8-4.旅の打ち合わせ
「おはよ~、ミャーノ」
「おはよう」
「……おはようございます」
(くそ、涼しい顔しやがって)
ベフルーズが何でもないような顔をしてダイニングの椅子に座ってコーヒーを飲んでいるのが恨めしい。
つい睨んでしまうではないか。
「? どうしたの? 寝不足?」
「いえ、大丈夫です」
都子は寝起きも寝付きも悪い体質だったが、使い魔の身では眠気というものが基本的にない。寝ようと思ったら自然に寝られるし、目が覚めた時は半覚醒状態というのがあまり継続しないようだ。
だから、今も別に眠いとかはない。
……昨夜はやけくそになってがっつり寝たからね。睡眠不足ということもないよ。
「サラ、街へ行くのは朝ではなく昼でいいんですよね?」
「そうね、お昼を街で食べるつもりで行きましょうか。叔父さん、私たち一応夕飯までには帰るのだわ」
「りょ~かい。今日は猪鍋食べるんだっけ? ミャーノ、鹿肉で何か食べたいメニューあるか」
「え? 私ですか?」
そこはサラの希望で良いのだけれど。
「赤ワイン煮込みのシチュー…ラグー? とかも美味しそうですね。私は鹿肉を調理したことが殆どないので、ろくに提案ができないのですが」
「あ~、鹿のシチューいいわね。叔父さん、今日はパン買って帰ってくるのだわ。シチューにしてー」
「スープたっぷり系と、かかってるくらいのと、どっちがいいんだ?」
「ミャーノはどっちがいい?」
「ええと……スープがたっぷりな方、でしょうか。とろみが少しある方が好みです」
「オーケー、任せとけ」
ビーフシチューのビーフじゃないみたいなのになるんだよね。ベフルーズのクリームシチューは召喚された日の夜に食べさせてもらったけど、あれはすごく美味しかった。きっと今晩のも旨いんだろうなあ。楽しみ!
と、私はすっかり夕飯に思いを馳せていたので、
「……よかった、機嫌直ったぽい」
ベフルーズが安堵したようにぽつりと呟いたそれは、私の耳には届かなかった。
ベフルーズの出勤を見送って、サラが洗濯物を干すのを手伝う。
「この世界の旅行手段は基本徒歩なんですよね?」
「そう。ミャーノの世界は違うの? あ、馬とかラクダは商隊が使うわね。荷運び用だけど。あと騎士とか王侯貴族は馬に乗るのだわ。旅というよりは戦だけれど」
馬がいるのは知ってたけどラクダもいるのか。
騎士はそりゃあ騎士っていうくらいだから騎乗するよね。
私、乗馬は牧場のポニーに子供の頃乗ったきりなんだけど大丈夫だろうか。
「私の時代だと長距離移動は列車とか飛行機とか……でも、高祖父母以前の昔は、一般市民はやはり徒歩が基本でしたね。私の国ではそういう街道が整備されていて。主要な街道では、一日の移動距離よりも短い間隔で、かなりの数の宿場町が栄えていました」
「『飛行機』って飛行船のことでいいのかしら。『列車』は連結した馬車のこと?」
「飛行船があるのですか? 飛行機と飛行船は別物ですね。私が使っていた飛行機というのは、“鳥型”なんです。とはいえ、私は仕組みがよくわかってないのですが……。気球とは違う飛行手段……この前話したロケットの方が近いのではないかと」
列車についても、また地面に描いて説明をする。
「ああ、トロッコみたいな」
「……そんな感じです。蒸気や電気で動かすので、輸送力があります」
絵が下手で、確かにトロッコにしかならなかった。
「街道はともかく、ここらは宿場町があったりはしなさそうですね」
洗濯物を干し終わって、談話室で地図を広げて経路を確認する。
キーリスの王都には「ハルカン」という市名がついている。鈴蘭の騎士の時代には既にここが王都とされていたらしいので、頻繁に遷都が行われる国というわけではなさそうだ。
ここシーリンから王都ハルカン市に入るまでは、普通の大人の足の場合、大体15日くらいの道のりとなるという。一日30~40kmほど歩けるとして、530kmくらい? ……新潟県から東京都くらいの遠さかな? 途中山道があるから感覚的には似てるかも。ここからの上京は南下じゃなくて北上だけどね。
「基本的にテント生活になるわね。ビラールさんやミーネさんがどういうテント持っていくつもりなのか聞いておかないと」
「ツェルトにするというのは? この前メシキの森に持っていったようなしっかりしたテントは、ベフルーズがいないとあそこまで便利に持ち運べないのでしょう?」
ツェルト――一人用のテントみたいなものだ――なら、骨を持って行かなくても、そこに木があればテントみたいに吊るすことができるし、ないならないでも雨除けと防風の役には十分だ。
単身で山登りをすることが多く、かつ雨女だった私はツェルトを愛用していた。
「そうね。ウチには置いてないから、この際買っちゃおうか? ミーネさんは持ってなさそうだから一緒に買いにいくのもいいわね」
よかった、ツェルト売ってるんだ。
日本でも室町時代には既に似たような旅道具があったはずだし、そりゃあ、あるか。
「ツェルト、ですか?」
詰所に行って、ミーネを連れて食堂へ。リーマに猪鍋を分けてもらって有難く頂きながら、彼女にテントについての話をすると、そもそもツェルトをよくわかっていなかった。
よく考えたら普通の街暮らしのお嬢さんがツェルトとテントの違いをわかっている方が変――失礼、珍しいのか。さすがはサラ、森の魔女の申し子だ。
ピンとこないミーネには、サラが簡単に説明をしてくれた。
私の知ってる一般的なツェルトは、21世紀の縫製技術や素材開発に支えられた、薄くて軽くてとっても丈夫で畳むと尻ポケットに無理矢理突っ込もうとしたら入らないこともないような極小ボリュームだ。しかし、さすがにこの世界でそこまでのものは求めることはできなさそうだった。それでも、週刊マンガ雑誌くらいにはなるようだから、助かる。
「まあ、それはいいわね。昨日ロスに相談したのだけれど、テントがあんなに重いとは」
「そもそも野営したこともない姉貴がいきなり王都まで旅しようってのがどだい無茶な話なんだよ」
突然ロス君が現れた。トレイをミーネの席の横に丁寧に置いてそのまま着席する。
「こんにちは、ロス君。お仕事お疲れ様です」
「ミャーノさんもお疲れ様。昨日親父、迷惑かけなかった?」
「とんでもありません。ザール団長のおかげでこうして猪鍋をいただけておりますしね」
餞別までもらっちゃったし。ホントいいお父上で羨ましいくらいだよ。
「困らせなかったならいいんだけどさ。……親父、昨夜は『こうなるとミャーノ君を王軍にとられるのが惜しい』~って、酒飲みながらうるさかったのなんの」
「それは……ロス君にご迷惑をおかけしたのでは」
「あ~、俺はいいのいいの……親父の絡み酒はいつものことだからさぁ……」
やっぱり絡まれてはいたんじゃないか。
「親父はすっかりミャーノさんに姉貴押し付ける気でいるみたいだけど、考え直した方がいいんじゃねえのと俺は思うね。姉貴は事務処理はスゲーできるけど、家事の要領が悪いのに外で調理だのテント泊だの、旅の間は足手まといにしかならないと思うよ」
「ロス!」
「なんだよ、本当のこと言っとかないとミャーノさんが困るんだよ!」
「ま、まあまあ。ロスもミーネさんも落ち着いて」
サラがとりなす。
「……サラ、お前が魔導士団に入るってマジなんだな」
「え? うん。ミャーノが騎士団なら私は魔導士団かなって」
「お前は魔術士としてはすごいんだもんな。俺みたいなのにはその辺がよくわかんないけどさ」
「魔術士としてはってどういう意味よ」
「言葉の綾だよ。――この街じゃベフルーズ先生の他には大した魔術士はいないし、お前が切磋琢磨したかったら魔導士団くらいしかないんじゃないかとは俺も思うから。応援するよ」
「そ、そう? ありがとう……?」
ロス君……本当は引き留めたいんだろうに。健気だなあ……。
私とサラの王都行きについて、ミーネとはとるリアクションが異なるのが面白くはある。
世襲制でないとはいえ、既に団長の息子として正規団員に就いているロス君は、その身軽さにおいてかなりの差があるのだろう。
「だいたい、姉貴は王都でどうやって働き口探すつもりなんだよ」
「それなら昨日太守に推薦状をもらっておいたから、まずはそこを当たる予定よ、ぬかりはないわ」
「ほう、どこへのですか?」
もしかして昨日願書を太守に通してくれたのはミーネなのかな。
「王立図書館の職員です。今のシーリン太守は、王都では館の司書長官を務められていたそうで」
「へえ」
偉いのかそこまででもないのかよくわからん。
猪鍋を平らげるのは後から来たはずのロス君の方が早く、すぐ業務に戻ると言って出ていった。
(お姉さんを連れていっちゃうことになってごめんよ)
その背中に、言いたいけど言えなかったその一言を無言で送る。
言えなかったのは、私がそれを言ってしまうのはおこがましいと感じたからだ。
――それにしても牡丹鍋。出汁スープの旨味がすごいことになってるんだが、その旨味をまた長ネギや白菜らしき葉物が吸っていて、野菜を噛むたびに野菜からタンパク質がガツンとくる。不思議な食感だ。
美味しく料理してくれてありがとう、リーマさん。
……街道にも猪や鹿、飛び出てこないかなあ。仕留める自信だけはあるんだけどなあ。
「ビラールという鍛冶師が騎士団に仕事の用があるとのことで道行きを同じくするのですが、お知り合いでなかったら今日これから挨拶にいきませんか? 我々はどのみち、旅用品について確認しにいくので」
「ビラール……鍛冶師……ああ。知り合いではありませんが、武具屋も営んでいらっしゃる方ですよね? ええ、ぜひご一緒させてくださいませ」
ビラールの店を訪ねる前に、ポーロウニア通りに寄る。ツェルトを購入しなければならないからだ。
『よろづ屋ギデオン』の店番は今日もアヤだったので、ツェルトの取り扱いについて訊いてみることにした。
「え。兄ちゃん、王都行っちゃうのかい」
アヤのロップイヤーが心なしかいつもよりペタンとしょぼくれたように見えた。相変わらずフッサリして柔らかそうで愛らしい。
「そっかぁ。新しいの作ったら兄ちゃんに試射してもらおうと思ってたのになあ」
ああ、そういう「しょぼくれ」か。
「上手いミャーノに撃たせてもあんまり試射の意味ないのじゃないかしら」
「何で撃たせても命中するからこそいいんだよお。『わたしが作ったクロスボウ、超精密ゥ!』ってしたいんだから」
何の役にも立たない試射役だな。
ボウの出来について自信をつけたい場合は、モチベーションアップにいいのかもしれないが。
ツェルトは、ギデオンには置いていなかったが、同じ通りで取り扱いのある店を教えてもらえたので、そこで買うことができた。ちなみに、ひとつ1700銅貨である。
明日の引き取りでよければ色を染め変えてくれるというので、お願いすることにした。三人とも色までお揃いだと間違えそうだし。
私は緑、サラは青、ミーネは茶色を選んだ。明日の引き取りはミーネに頼んだので、おかげで明日必ず街に来ないといけないということにはならない。
「ミーネには携行灯も必要かもしれません」
サラには魔術があるし、私は夜目がきくので不要なのだが、ミーネには必要だろう。
ビラールは獣人のようなので、私と同じようにカンテラは要らないかもしれない。これも確認しておかないといけないな…。
「あ、そうですわね。――ミャーノはもうお持ちなの?」
「――あ」
「ミャーノも新調しておきなさいよ。あなたの使っていたカンテラは、携行用には少し大きいし古い型だったわ」
誤魔化してくれてありがとう、という気持ちを込めてサラを見遣ると、「気をつけなさいな」と彼女の目が言っていた。
ミーネには、私は普通のヒト族の振りをしておかないといけないのだ。ある程度はともかく、私の夜目はききすぎている。
こういうの、他にもやらかさないように気を張っておかないと……。
バニーアティーエ邸を出て生活するというのは、そういうことでもあるのだ。
ちょっと長くなったので次でビラールを出します。
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