菊乃井さんは今日も崖っぷち
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『わかしゃまー! おてまみれしゅよー!』
幼い、軽やかに明るい声がドアの向こうから聞こえる。
それに返事して扉を開けると、アンジェラちゃんが立っていた。
エリーゼや宇都宮さんが着ているようなメイド服だけど、アンジェラちゃんのにはエプロンに可愛いリボンが沢山付いていて、肩から布の小さな鞄を下げている。
そして紅葉のような小さなお手々には手紙。
「ろ、ろま、ろまにょふしぇんしぇーから、わかしゃまにわたちてくらしゃいって」
「はい、ありがとう。ご苦労様です」
「あい!」
労いの言葉ににぱぁっと笑うのが可愛い。
アンジェラちゃんはなんと、シエルさんがお稽古中は菊乃井の屋敷で働いている。
正確にいうと、メイド見習いなんだけど、ロッテンマイヤーさんが将来性を見込んで、今からメイドの必須技能や読み書き計算をやわやわと教えつつ、お姉さんのいない間の子守りを請け負ってる感じ。
なんというか、アンジェラちゃんはレグルスくんの一つ下なんだけど、素早さと身体の丈夫さは引けを取らないんだよね。
それがロッテンマイヤーさん的には将来性を感じさせる、期待の大型新人なのだそうな。
ふっとアンジェラちゃんから視線を上げて、廊下の曲がり角を見るとエリーゼが姿を見せて、ちょこんとお辞儀する。
今日のアンジェラちゃんの教育係はエリーゼのようだ。
「ん!」とアンジェラちゃんが差し出してくる頭を撫でると「あいあとごじゃます!」と一礼して、彼女はエリーゼの元に去っていく。
私は部屋に戻ると、渡された手紙を見た。
差出人の欄にはロートリンゲンと署名がある。
開封済みな辺り、これは私というより「私たち」に来た手紙のようだ。
中に入っていた便箋に目を通す。
そこには私が夏休みをコーサラで過ごしていた頃、とある公爵家一門の治めていた土地にあるダンジョンで、モンスター大繁殖からの冒険者も領民も天領も巻き込んだ大災害が発生したそうな。
そこはもう何百年と大発生が起こっていなかった土地で、ダンジョンを管理していた公爵の分家は全く備えをしておらず、それが被害を食い止められなかった要因らしい。
事後処理はまあ色々あるんだろうけど、帝国にあるダンジョンは一つじゃない訳で、この件を機に一斉にダンジョンを領地に抱える貴族に対し、きちんと備えがあるのか調査命令が出たそうな。
我らが菊乃井の伯爵夫妻にも、勿論命令は下った。
しかし、あの二人に答えられる筈もなく……。
いや、ルイさんはうちが大発生対策で色々やってることを、あの二人にきちんと報告書として出してたんだよ。
だって私の手元に書類の写しがあるんだもん。
更に言えばロートリンゲン公爵の信用を勝ち取るために、その書類の写しを閣下にもお渡ししてるし。
自領のことも答えられないとは何事かと、菊乃井伯爵夫妻は目茶苦茶お怒りを買っちゃったそうな。
それでもロートリンゲン公爵が備えに関する報告書を、陛下にご提出くださったそうで、菊乃井の実務方面の担当者──つまり私と菊乃井家そのものにはお咎めはなし。
そろそろ菊乃井夫妻は隠居するかもしれないと、帝都で専ら噂になっているそうだ。
そんな訳で汚名返上というか、きちんと自領の説明を自分の口から出来るようになるまでは国元にあの二人は帰れないだろう。
いや、周りの貴族たちがオモチャにして帰さないだろう。
そうなるとずるずる帰れなくなり、解放される頃には新年が近くなって、もう今年は帰れなくなるので、そちらに夫妻が帰るのは年明けになるはずだ。
手紙はそう締め括られていた。
……うち、本当に崖っぷちじゃん!?
思わず白目になっちゃったよ!
麒凰帝国では基本的に、辺境やダンジョンのある領地というのは、帝国に忠誠を誓う、皇帝が信頼に値すると認めた家が治めることになっている。
特に辺境伯なんかは古い家が多いし。
だって辺境伯を選ぶって難しいんだよ?
外国との国境だから下手に揉め事を起こされても困る、だからって相手と馴れ合われても困る。
忠誠心が揺らぐこと無く、かつ、政治的なバランスを考えられる人物なんて、然う然ういないんだから。
ダンジョンはその点うま味がなくはないし、利点を解ってて、きちんと統治してくれるならっていうんで、ホイホイ国替えの対象にはなってるんだけど。
それだって功績があって、信用があるからこそ任される訳だし。
前回の大発生時は不十分ではあったけど、ちゃんと準備していた点と天領に被害を及ぼさず、自領内で騒動を終わらせたことで、菊乃井は何とか面目を保てた。
けれど今回は本当に危ないところだった。
何せ前回の大発生からまだ百年も経っていない。それなのに自分達の遊興費のためにダンジョンの管理費を削ってたなんて知れたらどうなっていたか……。
お家が平地になっててもおかしくない事態に、背筋がとても寒い。
爵位なんかなけりゃ、レグルスくんと将来揉めずに済むかもだけど、そうなると今度は私だけであの子を養っていける筈もない。
ましてミュージカルなんか夢のまた夢だ。
ロートリンゲン閣下の手紙を畳むと、私は天を仰ぐ。
白目剥いてる場合じゃないや。
ロマノフ先生からアンジェラちゃんが頼まれたってことは、ヴィクトルさんやラーラさんもこの手紙を見ている可能性が高い。
それも確認しなきゃだし、ロッテンマイヤーさんやルイさんにもこの手紙を見せておきたい。
部屋の扉を開けて廊下へと出て、早歩きしながら一階への階段の曲がり角に差し掛かる。
そして階段に差し掛かろうとしたところ、階下から「にぃにー!」と元気な声がした。
手すりの隙間から下を覗くと、笑顔で可愛くパタパタと手を振るひよこちゃんと、その隣には申し訳なさそうな顔をしたヨーゼフがいる。
「レグルスくん? ヨーゼフはどうしたの?」
「あのねー、おはなしがあるのー。でもねー、ヨーゼフ、しからないっておやくそくしてほしいのー!」
「んん? なんかあったの?」
「ヨーゼフ、しからない?」
「いきなり怒ったりはしないよ。お話を聞いてからじゃなきゃ、決められないけど」
「わかったー! ヨーゼフのおはなし、きいてー?」
「いいよ」
先にヴィクトルさんやラーラさん、ロッテンマイヤーさんのところに行くべきなんだろうけど、とことこと階段を下りて見たヨーゼフの顔色が物凄く悪い。
ガタガタと震えているから、体調が悪いのかも。
そう思って声をかけようとした時、がばっと勢いよくヨーゼフが頭を下げた。
「も、もも、もうし、申し訳ありません!」
「へ?」
「わ、わわ、わか、若さ、若様のポニーをあ、あず、預かっていながら……!」
「よ、ヨーゼフ、落ち着いて……!」
過呼吸でも起こしてるんじゃないかと思うぐらい荒い息に、慌ててヨーゼフの折り曲げた背中を擦ると、レグルスくんも心配そうな顔でヨーゼフの背中を擦る。
もう、うちのひよこちゃん、本当に良い子なんだから……って、そうじゃない。
和みかけたのを抑えつけて、とりあえずヨーゼフに顔を上げさせると、彼の顔面は涙と鼻水でぐちゃぐちゃ。
ハンカチを差し出すと、ヨーゼフはグスグスと本格的に泣き始めた。
「お、おら、じ、自分がなさげね……。わ゛がざま゛に゛、ポニ子ざん゛ざ、ま゛がじでも゛ら゛っでだの゛に゛ぃぃぃ」
「泣かなくていいから。ポニ子さんに何かあったの? 病気? 怪我?」
「ヨーゼフ、ないちゃめーだよー。ぽにこさんのこと、おはなしするんでしょぉ?」
まるでこども……って言っても、レグルスくんはそんな泣き方したことないし、奏くんもしないからちょっと解んないんだけど、目茶苦茶大きな声で泣き出したヨーゼフを、レグルスくんと二人で手を引いてリビングに連れていく。
すると、リビングの掃除をしていた宇都宮さんが飛び上がって驚く。
事情を説明すると、お茶を三人分用意してくれて。
グスグスが治まるまで時間が掛かりそう。
そう思っていると、レグルスくんが「あのねぇ」と話し出した。
「ぽにこさん、びょーきじゃないけど、おいしゃさんにみせたいんだって」
「病気じゃないけどお医者さんにみせたい?」
なんだそれ?
意味がイマイチ、イマニくらい解んないんだけど。
レグルスくんの言葉に、二人して首を捻る。
すると漸く鼻水を啜りながらヨーゼフが口を開いた。
「はっはは、はら、に、や、やや、ややこがい、いるみたっ、みたいで」
耳慣れない言葉に、頭に疑問符が浮かぶ。
「はらにややこがいる」とは一体なんぞいや?
ゆっくり言葉の意味を噛み締めてはっとする。
「あ、赤さん!? ポニ子さん、赤さんいるの!?」
「あかさん!?」
思わず叫んだ私に、ヨーゼフが真っ青になり、座っていたソファから飛び降りて土下座のスタイル。
平身低頭の見本のように、絨毯に頭をめり込ませた。
「も、ももっ、申し訳、ござっございません! わ、わかさ、若様からお預かりしていたポニ子さんを、どどどどこっ、どこの馬の骨とも解らんやつに……! なんとお詫びしていいか……!」
ヨーゼフのいうにはもうお腹は恐らく臨月を迎えているってくらい大きいそうだ。
だから夏の脱走を繰り返していた時期に、まあ、その、ゴニョゴニョしたんだろうってことらしい。
しかし。
「待って? 私とレグルスくん、昨日ポニ子さんのお世話したけどお腹大きくなかったよ?」
「ぽにこさん、ぺったんだったよー?」
私とレグルスくんの日課にはポニ子さんの世話も含まれる。
そんな毎日のように見ているのに、妊娠に気づかないなんてあるもんだろうか?
疑問にひたすら唸っていると、ヨーゼフが覚悟を決めたように口を開く。
その表情は悲壮というより他無いほどで、顔から血の気が引いているのか、唇も真っ青だ。
「モンスターのややこなら、もしかして……」
その呻き声に背中が粟立つ。
モンスターなら、ポニ子さんが危ない。
「ヨーゼフ。先生達、特にヴィクトルさんに厩舎に来てもらうように伝えてください。ヴィクトルさんにポニ子さんのお腹の中にいるものを見てもらいましょう」
「は、はは、はいっ!」
「ポニ子さんのお腹にいるものがモンスターだったら、ポニ子さんの腹を食い破って出てくる可能性もある。そうなら……」
「そうなら、にぃに、どうするの……?」
そんなの決まってる。
もし凶暴なモンスターなら、その時は。
「ぽにこさんのあかさん、どうしゅるの……?」
「その時は、ポニ子さんのお腹を食い破る前に死んでもらいます」
凄く冷たい目をしてる。
うっすらとレグルスくんの、涙の膜が張った青い瞳に映る私は、とても酷い顔だった。
お読みいただいてありがとうございました。
感想などなどいただけましたら、幸いです。
活動報告にも色々書いておりますので、よろしければそちらもどうぞ。




