【キーリス異聞】使い魔のいない刻・2
前回に引き続き番外編です。
ミャーノがいない世界線の話なので注意。
「おかえり、フィルズ叔父さん!」
フィルズがドアベルを鳴らすと、しばらくして内側から扉が開かれた。
そこには紅い椿が咲いたような、可愛らしい少女が立っている。
彼女は、フィルズの三歩後ろに控えていたパールシャにすぐに気がついた。
「あっ、あなたがパールさんね? こんにちは! 少しそのまま待っていて!」
パールシャが挨拶を返す間もなく、少女は身を翻して家の中へぱたぱたと戻っていってしまった。パールシャにしてみれば、フィルズに連れてこられたとはいえ、初対面の人間の家を訪ねている立場だ。門前で待つのは当然と思い、待たされることをどうとも思っていなかったが――フィルズはそうではなかったようで、申し訳なさそうにパールシャに詫びた。
「ごめんな、この家、魔術で結界が張ってあるんだ。主人の兄が一度は直接許可しないと、敷居を跨げないんだ」
「……へ……ぇ……? すごいな、後宮みたいだ……」
「おれは全然才能ないけど、兄貴とサラはすごいんだぜ。何せ――」
「すみません、お待たせしました」
フィルズが身内の自慢を続けようとしたのを遮るように、玄関に男が現れた。フィルズの前を通り過ぎて、そのままパールシャの目前まで歩いてくる。
「パールさんですよね。弟がお世話になっております。フィルズの兄の、ベフルーズと申します」
「はじめまして、ベフルーズさん。こちらこそお世話になっております、……はい、パールです」
差し出されたベフルーズの握手の求めに応じながら、パールシャは一瞬だけ悩み、「パール」と名乗った。
相手が名前をあらかじめ知っていてくれたが、それがかつては家族や村の人々、今はフィルズからしか呼ばれることのない「愛称」だった時――それを訂正するのが失礼になるのかならないのか、パールシャには判断出来なかったのだ。
数日のちにパールシャがシーリンの自警団を訪れた際、自署が要されるその時まで、ベフルーズとその姪は、パールがパールではなく、パールシャであると知ることはできなかった。
もちろん、その時に糾弾されたのは、手紙で三年間パールと綴り続けたフィルズであったし――ベフルーズ達に失礼を詫びられたパールシャは、そのまま愛称で呼んでほしいと請うた。
「別にいいじゃん、結果オーライだし」
「お前が言うな。自分でパールなんて名乗るのがどれだけ恥ずかしかったと思ってる」
「え? なんで? 響き可愛くない?」
「だから恥ずかしいと言っているのがわからないのか?」
「恥ずかしくないぞ。おれはパールって呼び名気に入ってる」
「お前の感想は聞いていないし、そもそもお前が勝手に呼び始めたのにお前が気に入ってなかったらこっちがびっくりするわ」
「じゃあいいじゃん。おれは好き、ハイ終わり」
「お前なあ」
そのじゃれ合いは、自警団長の息子が「とりあえずこの討伐の依頼進めていい?」とツッコミを入れるまで続いたという。
閑話休題。
ベフルーズは握手していた手を戻すと、パールシャとフィルズを家の中へ招いた。
「あれ……お邪魔してもよろしいのでしょうか」
「え? もちろんですよ、どうぞ」
「ありがとうございます、では……いえ、結界があると聞いたので」
「……あー。こら、フィルズ」
「え? なに?」
「ウチの防御結界は一応秘匿魔術だからホイホイ話しちゃいけないと言っただろう」
「ホイホイは話してないよ。パールは身内みたいなモンだし構わないだろ」
誰が身内だ――パールシャはそう思ったが、いくら普段は遠慮がない友人とはいえ、初対面のご家族の前で悪態をつくのはいかがなものかとわきまえていたため、黙っている。
「おまえが魔術方面ダメなのは、そういう大雑把なところだぞ、絶対――ああパールさん、すみませんウチのが本当に。結界内への許可はさっき握手させていただいたときに済ませてますので」
「……ありがとう、ございます」
パールシャは少し驚いた。彼は目を瞬かせてしまったので、その驚きはベフルーズに通じてしまう。しかしベフルーズはそれを受けて微笑みだけを返した。
ベフルーズには、パールシャが驚いたことで、パールシャに多少の魔術学の知識があることがわかったのである。
(普通、結界内への侵入を許可する人物リストの書き換えなんて、握手の一瞬でできるものではない――)
何度か後宮に遣いをしたことがあったパールシャは、後宮の結界に一時的に入るための手続きの経験があった。
後宮の結界は毎日、複数人の当直の魔導士が、共同で張り直している。中に入りたい場合は、魔導士に術の書き換えを依頼しなくてはならないが、それは毎度十五分ほどみておかなければならなかった。
それゆえに、ベフルーズのそれには驚愕したのだ。
ベフルーズはベフルーズで、シーリンの街に防御結界など張っているような場所がないため、彼の知己は誰も彼の家にすんなり入れることの凄さを理解していないので――理解されたいわけでもなかったが――思わぬところで己の腕を褒められたようで、悪い気はしなかった。
ベフルーズはメシキの森の魔女シビュラの弟子であったが、今、一番弟子の称号は、妹弟子である姪のサーラーに譲っていた。そのこと自体は誇らしいことであり、劣等感などに覚えはなかったが――普段は満たされることのない類の、一種の承認欲求が満たされたのだろう。
こうして、パールシャのバニーアティーエ家への滞在は、邸の主人に心の底から歓迎をされたのである。
お読みいただきありがとうございます!
パールシャの番外編はあと一、二話で終わってその後本編に戻ります。