【キーリス異聞】使い魔のいない刻
フィルズ・バニーアティーエの同期であるパールシャには家名がない。
キーリス国で家名を持つのは、武勲を立てたり、荘園を持つなどした、士族や貴族が殆どである。
パールシャは親の代までは家名を持つ士族であったが、その子であるパールシャからは、ただのパールシャとなったのであった。
これは、葛野都子が使い魔ミャーノとしてサーラー・バニーアティーエに召喚された世界とは異なる、平行世界のお話である。
パールシャはキーリス王軍騎士団の南大隊・通称「朱雀」の百人隊長を務めていた。
彼は家名を名乗っておらず、まだ騎士となってから三年目であるということを考えたとき、現在の彼は相当の出世頭と言えた。
フィルズは、パールシャが百人隊長となったきっかけの、三年前の或る事件をよく話題にした。
彼にとってはそれが、自分とパールシャの仲の良さを示し、パールシャの強さをよく表す、良い鉄板の「持ちネタ」となっていたのである。
「ゾルフィータ盗賊団の敗因は、おれに大怪我を負わせたことだ。パールがおれとダチだったのが、あいつらの運の尽きだったのさ」
そう言いながら、首筋のケロイド状の傷痕を見せれば茶化す愚か者はあまりいなかった。
彼が生きて今朗らかに笑っていられるのは、本当に奇跡に近いことなのだということが明らかであったためである。
「何度言ったらその吹聴をやめるんだ……。だいたい、私は別に、傷つけられたのがフィルズだったからそうしたわけではない」
「うんうん、お前のそういうそっけない感じ、慣れた慣れた」
パールシャがフィルズのその「友人自慢」に乗っかって胸を張るような気質であったなら、フィルズはそもそも「吹聴」をしていない。
パールシャの隊で新人の歓迎会があるたび、フィルズはその新人に酌をしがてらパールシャの武勇伝を披露し、当のパールシャは居心地が悪そうに隅の方で静かに食事をしているという光景が見られた。
それが三年も続いたので、すっかり隊の名物なのであった。
王都ハルカン市の食事処の味の水準は、特に劣っているわけではないキーリス国内の他地方と比べても尚、とても高い。そういう事情から、王都では貧民街へ赴きさえしなければ大抵は旨い料理にありつけるのだが、「あの隊が宴席を設けるレストランにはハズレがない」ということでも、パールシャ隊は噂になっている。
「オレこの前『パールシャ百選に選ばれました』っていう看板見た」
「先月隊長が週イチで通ってた定食屋の期間限定メニュー、『パールシャの欲張りピザ』って名前で今月からレギュラーメニューになったの知ってた?」
部下達がデザートのチーズをつまみながらするそんな雑談が耳に入り、パールシャは軽く眉間を揉む。
さて、頭痛がするほどは呑んでいないはずであったが。
「…………会場を選んでくれているのは私ではなく宴会部長のハルニスだと、機会があれば異議を申し立てているのですがね……」
「その後で確認を取られた自分が『候補は挙げるが決定権は隊長にある』と否定しているからですな」
「何故否定?! ハルニス殿は毎回一店に絞ってから私に報告されているのに? 私に決定権などありませんよね?!」
「お嫌だったら却下できる立場でしょう、あなた」
「だって却下する理由がないでしょう! ハルニス殿の勧めて来られたレストラン、どこもアタリでしたし?!」
「では隊長の決定であって自分に責任はありませんな。それとも隊長はしがない宴会部長の自分などに責任を背負わせるようなお方でしたか……遺憾です」
「うぐぬぅ……」
パールシャはハルニスのしらりとした態度にぐうの音くらいしか出ない。ハルニスの方が年上ではあったが、特に貴族や士族ではなかったのはパールシャと同じであったので、純粋に武功の差でパールシャの方が上司となっていた。
パールシャは基本的には、上下を問わず丁寧な口調で話すことにしていた。
貴族や士族の子弟も多い騎士団では、皆の出自を覚えて敬語とタメ口を使い分けるよりも、その方がラクだったからに他ならない。
その法則において、フィルズは例外の一人であった。
今や百人隊長のパールシャは一人部屋を与えられているが、かつてヒラ騎士だった頃はフィルズと相部屋だった。周りは少なくともそれが理由でフィルズへは馴れ親しんだ態度をとっているのだと解釈していた。
だが本当のところは、
「命の恩人に他人行儀な口きかれたら、おれはパールに弄ばれたんだって泣いて回ってやる」
「わかった今後はおまえのことをぞんざいに扱うからそれで構わないな?」
「やったぜ」
「何がだよ?!」
こういう脅迫に近いやりとりがあった末での、この親しげなツレっぷりだったのであった。
様々な人種が各地から集うこの王都ハルカン市においてすら、パールシャの顔立ちは珍しいらしく、食事処の店員も、違う隊の騎士も、たまにしか共同戦線を張らない魔導士も、皆パールシャの顔を覚えていた。
醜いわけでは決してない。精悍と言っていいが、それは厳ついという表現からはほど遠い。
パールシャの髪は柔らかな薄茶色をしており、前線の騎士らしく短めに切りそろえてある。瞳は黒目がちの焦げ茶で、フィルズは「普段は野うさぎみたいな目をしているが、一度剣を抜くと熊のような目つきになる」と評していた。
南方の地方出身であった彼には祖母や母の南方民族の血が濃く出ており、それが、一般的なキーリスの人間からしたら魅力的な顔つきと身体つきを形成していたようだ。
特にフィルズは、パールシャの顔立ちをいたく気に入っていた。相部屋となって初めて挨拶を交わした時、素直にパールシャの顔を褒めた時、パールシャが咄嗟にフィルズから物理的に距離をとったことには、少し鈍いフィルズは気がついていない。
宴会が一旦終わりである旨を、皆にハルニスが伝えると、三々五々、隊の者たちは解散していく。隊長である自分が最後まで残ってしまうと部下が気を遣うので、パールシャは適当なタイミングで席を立ち、ウェイターに「ミートローフが特に美味しかったです」と声をかけることを忘れず、店を出た。
二次会と称して夜の街に繰り出す性分ではなかったので、他の者に捕まらないよう夜陰に紛れて宿舎に戻ろうとしたところを、あっさりとフィルズに捕まる。
「おれも戻るよ、パール。あ、そうだったそういえば。なあなあ!」
「なんだよ」
誰も「よし共に戻ろうか」とは同意していないが、フィルズは有無を言わせない。もっとも、パールシャはフィルズにこう言われて断ったことはなかった。
「おまえ、次の長期休暇日程おれと一緒だろ? ウチに遊びに来いよ。泊めるからさ!三食風呂付き!なんと魔動シャワー完備!」
「魔動シャワーいいな……じゃなくて。なんでだ。そもそも私はモスタンでのんびりするつもりでだな…」
「シーリンへの帰り道の途中で行き帰り一泊ずつはするから温泉には入れるって」
「そういうことじゃないし……だいたい知らない人の家に泊まるとか休まらないし……」
「もう手紙は出して、返事も来てるから、今更取りやめないぞ。兄も姪も、おれの命の恩人のおまえなら大歓迎だってさ」
「おまえはまた勝手に」
「またって何だよう」
「嫌だよ、面倒くさい。絶対気を遣うし、シーリンだと往復するだけで確かひと月がかりじゃないか。二ヶ月しか休暇がないのに」
三年に一度与えられる長期休暇は、フィルズとパールシャにとっては騎士団に入ってから初めてのバカンスだ。
パールシャは身寄りがもうないとはいえ、故郷の村がないわけではないのでそこへ帰っても良いのだが、シーリン以上に遠すぎた。二ヶ月では行って帰ってくるだけで終わってしまう。そこで、保養地として名高い、近郊の温泉街へ癒されに行こうとぼんやり計画していたところであった。
「えー。おれ一人でシーリンに行って帰ってくるなんて、山賊に襲われたらおれ絶体絶命じゃない?」
「……市民を守る騎士がなんだって? いや、護衛を雇え、護衛を」
「この前話したじゃん。護衛雇ったら寝てる間に財布と武器盗まれてトンズラされたって。おれちょっと人間不信のトラウマに陥ってんだよね。なー、いいだろー」
「……わかったよ。じゃあ、お兄さんと姪御さんの好きな菓子を教えてくれ……」
「おまえ、ほんと気を遣いすぎだよ。土産なんておれの元気な顔で十分だっていうのに」
「フィルズ、キミは爛漫にすぎる」
だが、フィルズは――そしてその兄と姪も――本気でそう思っている。
バニーアティーエの家族にとっては、遥かな王都で落とされかけた弟あるいは叔父の命を留めてくれたことこそが、一生分の土産なのだと。
番外編? 扱いかな。別シリーズにするのもなんだしで挿入しています。
パールシャという彼の名前をこうして出すことになるとは思ってもいませんでしたが
本編では絶対に知られることがなさそうなのは相変わらずなのです。