在りし日の影を抱いて
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あしからず。
なんでそんなことをと問われたら、答えてあげるが世の情け。
いや、単に滅茶苦茶腹が立ってただけですが、何か?
父とイルマが正座してぐずぐずと泣くのを見つつそういえば、ヴィクトルさんが首を横に振る。
「いや、あれ、相当怖かったから。あーたんに一喝されて気絶するんだから、泣くよね」
「う……やりすぎました、悪かったですね」
むすっとしていうと、二人とも泣くのを止めて、きょとんとこちらを見ている。
よほど毒の杯が効いたのか、二人とも憑き物が落ちたように大人しく神妙にしていた。
これならいけるかな?
「それとマーガレットさんのことも、決して人格に問題があるとも、母より人として格下だとも思ってません。少しばかり知らないことが多かっただけの、優しいひとだったと思っています」
鞭で散々叩いた後は、飴を与えて優しくするのがセオリーだっていう。
極々穏やかに語りかけると、二人ともおずおずと頷いた。
嘘を言ってる訳じゃないし、ちゃんと私の中で根拠もある。
レグルスくんは菊乃井に来た当初から、相手に対して配慮することを知っていたし、好き嫌いなく、我が儘らしい我が儘は言わないけど、意見ははっきり言える、ちょっと甘えん坊で人懐っこい可愛いお子さんだった。
そのレグルスくんに付いてきた宇都宮さんは、自分だって虐げられる可能性を理解しながら、彼を守る気概をきちんと持っていて。
それが高じてロマノフ先生に噛みついちゃった訳だけど、それはそれで先生も「なかなか出来ることではないですよ」って誉めてたし。
つまり、そんなレグルスくんを育てた人で、宇都宮さんがそこまで慕う人を、私は悪い人だとは思わない。
というか、感謝さえしているから、二人のマーガレットさんを貶める行動が許せなかったのだ。
そういうことを話せば、「感謝?」と父が呟く。
「はい、感謝してます。レグルスくんを産んで、私のところに来るまで育ててくださった方ですよ。好感と感謝しかない。だからこそ、貴方たちにも温情を差し上げようと思ったのに、レグルスくんをあんなにがっかりさせるから……」
だいたい、お前らやったことを省みてみろ。
小さいレグルスくんを思い出のある屋敷から引き離して、まず「お母様の匂い」という大事な思い出を奪った。
次に父はそんなつもりはなかったと言っても、実際手紙は一通しか来てないし、その間会いにも来ていない。
イルマの方はここにいたときから、レグルスくんを然り気無くいじめていたとも。
結果、お母様周辺の大人に対する不信感が芽吹いて、最後の決めては父の責任転嫁。
溜まった怒りが爆発して、マーガレットさんへも降りかかってしまったのだ。
だけど、レグルスくんはマーガレットさんを本心から嫌ってなんかない。
優しい思い出があるから、それと相反することの多さが強い負荷になって、結果「嫌い」と口走ってしまったのだろう。
「ここにレグルスくんを連れてきたのだって、そもそもはマーガレットさんの思い出話を聞かせてもらうのと、長く出来ていなかったお墓参りのためだったんですよ。それを貴方たちと来たら……!」
きっと睨めば、二人ともまだ恐怖の余韻が残っているのか、身をすくめる。
言ってて私もまた腹が立ってきた。
それじゃいかんと深呼吸を一つ。
二人に立つように声を掛けた。
しかし、二人は少し身動ぎしただけで、へなりと眉を下げる。
首を傾げると、ラーラさんが肩をすくめた。
腰を抜かしたみたいだと、ラーラさんがいう。
「手のかかる……!」
「いや、あれは仕方ないよ。メイド長は一般人だしね」
ラーラさんは二人の腕をひょいっと持つと、軽々と近くのソファへと引き摺って座らせた。
流石英雄、どこかの軍人さんとはえらい違い。
さてと、これでやっと本題に入れる。
私は二人の座るソファの正面に陣取って、二人を見下げた。
物理的にはまだあっちの頭が高いけど、目付きと心理的に。
「さて、貴方たちに、最後の機会を差し上げます。宝探しが終わったらレグルスくんが戻ってくるでしょう。貴方達の所業に一番傷付いたのは、私の可愛いひよこちゃんです。地面に額を擦り付けて、心底からあの子に謝っていただきたい。そしてマーガレットさんの名誉を回復してください」
「……ど、う、すれば……?」
イルマが呻く。
この人は本当に崖っぷちだ。
伯爵家に対する暗殺未遂なんて、本来なら即極刑に処せられて、恩赦なんてあり得ないんだから。
柔く、いっそ慈しむように表情を作ってやれば、二人がすがるようにソファから床へと降りた。
「あの子に貴方達が知る、在りし日のマーガレットさんの優しい記憶を語ってください。沢山あれば、あるほどいい。それにあの子が納得したら、貴方達に情けをかけて差し上げる」
こくりと二人は幼い子どものように頷く。
精神的な圧力をかけられ、そこから解放された後の二人は、逆らう気力も失くしたのかひどく従順になった。
制圧は完了、後はひよこちゃんを待つばかり。
父とイルマのこれからは、レグルスくん次第とはいえ、大方決まっている。
イルマは横領犯として然るべき裁きを受けさせて、その後出家。
父はレグルスくんが許せば、宰相閣下のお言葉に甘えて、菊乃井から除籍して辺境の砦に左遷になるだろう。
許さなかった時も除籍のち左遷だけど、菊乃井から遠く、余程の事がなければこちらに近付くことも叶わない場所へと飛ばされることになる筈だ。
緩やかにリビングに戻ると、私はお茶の続きを楽しむことに。
すっかりお茶は冷めてしまったけれど、それでも美味しく感じるのは、宇都宮さんの腕がいいからかな。
寛ぎながら待っていると、ピクリと先生方の特徴ある耳が揺れた。
「帰ってきたみたいですね」
ロマノフ先生の呟きに、ヴィクトルさんもラーラさんも頷く。
すると遠くからパタパタ走る音が聞こえてきて。
「にぃにー!」
ばたんっと大きな音と一緒に、木製のドアがばっと開いて、レグルスくんが転がり込んできた。
後ろから宇都宮さんも付いてきている。
「日記、見つかった?」
「うん!」
ブンブンとレグルスくんが振る手の中には、確かに一冊の本があった。
「それだけじゃなくて」と、レグルスくんがモジモジして宇都宮さんを振り返ると、赤い目元の彼女が頷く。
「レグルス様とマーガレット様のブランコ、物置小屋で見つけました! 三人でお庭を整えていた時の如雨露も!」
「れー、ジョウロのことおもいだしたよ。ピンクのおはなにおみずを、かあさまとあげたの……」
「そっか、思い出せて良かったね」
「うん……。にぃに、ブランコとジョウロ、おうちにもってかえっていい?」
「勿論」
頷くと、一応父とイルマにも「いいですよね?」と声をかける。
二人は声もなくただただ頷いた。
その大人しい様子に、すすっと宇都宮さんが寄ってきて。
「あの二人、どうしちゃったんですか?」
「前非を悔いて色々思うことがあったようですよ」
「ははぁ……」
二人の様子に宇都宮さんは首を傾げると、すっとレグルスくんの近くに戻る。
そしてレグルスくんと宇都宮さんとで顔を見合わせてから、レグルスくんは私に持っていた本を渡してきた。
「にぃに、いっしょによんで?」
「うん、勿論」
本を受けとると、ちょこちょことひよこちゃんは私の膝に腰かける。
菊乃井に来た時から大分と重くなったけど、苦しいってほどじゃない。
レグルスくんと二人で覗き込むように、表紙を開いてパラパラと紙をめくる。
一番最初のページはレグルスくんが生まれてから二日目のこと。
そこにはレグルスくんを出産できた喜びと安堵が記されていて。
「えぇっと、『小さな手を一生懸命握りしめて泣いていて、この子は私が守らないといけないと改めて思った。とても嬉しくて幸せで涙が自然に溢れてくる。私だけでなく夫もそう話していた』ですって……」
「うん……」
またページを捲れば、どのページにもレグルスくんが日々成長していく様子と、それに対しての喜びが溢れるように紡がれている。
首が据わった日、歯が生えた日、寝返りが打てた日、はいはいを始めた日。
それはもう細やかに、柔らかな字で優しい日々を綴ってあった。
例えば支え立ちをした時には、頭が重くて直ぐに倒れてしまったけど、とてもはしゃいで笑っていて、その笑顔が余りにも愛おしかったとか、離乳食にあまり好きじゃないものが入っていたみたいだけれど、残念な顔をしながらもきちんと食べて、とてもその頑張りに感動したことなどなど。
そこには父の姿も時折書かれていて、仕事で遅くなってもレグルスくんの寝顔をみたり、成長しているのを実感してレグルスくんを誉めた言葉もあった。
しおしおと眉毛を下げるレグルスくんの、まだ小さな手をきゅっと握る。
「れー、かあさまのこと……」
「さっきは悲しかったから、つい思ってないこと言っちゃっただけだよね」
「……うん。にぃに、れー……」
「嫌いになんてならなくて良いんだよ。マーガレットさんの見ていた父上は、本当に立派だったのかも知れないんだから」
「うん」
読み進めていく。
宇都宮さんが言った通り、初めて歩いた日は沢山の喜びが紙の上で踊っていて。
レグルスくんは将来どんな人になるのか、どんな夢を持つのか、優しい人になって欲しい、出来れば誰かのために何かが出来る勇気のある人に、例えば自分を借金に脅かされて怖い思いをする毎日から助け出してくれた父のような人になって欲しいともあった。
ただしそのやり方が最大の問題点なのは、マーガレットさんもきちんと解っていて、何かしら償わねばと思いながら悶々と過ごしているとも、添えてだけど。
やはりマーガレットさんは助けてくれた父を、立派な人だとみなしていたんだろう。
そこに愛もあったんだろうしな……。
溜め息が出る。
元を質せばマーガレットさんと父の間に、無理に母が入ったから今の不幸があるわけだ。
でも母が間に入らなかったとしても、マーガレットさんと父の将来は、決して明るいものではなかったと推測できる。
マーガレットさんの日記には、母へというか、父が菊乃井の家から持ってくるお金に対する感謝が雨霰と書かれていた。
皮肉なことだ。
母のせいで一番悲しい想いをした筈の人が、その母と菊乃井に感謝の念を持っていただなんて。
それはレグルスくんに、今知る必要のある情報とは違うと思うから、そっと読み飛ばす。
レグルスくんに、今必要な情報は、彼がいかに愛されてきたか、なのだから。
つらつらと音読していると、不意に啜り泣きが聞こえる。
父とイルマだ。
しかし、あの二人に慰めの言葉をかけるものは、誰一人いない。
宇都宮さんは目を赤くして、泣くのを堪えている。
そんな宇都宮さんは、私の音読に邪魔にならないよう、レグルスくんにマーガレットさんの思い出を補足してくれていた。
そして、いよいよ二年前の年明け前後の日付に差し掛かる。
日記にも、私の存在がよく出てくるようになった。
一の月、朔日。
「えぇっと『朝、菊乃井のご本家から冒険者ギルドを介してまた早馬が到着する。ご嫡男様の容態が日々悪化しているので、夫に本家へ戻って欲しい旨伝えてほしいと切々と願われる。数日前の情報とは違って、とてもお悪い様子で、明日をも知れないとのこと。夫に伝えるも取り合ってくれない。どうしよう? もしもレグルスがこんな風になったらと思うと、とても辛いと夫には言ったけれど、あのひとは「どうせ芝居だから放っておけ」と笑っていた。お芝居なら苦しむお子さんはいないということだけれど、もし本当にご病気だったら? 取り返しのつかないことになる前に戻ってさしあげてほしい。明日もう一度説得しよう』って……」
イルマの証言通りだ。
レグルスくんがじっと日記を見つめる。
次のページにも、私のことが書いてあった。
「『一の月、二日。今度はまた手紙が来た。差出人は本家のメイド長さんで、こと細かくあちらのお子さんの様子が書かれていた。重篤な状況で、医師から葬儀の手配をと言われたとも。あの人に伝えるも、やっぱり取り合ってくれない。なぜ私たちに向ける優しさを、あちらのお子さんにも向けてくれないのだ……』」
「う」と口に出そうとして、一瞬止まる。次に書かれた文章を、レグルスくんに聞かせる気にならなかったからだ。
そこには『子供に罪はないし、あの人が望まなければ生まれなかった命なのに。それどころか、あちらのお子さんがいらっしゃるから、菊乃井様は離縁出来ない筈なのに。あの人はあちらの奥様は自分を愛しているから大丈夫だなんて言うけれど、本当に? 私ならこんな仕打ちには堪えられない。あの人は変わってしまった。昔はもっと優しい人だったのに、私が変えてしまった』と。
まあ、積もり積もった物があるのだろう。
その後に続いた『ともかく、あちらのお子さんが良くなりますように』と祈る一文だけを音読して。
パタリと日記を閉じると、私は膝に座ったレグルスくんの頭を撫でた。
「レグルスくんのお母様は、父上を説得してくれてたみたいだね?」
「うん……」
ふわふわ揺れる金髪を撫で付けると、レグルスくんはきゅっと小さな両手で私の手を握りしめた。
お顔を覗き込むと、その目は今にも零れそうなほどに涙を溜めていて。
「レグルスくん、マーガレットさんは素敵なお母様だったんだね」
「……わかんない」
「私は解るよ。だってレグルスくんがとても良い子なんだもん」
「れーがいいこだから?」
「うん。初めて菊乃井でお話した時から、レグルスくんは良い子だった。きっとマーガレットさんが他所に行ってもお行儀良く出来るようにとか、人に優しく出来るようにって、色々レグルスくんに教えてたからだと思うよ。そんな風に小さな君に色々教えてくれた人が、悪い人だなんて私には思えない」
我が子に優しい人が万民に対して良い人だなんて、そんなのは幻想だって私にも解る。
前世でも家族には優しいのに、その他にはとても厳しかったり嫌な人だったりっていうのはあるあるだったし。
だけど今ここで、レグルスくんの思い出を壊す必要なんてない。
この子は愛されていた。
そしてこれから先もそれは変わらないし、これより先も愛されて生きていく。
たとえこの先、レグルスくんが彼の両親に纏わるアレコレを知ったところで、自分が愛されていたのは真実なのだと、揺るがない土台を作ってやれればそれでいい。
そのために、まだやらなきゃいけないことがある。
「さて、二人とも。言うべきことがあるでしょう?」
私はソファで啜り泣いている大人二人に、視線を向けた。
お読みいただいてありがとうございました。
感想などなどいただけましたら幸いです。
活動報告にも色々書いておりますので、よろしければそちらもどうぞ。




