今を生きるひとのための追想曲
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更新は週一回、金曜日です。
まあ、私の迂闊なとこなんか、今に始まったことじゃないんだけども、見かけで判断するんじゃなかった。
うんしょうんしょと、レグルスくんと二人で、山盛り蜜柑の箱を奥庭から屋敷に運んでるんだけど、めっちゃ重い。
レグルスくんは幼児なのに結構力持ちな方なんだけど、そのレグルスくんでさえ愕然とするくらい重いの。
あんまり箱が重いから試しに一つ蜜柑を持ってみたんだけど、見た目よりかなり重量があって、それを割ったらどこにそんなに入ってたんだろうってくらいの実が現れたんだよね。
味も甘酸っぱい感じで、レグルスくんのお口に入れてあげたら、「すっぱあまい!」っておめめキラキラしながら食べたくらい美味しかったし、流石天上の食べ物。侮れない。
そんな訳でえっちらおっちら箱を運びながら、剥いたぎっしり蜜柑を食べて、また箱を押しての繰り返し。
もういい加減疲れてきて、菜園のある辺りで一休みしようと立ち止まると、不意に生け垣が揺れた。
兎かと思った矢先に、レグルスくんがぴょこんと首を傾げる。
「かなー?」
決して大きくはないけど、誰もいない庭に響いた声に、更に生け垣が揺れて。
出来た隙間からぴょんっと奏くんが顔を出した。
「おー、若さまもひよさまもおはよ!」
「あ、奏くん。おはよう」
「かな、おはよー」
挨拶しながら生け垣から出てくる奏くんに、同じく挨拶を返す。
弟くんの風邪は奏くんには移らなかったようで、凄く元気そうだ。
ほっとしていると、奏くんが蜜柑が一杯の箱を指差した。
「これ、どうしたんだ?」
「姫君様から冬の間食べたら良いって貰ったの」
「マジか」
「かなー、これすごくおもいんだよー?」
「へえ、ちょっと貸して?」
そう言うと、木箱から蜜柑を一つ取り出す。
見た目が小さいからか、蜜柑を片手で掴んだ奏くんだけど、持ち上げようとして表情が固くなった。
「なにこれ、めっちゃ重い。カボチャくらい重い」
「でしょ? その代わり実もぎっしり詰まってて、皮を剥いたけど、レグルスくんと二人じゃ食べきれないくらい。奏くんも食べてよ」
「お、おう。ありがと」
「かな、あまいけど、ちょっとすっぱいよー?」
差し出した蜜柑をおっかなびっくり摘まむと、奏くんがそれを口に入れる。
もしゅもしゅと蜜柑を食べる奏くんの顔が、ぱあっと輝いた。
「おー、甘ずっぱい!」
「美味しいでしょ?」
「うん、うまい!」
「沢山あるからあとで持って帰ったら良いよ」
「ありがと、若さま!」
爽やかに笑うと、奏くんは後ろから箱を押してくれるようで、前は私とレグルスくん二人で引っ張ることに。
二人じゃ重かった箱も、三人ならすいすいとはいかなくても、さっきよりずっと早く運べる。
屋敷に近づくにつれて、庭で遊んでたタラちゃんやござる丸もやって来て、一緒に木箱を押してくれて。
すいすいと進んで玄関に着くと、私たちを先生方とロッテンマイヤーさんとソーニャさんが待っててくれた。
「戻りました」
「もどりました!」
「先生たちもロッテンマイヤーさんも、おはようございます!」
レグルスくんと奏くんが手を上げて、元気にご挨拶すると、それぞれ返事を返してくれる。
そんな中、奏くんの視線がソーニャさんに向かう。
「ロマノフ先生ってお姉ちゃんいたのか? お姉ちゃんも先生と同じで美人だな!」
その言葉にソーニャさんが凄く良い笑顔になり、ロマノフ先生がしょっぱい顔になった。
やー、でも、そうだよねー。
エルフさんは年齢不詳過ぎて本当に解んないもん。辛うじて雰囲気でなんとなくソーニャさんが年上だって思うだけで、お母さんだとは思わないって。
私だって「あっちゃん」って呼ばれなかったら分からなかったもん。
へらっと苦笑して、奏くんに首を横に振って見せると、ソーニャさんを紹介する。
「こちらのソーニャさんは、先生のお母様だよ」
「は!? うっそだー! 先生とそんな変わんないじゃん!?」
アーモンド型の目を大きく開いて驚く奏くんに、ソーニャさんが視線を合わせるように屈む。
「いいえ、こう見えて大分歳上なのよ? 貴方はかなちゃん……奏君ね?」
「あ、はい。奏です、初めまして!」
「初めまして、ソーフィヤ・ロマノヴァよ。よろしくね? ばぁばって呼んでね」
「え、無理。どう見てもばあちゃんに見えないもん。おれの中のばあちゃんがゆくえふめいになる」
「もー! そんな若くて綺麗なんて煽てても何もでないわよ?」
えーっと、コメントは差し控えよう。
私は運んできた木箱を横に、ロッテンマイヤーさんを手招いた。
「ロッテンマイヤーさん、姫君様から蜜柑をいただきました」
「まあ……」
「桃のような効用はないので、皆で分けて食べるとよい、と」
「左様で御座いますか」
「うん、奏くんやソーニャさんにも持って帰れるように準備してもらっていいですか?」
「かしこまりました」
ロッテンマイヤーさんが一礼すると、タラちゃんとござる丸がさっと木箱を厨房の方に運んで行く。
私とレグルスくんと奏くんとで押すよりかなり速い速度で行っちゃった二匹の後ろを、悠然とロッテンマイヤーさんは追って厨房へ。
私とレグルスくんが食べてた実を見て、ヴィクトルさんが頷いた。
「今回の蜜柑は本当にそうみたいだね。あーたんが食べてるの鑑定してみたけど、単なる蜜柑って出てた」
「桃ではまた鳳蝶君が悩むからでしょう」
「蜜柑の皮を十日くらい干したら、いい入浴剤になるんだよね。良かったね、まんまるちゃん」
ロマノフ先生とラーラさんも頷いていると、ソーニャさんが小鳥のように首を傾げる。
その桃色の唇が「桃って……?」と呟いたのが見えたけど、先生たちの誰も何も言わない。
ということは、言わない方が良いのかしら?
様子を窺っていると、ソーニャさんは追及する気はないのか、瞬きをひとつして「まあ、いいか」と納得した様子。
さて、それじゃあ朝の日課も終わったし、奏くんとソーニャさんのご対面も終わった。
これで用事らしい用事は全てすんだので、昨日出来なかった菊乃井観光をしようということに。
メンバーは私とレグルスくんと奏くん、それから先生たち三人。
ロッテンマイヤーさんも誘ったんだけど、いつも通りに過ごして欲しい、様子は使い魔が見てるからと、ソーニャさんが言うのでロッテンマイヤーさんはお留守番で屋敷のことをするそうだ。
転移で街に降りると、ソーニャさんはキョロキョロと辺りを見回す。
「やっぱり記憶にあるのとは、少し変わってしまっているわね」
「そうなんですか」
「ええ、宿屋さんなんかは変わらないみたいだけど」
そう言ってソーニャさんの細い指が指したのは、フィオレさんの宿屋だ。
今日も今日とて、引っ切り無しに人が出入りしている。
その賑わいを眺めながら通りを歩くと、冒険者同士なのかお互い気安そうに挨拶を交わしているのが見え、ご近所のおばさんや娘さんが井戸端会議に精を出していた。
段々と街は豊かになっていってる。今度はこれを農村部まで波及させなきゃ。
理想にはまだ程遠いけど、去年より人々の顔が明るいような気はする。
でもここでホッとしちゃいけない。
きゅっと手を握ると、ふわりとその上から柔らかい手に包まれる。
隣にはソーニャさんがいて、なんだかうまく言えないけど、凄く優しい目が私を映していた。
「私が稀世ちゃんと知り合った頃の菊乃井ってね、こんな感じだったのよ。懐かしいわ」
「そう、なんですか?」
「ええ、もっと豊かで賑やかな、それでいて平和で穏やかに暮らせる街にしたいって張り切ってた」
でも、その想いと裏腹に菊乃井は寂れた。
お祖母様は、どんな想いで寂れていく街を見てたんだろう。
私には解らない。
解らないし、それは知りたくない。
前を見据えると、ふわりと手を離されて、頭をワシワシと撫でられた。
その手が優しくてソーニャさんを見上げると、バタバタと衛兵が街の外に走っていくのが見えて、ざわりと先生方に緊張が走る。
辺りに注意していると、冒険者ギルドの扉から勢いよく走り出す青い髪の毛の女の人。
ラーラさんが声をかけた。
「サンダーバード、どうしたんだい?」
「それが隣の男爵領……じゃないや、旧男爵領? いや、公爵領だっけ? そこの山で、中途半端にカトブレパスに手を出した馬鹿がいて、怒ったカトブレパスが暴れ狂って菊乃井に向かってるらしいのよ!」
「カトブレパスだって!?」
「そうよ!」
街中に緊張が走る。
カトブレパスは豚の頭に牛の身体、首は腸のような形状でかなり長い、石化の魔眼を持ったモンスターで結構強い。どのくらいかっていうと、エストレージャでも結構苦戦するかなってくらい。
倒せばそれなりにはお金になるなにかを持ってた筈だけど、怒らせるととんでもなく手強くなるから、殺るときはさっくりやらないと返り討ちに遭うようなモンスターだ。
しかし、晴さんはごくごく軽い調子で。
「あっち側……あー、旧男爵? そこから行ってる冒険者は、ほぼほぼ石化されてるんだって。だから倒してやんないと、ソイツら心臓が石になって死んじゃうんだ。幸いこっちはEffet・Papillon製の状態異常無効が付与された服とかあるから、寄って集ればなんとかなるだろうって、血の気の多い奴らが先行してるんだよね」
肩を竦めておどけた調子で言う晴さんだけど、なんかソワソワした雰囲気。
ラーラさんが口の端を上げた。
「素直じゃないなぁ。エストレージャもバーバリアンも留守だから、自分が何とかしようと思ってるんだろ、サンダーバード?」
「ぐ、べ、別に、先に行った奴等の心配なんかしてないし! 石にされた奴等のことも、なんとも思ってないし!」
気にしてるんじゃん。
素直じゃない晴さんの肩をラーラさんが叩く。
ロマノフ先生はソーニャさんの顔を見ると「子供達をよろしく」とだけ告げて、ヴィクトルさんと並んで晴さんとラーラさんの方へ歩く。
「行ってらっしゃい。衣服が破損したら、メンテナンスは承ります」
「はい、先に行ってる人達に伝えますね」
先生達と晴さんの後ろ姿に声をかけると、四人とも振り返らずに手を振る。
それを見送ると、近くのラ・ピュセルのカフェへとお邪魔することに。
扉を開いたところで受付をしていたエリックさんに事情を話すと、まだ営業時間前の稽古を見ながらお茶をさせてもらえることになった。
四人がけのテーブルでレモン水を飲んでいると、舞台ではユウリさんの歌声が響き、それを真似るようにシエルさんとラ・ピュセルの声が響く。
「これが、菊乃井少女合唱団?」
「はい。でも、もうすぐ菊乃井歌劇団になります」
「そうなの」
帝都でも彼女達はコンクールのお陰で有名になったから、ソーニャさんもご存知らしい。
聞こえてくる歌声に心が弾む。
穏やかな気持ちで彼女達の歌声に身を委ねていると、ソーニャさんが「あのね」と小さく囁く。
「あのね、私があっちゃんたちに会いたかったのは、あの子達が自分の子供のように大事にしてる子なら、私の孫も同じだからっていうのもあるのだけど、それだけじゃなくてどんな子達なのか知りたかったからなの」
「はい」
「エルフってね、子どもが親より先に亡くなることはまずないの。本当に順番通りでね。ごくごく稀に、戦いに巻き込まれたり、事故や災害に遭ったりで逆縁になることもあるけれど、そんなの本当に珍しいことなの」
だから先に子供に死なれるなんて経験を知るエルフなど両手で足るかくらいだそうだ。
人間を我が子としたロマノフ先生は、その両手の中に入っている。
「レーニャが亡くなった時、ヴィーチェニカもラルーシュカも大泣きしたわ。でもアリョーシュカは『あの子はちゃんと生ききったから』って泣かなかったの」
ロマノフ先生は泣かなかったんじゃなく、泣けなかったのかも知れない。
レーニャさんは人間としては大往生で、まさに生ききって旅立ったのだろう。涙で送るのは違うと、泣けなかったのかも。
何も言えないでいると、レグルスくんも奏くんも、同じく何も言えないのか、静かにレモン水を見ている。
「ハイジちゃんに聞いたけど、ヴィーチェニカもラルーシュカも、ハイジちゃんがレーニャの末裔だと知っても、レーニャの話を出来ないでいるみたいなの。まだまだ二人とも悲しいのね」
「ロッテンマイヤーさんも、会ったことのないレーニャさんのことを話せないでしょうしね」
「そうね。でもそれだとレーニャは本当に死んでしまうわ」
ぽつりと溢れた嘆きに、奏くんがハッとした顔になる。
「じいちゃん言ってた……。人間は二回死ぬって。一回は本当に死んじゃった時だけど、二回目はだれからも忘れられた時って」
「だれからも、わすれられたとき……」
レグルスくんの呟きに、私はあっと思った。
レグルスくんのお母様の事だ。
レグルスくんのお母様のことは宇都宮さんが覚えていてくれてるから、それをレグルスくんに伝えることは出来る。しかし、レグルスくんも宇都宮さんも知らないお母様を語れる人間を、私はレグルスくんから遠ざけているのだ。
このままではいけない。
レグルスくんの中からお母様の記憶を消すようなことをしては駄目だ。
父親憎しで、私は大事なことを見落としていたのかも知れない。
お読みいただいてありがとうございました。
感想などなどいただけましたら、幸いです。
活動報告にも色々書いておりますので、よろしければそちらもどうぞ。




