉のような手でそこに触れた。
「にぃに、あのね。れー、もう、おはなしきかなくてもいいよ」
「でも……!」
「かあさまのにっき、またいっしょによんで? うちゅのみやもいっしょによんでくれるよね?」
「も、勿論で御座います!」
「だからね、おうちかえろう? れー、かあさまのおはかで、かあさまにごめんなさいする。きらいってうそです、ごめんなさいって。それでおうちかえろう?」
レグルスくんの大きな青い瞳には、酷い顔をした私が映っている。
少しでもこの子の中に、マーガレットさんの優しい記憶を遺してやりたかったのに。
ただそれだけのことが、何故こんなに上手くいかないんだろう。
レグルスくんに知らなくて良いことを、教えてしまっただけじゃないか。
大きな溜め息をつくと、同時に肩が落胆に落ちる。
勝手に期待したのは私なんだ。
だからもう、こんな奴らに期待しない。
沸々と湧き上がる何かを押さえつけると、ぎゅっとレグルスくんの手を握りしめて。
「……解ったよ。お墓参りして帰ろう」
レグルスくんを膝から下ろすと、宇都宮さんに彼をお願いする。
私の言葉を聞いたと同時に、三人の先生方がソファから立ち上がった。
先に行くようにレグルスくんに告げれば、彼はこくりと頷く。
それからちょこちょこと宇都宮さんの手を引いて扉の方へ歩きだす。
ばっと父がレグルスくんに手を伸ばした。
だが腰が抜けているせいか、立ち上がれずに床に這う。
「れ、レグルス!?」
懸命に手を伸ばす父を、けれどレグルスくんは背を向けたまま一顧だにしなくて。
「レグルス! レグルス! 父はお前を愛しているぞ! それは嘘じゃない! 信じてくれ!」
叫び声にぴくりと、レグルスくんの背中が揺れて、ゆっくりと振り返る。
ぺこんと金の綿毛がお辞儀した。
「れーをにぃ……あにうえのところにいかせてくれて、ありがとうございました! さようなら!」
「レグルス!? レグルス!? ち、父を棄てるのか!? レグルス!?」
狼狽して狂ったように叫ぶ父を他所に、頭をあげるとレグルスくんはさっさと宇都宮さんの手を引いて、扉から出ていってしまった。
その光景を見ていたイルマが、ずりずりと私の足元まで這ってくると、靴に口づけるかと思うくらい頭を下げる。
「どうかお慈悲を……! お慈悲を……!」
泣いているのか涙声だし、時々洟を啜る音も混じっている。
殺すつもりなど最初からなかった。
彼女も父も、母の被害者なのだから。
沸々と腸が煮え繰り返るのをどうにか押さえつけて、大きく長い息を吐く。
もう何度めの溜め息か覚えてもない。
掛けていた椅子からゆるりと立ち上がると、私はふよふよと漂うプシュケーに魔力を渡す。
鈴のような音を立てて、鮮やかな羽根がキラキラと光を帯びた。
鱗粉を落とすように父とイルマの頭上を飛ぶと、二人がぐっと胸を押さえて呻く。
「ぐ……! くぅっ!」
「し、死にたくない!? 死にたくない!?」
「死にませんよ。ただレグルスくんが許すまで、彼には永遠に近付けないし、彼に悪意を抱く度に心臓に痛みが走ってマーガレットさんの思い出が一つ一つ、貴方達の中から永遠に喪われるだけです」
静かに告げると、二人の顔に驚愕が浮かぶ。
憎しみを抱かずに静かに生きていくのなら、二人はレグルスくん以外は何も失わない。
「イルマ、貴方を司法の手に委ねます。横領と暗殺未遂は決して軽い罪ではありませんが、極刑は免れるよう助命嘆願書を菊乃井の名で出しましょう」
「あ、あ……!」
「貴方の罪を白日の元に晒します。しかし、ことの始まりは菊乃井が権力に物を言わせて、バーンシュタイン卿やマーガレットさんを苦しめたこと。それを恨みに思われたことと、私の父母の不実が招いた事件であることも、合わせて公表します」
母が父を殺してでも守ろうとした菊乃井の家名は、こうやって結局傷つくんだから、あの人も無駄なことをしたものだ。
でも「ざまぁみろ」とは思わない。
家名の大事さは私だって解っている。
けれど、菊乃井は加害者なのだ。それも権力を振りかざして弱者を痛め付けた、貴族として最低の行いをした。
その清算はしないといけない。
「父上、貴方のことは宰相閣下にご報告します。おそらくは何処か辺境で、一兵卒からやり直すことになるでしょう。それが嫌なら辞めてもいい。倹しくしていれば、それなりに暮らしていける額の手切れ金をお支払します。後はお好きになさってください」
「…………ッ」
私の宣告が終わると、ロマノフ先生が私の肩に触れた。
その手に促されるように扉の外に出ると、後はヴィクトルさんとラーラさんが請け負ってくれると伝えられて。
廊下で待っていたレグルスくんが、私を見つけると手を伸ばしてぎゅっと抱きついてきた。
「にぃに、ありがとう。れー、かあさまのにっきだいじにするね」
「うん。ごめんね、マーガレットさんのお話を聞かせてあげられなくて」
「うぅん。ジョウロもブランコもみつかったの、れーうれしい」
「そっか。おうちに持って帰って大事にしようね」
「はい!」
きらきらと光る金髪を揺らして、レグルスくんが屈託なく笑う。
澱みのない笑顔に、目の奥が熱くて鼻がツンツンと痛んだ。
お読みいただいてありがとうございました。
感想などなどいただけましたら幸いです。
活動報告にも色々書いておりますので、よろしければそちらもどうぞ。




