9-6.温泉に行こう
シーリンを発って十日目、中間よりはやや北寄りだが、予定通りに街に着いた。
街の名前はモスタン。シーリンと同じように街の名前が書かれた看板はなかったが、ビラールが案内してくれるので問題はない。
「えっ、ミャーノさん、ビラールさんと相部屋なの?」
まず宿をとったのだが、手続きを済ませるとアークが小声で難癖をつけてきた。
アークは一人部屋、ミーネとサラが二人部屋。もちろん私とビラールは男同士で二人部屋である。
「それはそうだろう」
「ウー…ベフルーズさんの術があるといってもそれほんとに最後の砦だし……」
「砦言うな。ビラールに失礼だぞ」
「はぁい……」
「ミャーノ、アーク、何してるの。早く温泉行きましょうよ」
「はい、サラ。こちらにも温泉があるのは嬉しいですね。火山があるのですから、それはそうなのですが」
「僕の故郷の近くにも温泉が名物の村がありましたよ。あ、ミャーノさん。こちらの公衆浴場は基本的に水着着用で混浴なのです。水着は多分施設で貸してもらえます」
後半はやはり小声だ。有難い説明である。
「やはりその辺はヨーロッパに近いね」
「……僕、都子さんと長野に行くまで銭湯とか温泉とか、行ったことなかったんですよ。テレビやネットとかでは見てたので、日本の公衆浴場がどういうものかは知ってたんですけど……いや、小学生の頃に見たきりだからちょっと記憶は曖昧かな」
大強襲とやらからの紛争の規模を聞いていると、確かに旅行番組やバラエティが放送される空気ではなさそうだ……。
「御嶽部隊に入ってからは野外の温泉が使えて助かりましたけど、寛ぐ感じじゃなかったですからね。行水って感じで」
野外? 温泉宿とかは当時どうなっていたんだろうか。アークの言い方だと川沿いに湧いている温泉を利用していたみたいに聞こえる。
「だからみや…ミャーノさんと一緒にお風呂入るの初めてです。なんだか嬉しいのです」
「それはどうも。はしゃぐのはいいが、ミーネやビラールの前では息子として懐くのは控えてくれよ?」
「心得ておりますとも」
「なるほど、水着といってもこういうタイプですか」
明と都子の世界でいうところの19世紀から20世紀初頭の水着の方がイメージに近かった。
男女共に基本的な形は同じらしい。半袖Tシャツとハーフパンツのセットである。女性用のTシャツは内側にカップ型の厚いパッドも付いており、いやらしい感じにはならなさそうだ。サラの従者としては一安心であった。
「温水プールを思い出すな……」
温水プールにしては少し水温が高いし、底は浅いが。
「ミャーノ、ほんと……水着から伸びる腕と脚の隆々とした筋肉が堪りませんわぁ」
「そういうことは口に出さなくて良いのです、ミーネ……」
「団長のお嬢さんがこんなに残念だとはねぇ」
ビラールよ、彼女が残念なのは恐らく私絡みだけだと思う。そんなある意味不遜なことはちょっと自分からは言い出しづらくて言えないけども。
温泉は、いわゆる湯舟ではなく、渓流に温泉が流れているイメージの施設だった。流れる温水プール、ただし岩がごろごろしている、といったものである。
ビラールが湯の熱さに唸りながらタラタラと益体も無い話をしてくれる。湯に浸かっている間の暇つぶしとしては最高だ。私はほとんど相槌を打つだけで、聞き手に徹していた。
……彼にしてみたら、この旅の同行者の内、同性は私だけなんだよね。だからか、彼が話しかける相手は私であることが多い。しかしそれでなくとも、カルガモ亭で王都行き同行の話を持ちかけられた時から――いや、初めて彼の店で試し斬りをしてみせた時からか?――彼は私に好意的だ。
例の「かまぼこ板」が店の営業表示板になっていたのを見た時は、店の宣伝に役立つからという打算で好意的なのかなとは思ったものだが、この十日間で、ちゃんと彼は私に気安さを感じているらしいということは理解できた。
実は、ビラールにだけ自然とくだけた口調になれた理由がわからないことが、シーリンを離れる前にわかっている。また、旅に出てからはアークに対してもいつの間にか丁寧な口調ではなくなっていたという事象もあった。
翻訳の術の機能なのか、この口の紡ぐ口調は、私が喋ろうとしているセリフの丁寧さについては勝手に調整している。サラやベフルーズ、ミーネやロス君たちに対して「タメ口」をきこうとしたところで、そうはならなかったのだ。
アークに関しては、記憶がないとはいえ、「己の子弟に相当する身内だとこの身体が理解した」と説明がつかなくもない。自分の子供や弟妹に対して丁寧口調の父親や兄は珍しいだろうから、きっとこの身体も己の子弟に対してですます口調で話す人ではないのだろう。
ではビラールは? サラやベフルーズに比して、ビラールの方が親しいと感じるのはおかしいと思う。都子としての感情論でいえば、打算で仲良くしてくれているのかなという警戒心さえあったのに、だ。
まあ、大した問題ではないのだけれど、逆にタメ口をきくつもりがないのにきいてしまうという逆のパターンが起こらないのかということについては若干、懸念事項ではあった。
「王都からも遠くはないから、湯治にくる観光客も多いらしいよ」
「へえ。王侯貴族の静養地とかあったりするのか?」
「うん、あるよ。繁華街からは少し外れた所に別荘エリアがあってね。貴族だけじゃなくて、豪商の別荘もあるらしいけど」
キーリスの熱海なんだな……。
「ミャーノさん、ビラールさん。ジュースをお持ちしたのです。どうぞ」
「ありがとう? 温泉で飲んでいいのか?」
盆に五つグラスを載せて、アークが給仕をしてきた。
「ええ、飲み放題になっているくらいなのです。塩が入っているので塩分補給にもなるんですよ」
「なるほど。たしかにこういう遊戯じみた湯だとついつい長湯してしまうよなあ」
「ありがとね、アークさん。おーい、ミーネ嬢、サラっち~~アークさんがドリンク持ってきてくれたぞ~~」
サラとミーネは、私とビラールが腰を落ち着けて歓談していたのとは対照的に、まさにキャイキャイと温泉に盛り上がっていた。ビラールの声かけに気がついて、ザブザブとこちらへ歩いてくる。
「ありがと、アーク。道理でいないと思ったのだわ。私たちに気を遣わないでいいのよ?」
「僕も飲みたかったので」
「ご馳走様ですわ、ありがとうございます。こういったサービスもあるのですね? 私もサラちゃんも温泉は初めてなので、気が回らないのは許してくださいな」
ジュースの味は、ココナッツ味のスポーツドリンクのような印象だ。塩が入っていると言われなければわからなかったかもしれない。けっこう飲みやすい。
「ビラールさんが慣れてるのはわかるけど、ミャーノも温泉は初めてじゃないのね?」
サラが私の横につくように腰を落ち着け、やや小声で訊いてくる。ビラールは打たせ湯に出て行き、ミーネはアークと連れ立ってグラスを返却しにいったので、別にそこまでひそめる必要はないのだが。
「ええ。私の故郷は温泉大国でして。ちょうどグリグくらいの小さな島国に、いくつも火山帯がありました。大小を問わなければ、温泉のない自治体は稀だったのではないでしょうか……おかげでというか、地震も世界で恐らく一番多かったのですが。思えば数年から数十年に一度は、国のどこかの地方が地震で壊滅状態に陥っていました」
「な……なんでそんなとこに住んでたの……」
「さあ、なぜでしょう。その島に生まれたから、というだけかもしれませんね」
他の大陸、他の国に移り住むには、自分の育った国の文化を捨て、移った先の文化をモノにする必要がある。それは都子の貧弱な外国語習得能力では現実的ではなかったし、小さい島国とはいえ、一般市民には十分広い世界だった。
ただ、そんな小市民の自分だったからこそ、戦禍に見舞われて尚、北海道へは行かずに長野に留まり、抗戦に加わっていた――御嶽部隊とやらにいたというのはそういうことだろう――というのは理解ができないのだ。
「そんなものかもしれないのだわ。私だって、なぜバニーアティーエらしく王都に行こうとすらしていなかったのかと問われたら、面倒だったというだけだもの」
「おや、今面倒なのですか?」
「いいえ、出てみればこれはこれで刺激があって良いわ」
必要に迫られて行動しているとはいえ、それは何よりだ。
「そうだ。サラ、ちょっとお聞きしたかったのですけれども」
「なぁに?」
「魔方陣や魔円陣というのは、魔術士は見たらその術式が理解できるものなのですか? ベフルーズとサラは同門でいらっしゃるので、ベフルーズが施したものをサラが読めるのはわかるのですが、アークも理解していたようなので……」
「ああ……気になっていたの?」
「少し。私にはさっぱり読み取れない模様でしかないので不思議だったのです」
「私も気になったのでアークに確認したのだわ」
「え?」
「ミャーノが言った通り、普通はパッと見では同じ流派の術士が読めるのがせいぜいなのだわ。もちろん、基本理論はどこも大差ないから、時間をかければ解読はできるわよ。でも、あの時のアークみたいに、瞬時に解読というわけにはいかないはずなの」
「ほう」
「アークは錬金術以外に魔術も修めているみたいだけど、どっちも同郷には違う流派がいないからそのことには気づかなかったみたい」
「……どういうことですか?」
「アークは理論で術式を見ていないのよ。それもちーとかもしれないと、アークは言ってたわ」
「……ああ、なるほど。私に作用している翻訳の術のようなものが働いているのですね?」
どうせなら私も魔術や錬金術を読めるようにしておいてくれてもよかったのになあ、世界よ。
「あなたも、文字は読めないけど、文章や表意文字ならその意味が直接『入ってくる』と言っていたわね」
「ええ」
なお、意味をなさない表音文字単品はそれはそれで「発音」結果を「発声することができる」ことは確認済みだ。
程なくして、アークとミーネが戻ってきた。
オレンジのような果物を三つ持ってきている。
「こちら、給水所の店員さんがくださいましたの」
「正直に女の子の数伝えたらミャーノさんとビラールさんの分はもらい損ねちゃったのですー」
バツが悪そうにアークが告げる。おやおや、ナンパかい?
「それはそれは。可愛いと得をするのですね」
「うふふ。店員さんには悪いですけれど、私の分、半分どうぞ」
ミーネが湯に入りながら、本当に半分に割って手渡してくれる。
サラは入れ違いに湯から引き上げて岸に腰かけた。うん、普通はのぼせるよな。
「え、それは申し訳がありませんよ。たしかに美味しそうですけれど」
もらえない、と掌に載せたまま固辞する。すると、反対側に滑り込んできたアークから、不意打ちで唇に直接そのオレンジを一房押しつけられた。
「うっ……もう……」
口をつけてしまったものは食べざるを得ないではないか。めっちゃ甘くて美味しい。なんという甘夏味。
「まあ、アークちゃん」
「あははっ、やっぱりこうすると食べましたね、ミャーノさん」
「…………」
嚥下するまで抗議も再開できない。
「ミャーノ。アークちゃんの『ノーレンジ』はよくて私の『ノーレンジ』は召し上がれないということはございませんわよね?」
笑顔で脅迫するのやめなさい、ミーネ。
「……はい……。…………って、あの、ミーネ?」
ミーネが私の顔の前に、ミーネの手元のオレンジ――今、ノーレンジ、って言った?――から一房、先程のアークのように持ってきている。
「これはどういう……?」
わかるけれど、トボけたくなるのは仕方ないだろう?
「あーん、ですわ。ミャーノ」
「普通にこちらの半分いただきますから勘弁してください」
「ダメですわ」
「モテる男はツッライわねぇ、ミャーノ」
アークとミーネに挟まれてオレンジ責めに遭っている可哀想な私をシラッとした眼差しで、気持ち遠くから見つめるサラは「我関せず」スタンスだった。
観念してミーネの手ずから食べたところを、打たせ湯から戻ってきたビラールに見られて大変恥ずかしい思いをしたのであった。
温泉回でした(何かが違う)
 




