9-3.アーク
アークが行李からおもむろに取り出したいわゆるフランスパンは、明らかに、その行李の底面の対極線より長さがあった。
「ちょっと待ってほしいのだわ。そのパンどうやってその行李に入って――」
「これは僕が開発した錬金術式なのです。細かいことは気にしないでください。あ、前の街を出る前に調理したものですが、この中は蓋を閉めていれば時空間が停止しているので、消費期限とかは問題ないですよ」
ごそごそと中からタッパーを取り出す。え。た、タッパー? そんなの街の雑貨屋に置いてたかな?
そのタッパーを、アークがパカリと開けると、中にはまだ湯気の出ているハンバーグがいくつか。ソースもたっぷりかかっている。
「さん…よん、ご――よし、ちょうど五つあった」
「す、すご――もしよければ、後でこれの術式理論を教えてもらえないかしら……いえ、もちろん秘匿理論だったら無理にとは言わないのだわ!」
サラの食い付きがすごい。出てきたホカホカの美味しそうなハンバーグより、その行李に首を突っ込まんばかりの勢いだ。
アークは「別にいいですよ」と簡単にOKしていた。
「それじゃ、ぜひ頼もうかな? 何、頂いてしまった分、こちらからもまた提供するからね。ミャーノが」
結局、アークの提案にまだ返事をしていなかった私たちを代表して、ビラールが了承を告げる。
うん、まあ、釣りの場合は、ビラール頼むぞ?
「~~~っおいしい! このタマネギとパン粉の配分、そしてグレービーソース! 私、こちらのハンバーグ好きなやつです……ッ」
私はたまらず唸って、フォークを握りしめてしまう。
「うわっ、びっくりした。叔父さんのハンバーグとは全然違うけれど、確かに美味しいのだわ」
そのハンバーグの食感は、私が自分好みに作っていた食感にとても近くて――それは決してプロの手によるハンバーグとはかけ離れたそれなのだけれど、私にはこれがおふくろの味で、独りで暮らすようになってからは、それを己で作っては食べていた――まさかこの世界で同じものに出会えるとは。
「……都子さ、ん……?」
「!!? えっ……」
惚けたようにそうはっきりと呟いたアークに、私とサラは思わず声を上げる。手を止めて強く見つめてしまった。
「――……いえ、何でもないのです。ちょっと……僕の……母…が、同じように喜んで食べてくれてたの、思い出しただけなのです」
「お母様?」
訊き返したのはサラだけで、私は黙っていた。
サラのことを言っているのか、と勘違いしたからだ。
――今の自分を、母と間違える娘はおるまいという先入観を持ってしまっていた。しかし、
「ごめん、なさい、ミャーノさん……あなたが母に見えるなんて失礼しました」
寂しそうに微笑む少女は、私に謝罪した。
「……アークさん、先程、『都子』と呼ばれましたか」
「はい」
今すぐ彼女に問い質したい。
なぜ私の名を知っているのか。
母とは何だ。
君は何者だ。
サラが私の背後で、私の腰帯を鷲掴む。
今はダメだ。
ビラールと、ミーネがいる。
私たちの秘儀に、彼らを巻き込んではいけない。
顔を見なくても、そう伝わってきた。
「……そうだ、ねえ、アーク」
不自然なまでに、サラが話題を変えた、ように思えた。実際は変えたどころか逆だったのだが、私たちの事情を知らないビラール達には、それはわからなかったはずだ。
「今朝テントがダメになってしまったわよね? 替えがさっきの行李にあったりするのかしら?」
「あ、いえ、ないです。でも毛布は無事なので、雨は降らなさそうだから大丈夫かなって」
「風が身体に障るのだわ。私とミャーノのを連結すれば三人分のスペースはあるわよ。一緒に寝ましょ? ね?」
最後の念押しは、私宛て。押されるまま、頷いた。
「あら。サラちゃん、それなら私とサラちゃんのを繋げた方が良いのではないかしら」
「いえ、ミーネ。実はサラの調子の問題で、私が防衛魔術の補助を行う必要があるので。元々今夜は私がサラに付き添う必要があったのですよ」
「そうだったのですか。毎晩申し訳ないわね、サラちゃん。本当にありがとう。でも、いよいよ調子が優れなかったら、無理しないでね」
「そうだね。俺なんかこれまでは魔物避けできないのがデフォルトだったんだから、いつも通りになるだけだ。問題ないさ。ミャーノもいるしね」
「……ありがとう、ビラールさん、ミーネさん」
サラは少し心苦しそうだった。すみません、サラ由来になる嘘をついてしまって。
でも、サラは、恐らくは私のために、アークへのこの提案をしてくれたのだ。ミーネとサラのツェルトを連結しても意味がない。
私の頭では他にいい理由が思いつかなんだ。
「どうかしら、アーク」
「――サラさんとミャーノさんのお二人ともとご一緒なら……まあ……いいか……よろしくお願いします」
『まあいいか』の部分はぼそぼそと口ごもっていたが、聞き取れてしまった。しかし私はそこは一旦スルーとする。
火の始末をして、それぞれ就寝準備を行う。
私とサラは、緑と青のツェルトの一辺同士を繋げて、三角柱型から、直方体型へ形状を変えた。
サラはアークを招き入れ、私は殿として最後に潜り込む。
「アーク、ちょっと魔術を遣うわよ」
「は? ……はい」
「≪ベリード≫――閉じよ」
「えっ?」
防音魔術。久しぶりのその魔術の感触は、ベフルーズが掛けていたそれよりも効果範囲が少しだけ広いようだ。ベフルーズのベッドのサイズよりサラと私のツェルトの合計面積のほうが広いから、サラがそのように調整したのか。それとも、そもそもベフルーズとサラのそれぞれの『負担にならない程度』に差があるのか。それはわからないが。
今はそれは優先度の低い質問だ。
アークに訊くべきことがある。
「アークさん。あなたにお訊きしたいことがあり、サラに防音魔術を遣っていただいています。このツェルトの中の会話は、ミーネやビラールには聞こえません」
「あ――やはり、この感じは、そうなんですね? 訊きたいことって……?」
「『都子』のことを話してほしい」
「――え? ごめんなさい――『母』とは言いましたが、この世界にミャーノさんのお知り合いにその名の方がいたとしても、私の母ではないのは間違いないと言えるのです」
『この世界』。彼女は今確かにそう言った。
「わかっています。この世界でない都子の話をしてほしいのです」
「……ミャーノさん……?」
「――ミャーノ、言っていいわ。許します」
サラにそう声を掛けられた途端、肩の強張りが少しだけ軽くなった。
そうか。私は使い魔だから、サラの強制力が魔術として働いていたのか。
彼女に話させる前に、どこまでこちらから開示して良いのか、それを私自身が迷っていたのは確かだったが――私は魔術耐性が単に低いのではなく、もしかしてサラ、そして血が近いベフルーズの二人の魔術に弱いだけなのではという仮説が、わずかに私の中で有力になる。
「――あなたが知っている『都子』が、『葛野都子』なら――それは私のことで合っているのかもしれません」
「――ッ!? ……う・そ――でも男――いや、それは僕だってそうだけど……待って」
「≪フォルーフ≫――契約を示せ」
動揺に瞳を揺らしたアークの呟きにかぶせるように、サラがさらに魔術を展開する。
サラの左肩が青く灯り、私の右肩が赤く光る。
「ミャーノは――ミヤコ・クズノは私が召喚した『使い魔』よ。使い魔が何かは、あなたは識っている?」
「は、い……識ってはいます――都子さんが、使い魔……?」
「あなたは、どうしてミヤコを知っているの?」
「――都子さん。オレは、明だよ。オレ――この世界に転生したんだ」
目の前のアークは確かに少女の姿だったが、その口が私に紡いだ言葉は、間違いなく“少年”のそれを彷彿とさせるものだった。
でも、私は――私は、彼――アキラを知らない。
それは、つまり。
「酷いことを聞くが許してほしい、アキラ。キミが転生したのは――亡くなった時は、西暦何年のことなのか教えてくれ」
「二千――確か2037年のはずだよ、都子さん――どうして――都子さんはオレが助けることができたはずなんじゃ――」
――やっぱり、そういうことなのか。
私の最後の向こうの世界での記憶は、せいぜい、2020年代だった。
佐久明。それが彼の名前だった。
彼は享年19歳。私と出会ったのはその七年前、西暦2031年の、『本州大強襲』の時らしい。
もちろん、私はそんな歴史を知らない。私にとっては未来の話だからだ。
明が13歳の時、日本の本州は、大規模な軍事攻撃を他国から受けた。
それはちょうど昼前のことで、明は中学校で授業を受けていて――現国の時間だったことをまだ覚えていて――でも、窓ガラスが割れた後のことはあんまり覚えていないと言う。
地震などの災害を想定した避難訓練はしていたが、まさかミサイルが流星群のごとく飛び交う地獄は想定していなかった。もちろんめちゃくちゃに逃げ惑うはめになり、なんとか生き延びた彼は結局その後、家族――両親や祖父母(兄弟はいなかったらしい)――と再会できないまま一生を終えるが、難民となった時に、同じく難民となっていた葛野都子と出会ったらしい。
瓦礫と焔の焦熱地獄を逃げ惑っていた時、明が最初に会った生者が都子だった。
『自衛隊か、警察かだと? いいや、違う。私はしがない、ただの古本屋だよ。もっとも先程、全部焼けてしまったがね。』
崩壊が止まない地獄の中でのその立ち居振る舞いがあまりにもしっかりとしていたので、明は私にそういう訓練を受けた職種の人間なのかと訊ねたそうだ。そして返ってきたその言葉は覚えている、と、教えてくれたが、――古本屋を営んでいる都子など、私はもちろん知らないし――何より、「なんだその痛々しい中二病患者みたいな言い回しは」と、恥ずかしくなってしまった。
……どう考えても、都子がそんな大災害の中で適切に立ち回れるとは思えなかったのだが。
途中で私があまりにも「私ではない気がしてきた」と繰り返しだしたので、サラは持ち出してきていた『鈴蘭の騎士の肖像』をアークに見せてくれて。
「都子さんの顔だ」と言われてしまったので、それ以降は私は大人しく黙った。
さすがに顔も名前も合致してしまっては、言い逃れがしづらい。
ほどなくして首都機能は北海道に移ったが、明は都子について、そのまま本州に留まっていた。
都子は明がついてくるのを拒まなかった。
長野県だった地域での生活を、六年。
だが、2032年の年明けを都子と迎えた彼の人生は、2037年で終わってしまった。
明は言葉を濁したが、明は都子をかばって死んだつもりだったと最後に告げた。
――以上が、彼女から聞き出した、彼と都子の物語。
「最初キミのフルネームを聞いた時は、未来では結婚していたのかと少しびっくりしたんだが……」
そんなことはなかった。そんなことはなかった。
「結婚願望あったの?? オレ、18になった時、都子さんにプロポーズしたんだよ? こっぴどく振られたけど」
「……は?」
数えませんけど、年齢差やばくない? 熟女趣味にも限度がある。
「都子さんはオレと養子縁組するかしないかで悩んでくれてたんだ。オレは血縁者が生死不明な状態だったから――法的には死んだことになってたみたいだけど――都子さんはオレに言ったんだよ。『ご両親等が生きているかもしれない、と思うと養子縁組も躊躇われる。だが、私はキミを家族だと思っているんだ。母さんと呼ぶが良い。母は何人いてもいいだろう』……ってさ」
「もう何キャラなんだよ、その都子は。ていうか、プロポーズってなんなんだ」
「あ。安心して? オレと都子さんは完璧なまでに清らかで品行方正な義理の親子だったよ。プロポーズはさ、法的に家族になるなら、養子縁組じゃなくても、結婚でいいじゃんと思って」
「全く何も良くないな~……」
すう、と息を吸い、止めて、細く吐いた。
「全く、何も、良くない。――都子かキミのどちらが生き延びるべきだったかなんて、考えるまでもなかったんだ」
「……都子さん、オレは」
「すまない。私は、葛野都子だけれど――恐らくはキミと出会う前の都子の記憶を持っているだけの、複製された魂でしかない」
私はついに言葉にしてしまった。そうだ、私は本当は召喚された日から気が付いていた。
なにしろサラもベフルーズも、そのことはきちんと教えてくれていたから。
「……ミャーノ、私、たぶん何となくは理解できているつもりなのだけれど――その、貴方の世界の暦? ミャーノの意識ではあなたはいつの記憶を持って召喚されているの?」
「――明の亡くなった十年以上前だと思います」
「……使い魔って、そうか、そういうことなのか……僕も理解はできたかもしれません、サラさん。かつて明であった僕と一緒にいた都子さんと、あなたの使い魔としてここに再構成された彼の魂は同時に存在している」
「明。すまない、本当に――私はキミに訊くべきではなかったんだ」
「どうして」
「キミは転生したと言ったが、アークとして生を受けた時点で、キミは自由だったはずだ」
「都子さん」
「だけど私がキミにこうして話させてしまった時点で、アークとしての人生を侵してしまった。――せめて私がキミの知る都子だったならまだしも、『私』は生き物ですらない」
「――オレは嬉しいんだよ、都子さん」
一体何がだ。嘆くことしかないじゃないか。
「貴女は気が付いていないかも――わからないのかもしれないけど――自分の方がややこしい時に、オレを慮ってる。貴女はオレから見たらちゃんとオレの知ってる都子さんだ。貴女がオレを知らないのはやっぱり寂しいけどね」
少女は青年の手をとり、己の頬にそっとあてる。
「オレは都子さんが何人いたって『得した』としか思えないもん」
「と、得した?」
「そうだよ。異世界に転生して、魂があることを知ったのはいいけど、魂は通常同宇宙内で輪廻するのに――オレは都子さんのいた宇宙から事故ってこっちに放り出されちゃったらしいんだ。……ガッカリしたよ、その時は」
頬にあてていた手を静かにおろし、視線も落とす。
「生まれ変わったら、今度はもう少し長く都子さんと生きよう――そう思って死んだら、オレのいる宇宙には都子さんはそもそもいないなんて。ひどいじゃん」
アークは顔を上げて、サラにこうべを垂れる。
「サラさん、ありがとう。あなたが都子さんを、この宇宙にも呼んでくれたんだ。――僕の願いが、やっとかなう」
2-3.使い魔の見る夢
からの伏線回収でした。
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