10-3.エルドアンの鋼
「ああ、やっぱりソマはミャーノに言ってなかったんだな。そんな気はしてたけど」
「キア殿が『エルドアンの鍛えた鋼は、対魔力性能がずば抜けて高い』と言っていたんだが、私はよくわかっていないんだ。使い方も。教えてほしいんだ。もちろん後でいいから」
「あ、私も」
「いいよぉ。まあ、たぶんミャーノは既にその性能引き出せてるから、使い方で悩むことはないってのは先に言っとくな」
キア達とは、夕方に指定された場所で集合する約束をして、一旦別れた。
私たちはミーネとアークに早くミャーノ拉致事件の解決を知らせるべく、宿に向かった。早足で。
「ミャーノさん? よかった、ミャーノさん…ッ!酷いこととかされてませんか? 痛いところがあったら言ってください!」
宿の一階の入り口扉を開けて入ると、アークがもんどりうつように私の腰に飛びついてきた。
「大丈夫、擦り傷一つ負っていないよ。待っててくれてありがとう」
私は、アークの背中をぽんぽんと軽くあやす。
サラとビラールだけでギルドに来たのはサラの判断らしいが、アークはともかくミーネは荒事に長けているわけではないのだから、それが正解だと思う。ああ、ビラールも非戦闘員だが、彼はキアの知人なのだから連れていくのが正解で良いのだ。
それにしてもミーネ、キアは一回唐突に名乗っただけなのに、よく一発で覚えてサラ達に報告できたな。私がミーネだったら、正確に名前を思い出せそうにはない。
「助かりました、ミーネ」
「いいえ…ビラールさんがお知り合いだとおっしゃっていたのを聞いてご無事だろうとは思っておりましたから…でも、私もやっと安心いたしましたわ」
そう言いながら、胸を撫で下ろしていた。
アークと違ってミーネは飛びついてきたりしない。
淑女だなあ……。
「お三方? そこの兄さんが大変だったみたいじゃないか。特別に朝食、とっておいたから、チェックアウト前に食べておいき。スープは今あっためてるから」
玄関先で再会を喜び合っている私たちに、この旅籠の女将さんが、そんな有難い提案をしてくれた。
「えっ、あ……ありがとうございます!」
「嬉しいのだわ、ありがとう!」
「ありがと、おねーさん! いただきまーす」
ああ、申し訳ない。サラもビラールも、朝食を放って、私の窮地に駆けつけてくれたのだ。
なんの変哲もない、ベーコンエッグにトマトサラダ、黒糖パンに鶏肉のスープというメニューは、舌と胃にじんわりあたたかさをもたらしてくれた。バジルの薫りが、頭を清涼に澄ませてくれる。
朝ごはんがいただけるというのは、平穏無事の象徴みたいなものだと思う。
平穏無事というのは、使い魔としてここにいる私にとっては贅沢な状態なのだ。
都子の時なんて、特に一人暮らしを始めてからは普段ロクな朝食などとれていなかったから、旅行先の旅館でしっかりした朝ごはんを食べられるだけで、贅沢な時の過ごし方をしていると感じてしまっていた。
バニーアティーエ邸の朝なんて、毎日がボーナスステージ状態だったのだ。
「エルドアンは、実は俺の師匠の師匠なんだ。ちなみに、ソマの店には師匠が卸してる剣も多いよ」
「それでソマの店にこれが。普通に売ってたけど、貴重なもののようだよな…?」
「目玉として飾ってただけさ。ソマがアンタに売ったのは、アンタのことが気に入ったからだろうよ、ミャーノ」
「ソマ…」
そういえば、この片手半剣をソマが握らせてくれる前に、私がなんとなく視線を向けていたからと触らせてくれたサーベル、あれはこの片手半剣と同じ刀工の作だと言っていたような。
あの店にはエルドアンの剣が他にもあったんだろうか。
「対魔力の特性とやらが必要なら、騎士団で買っておけばいいのにと思ったんだが」
「『エルドアン鋼』のその特性は、その剣を振るう側にもある特性がないとダメなんだよ。んで、騎士団の人間は割とこの特性を持ってる奴が少ない。剣があっても意味ないわけ」
「……もしかして、魔術を戦闘活動に利用してはダメということかしら? 剣士自身の魔術にも、その鋼の特性が作用するのではないの?」
「おっ、さすがサラっち。その通り」
「えっ」
思わず胸を押さえる。この身体はそもそも魔法で動いているものだ。
「師匠に聞いたところによると、魔法は併行して使えるみたいなんだけどね。対魔力っていうか、正確には魔術の無効化らしいんだ。取り消しに近いかな」
「はあ」
押さえていた腕を下げる。
「ん……?」
そこで、やや疑問が湧く。
いや、でもこれに関しては後でサラに確認しよう。別に、取り消されたところで構わないものだし。
「なんかわかんないとこあった? ミャーノ」
「いや、問題ない。それでキミ、さっき私はもう性能を引き出せていると言っていたのは――」
「ミャーノ、『オジギ亭』で例のヤツを撃退した時使ってたの、その片手半剣だろう?」
「あ――ああ。そうだけど」
「これは“噂”で聞いたんだけど、アンタ、その時相手の手首切り落としたって」
「ああ」
もっとも、そいつの手首は次に会った時には再生してしまっていたけれど。
「その相手、真っ黒な影の怪物だったんだろう? それが『影傀儡の術』かどうかはわかんないけど、その時の目撃証言からはどう考えたって魔術による顕現だった可能性がめちゃめちゃ高い」
確かに、ベフルーズもザール団長も、影傀儡を物理攻撃できる前例を知らないと言っていたような気がする。
「『エルドアン鋼』の対魔力っていうのは、それ」
「私は遣えていた、と」
「たぶん、そう。いや、試すのは簡単だ。この先に、広場がある。そこでちょっと、サラっちに手伝ってもらってやってみようじゃん」
広場というのは、草野球のためのような開けた場所であった。砂地と草原が混在している。樹木は広場を丸く囲むように植わっていたので、広場の中自体の見通しはとても良い。
たまに開かれる祭りや武道会などのための会場だそうだ。
「サラっち、攻撃する魔術で手加減ってできるかい?」
「手加減って?」
「手加減は手加減だよ。相手が防げなくても死なない――んー、怪我しない程度? あと範囲の限定かな」
「ふむふむ。それじゃあ、まず矢の術にするのだわ。物理的なものだし、貫通力を下げて、速度を落とせば、それなら、魔術をキャンセルできなくても、ミャーノは何とか出来るんじゃない?」
おっと……私が実際にはまだ拝んでない魔術じゃないですか。
「まずミャーノがキャンセルを使えているのか見てみよう」
「おいビラール。サラが調整を誤って私がエルドアン鋼の特性を使えてなかったらそれ死ぬやつなのでは?」
「ビラールさん……ミャーノさんがせっかく無傷で帰ってきたのに、敵は身内にいたなんて……」
「おおっと、待とうかアークくんさん。その装置はなんだい?」
行李から操縦桿のような何かを取り出したアークにビラールは身構えている。
「大丈夫よう、二人とも」
「……はあ。頼みますよ、サラ」
「サラさんを信用してないわけじゃないんですけど、やっぱり心配ですよお……」
サラから10メートルくらい距離をとって、剣を抜き、左手を掲げる。
「お願いします、サラ」
「おっけー! 行くわよミャーノ……≪ティグラー≫――千を射貫け!」
なんて不安しかない詠唱だ!
しかし、予告通り、魔術で生成された三十本ほどの矢は、フラフラした軌道でぽろぽろ自重で私を目掛けて落ちてくるだけ。
「――っと、……よ、っと」
コンキンカン、と鏃と鋼がぶつかる音が軽快に響く。
これは、普通に物理で矢を払い落としているだけだ。
地面に落ちた魔術の矢は、跡形もなくスウッと大気に溶けた。
「……ビラール?」
「あれえ~? おかしいなあ」
「キャンセルというなら、ミャーノさんの剣と接触した時点で矢が消滅してないとおかしいのでは?」
アークの言葉に私も頷く。
「う~ん…ミャーノがその気にならないとダメなのかもなあ……サラっち、ちょっとずつ威力あげてこー」
「え~…ミャーノ怪我しないでね……」
「おお…サラ…そんな自信のなさそうな表情を……」
「もう一丁――≪ティグラー≫――千を射貫け!」
今度はざっと五十条――軌道はしっかりと私の方を向いている矢が生成されたのがわかった。
(だが、見える!)
この身体の神経に全てを任せて、これも薙ぎ払う。矢はやはり地面までその形を保っていたようだ。
「サラ、どうやら物理的な攻撃では、私はただの剣で防げます」
「む、全力でやったらわからないじゃないのよ」
「すみません、侮っているわけではないのです――ただ、打ち消す必要がどうにも本能的に感じられないというか」
「なるほど、必要に迫られないとダメなのか」
ビラールが一人で得心していた。そうして己のサックからロングソードを一振り取り出して鞘から抜く。
「サラっち、ちょっとこいつに炎を纏わせてくれない? そう、魔装剣にしてほしいんだ。できる?」
「やったことないけど、やってみるのだわ。でもその剣の刀身は…?」
「大丈夫、それ用だから」
「なら――≪アーテシュ≫――紅蓮の児よ」
サラが施したその焔は、竜のようにビラールの剣に絡みついてゆく。
「ヒヒ……これこれ、サラっち、上手いよ。ミャーノ、今からこれを振り下ろすから、そのバスタードソードで受けて」
「……了解」
「せぇー…のッ」
上段からの魔装剣を、下段から掬うように。
ガインという少し軽めの金属音。
――かくして、アーテシュの焔は霧散した。
「……ああ。何となく手応えは感じたよ、ビラール」
「……ッそりゃあ…よかった……っつぅうわあ……」
「ん? どうした」
「痺れた…ひ、肘までビリビリする……」
「は? 大丈夫か?!」
片手半剣はすぐに鞘に収めて、ブルブルしているビラールの手を解いてロングソードを受け取ってやる。
「どうしたらいい? 揉みほぐすとか?!」
ロングソードは静かに地面に置いて、動かないでいるビラールの両掌をむやみに揉む。
「あっ痛い痛いだめだめ」
「すまん!」
「さすられるのもいてえー!」
「すまん!!」
「ちょっと退きなさいミャーノ」
「はい!」
サラは呆れた顔で私の腕を押してビラールの前に立つと、彼に癒しの術を施した。
昼食用に屋台で軽食を購入してくると言って、アークとミーネが通りへ向かっていく後ろ姿を見送る。疲れたと四肢を投げ出して草原に寝転ぶビラールを尻目に、私はサラに囁いた。
「あの、サラ、ちょっと」
「ん? なあに、ミャーノ」
「ベフルーズが私に刻んでた紋様、さっきので消えてますかね……?」
「あ、そっか。翻訳能力はあなたの場合魔法だから関係ないしと思っていたけど、それがあったわね」
「――私自身が腹を触ったところであれ、発光しないので……自分で確認もできないのですよ……」
ビラールが説明している最中に気になっていたのは、それだ。
「ま、まあ、かといって今めくって私があなたのお腹撫でるわけにもいかないのだわ……」
「え、ええ……」
「別に、消えてなくても――キャンセルされていてもいいじゃない。……キャンセルされたら困るの?」
「いえ、困り、ません」
「そう」
腹筋の辺りに施されたのも、下腹部の方に施されたのも――こちらはサラやアークにはバレていない方だ――、ないならないでもちろん別に問題ないのだが。
消えたら少し寂しいな、とは。うん。いや。
ない方がいいな、あんなもん。
ちょっと説明回。