8-3.使い魔は門限を破らない
「ただいま帰りました」
このバニーアティーエの玄関は住人以外は開けられないものとなっているが、この家の主、ベフルーズによって私は登録をしてもらっており、一人でも難なく敷居を跨ぐことが可能だ。
登録されていない場合は、住人に招かれないと入ることはできないらしい。
「おうお帰りー。よしよし、ちゃんと帰ってきたな」
「アリー殿とサイードさんという保護者がおりましたのでね」
よしよしと言いながら頭を撫でるのはやめてほしい。少しだけ厭味を込めてそう言ってみるが、意に介してはもらえなかったようだ。
「書類ちゃんと貰ってきたか?」
「はい。ご確認をお願いします」
傷まないようにきちんと一枚ずつ丸筒に収められている入団願書だ。
「お帰りなさい、ミャーノ。書類取ってきてくれてありがと~。なんか団長さんに西の鉱山連れてかれて大変だったんですって?」
二階からサラが降りてきてくれた。
「ええ、まあ。猪を狩りました。明日はサラも詰所の食堂に来て鍋をご馳走になりなさいと言付かっております」
「猪鍋! じゃあ明日ミーネさんと往路の打ち合わせでもしようかしら」
「そうですね。今日は何だかんだ私もミーネと顔を合わせませんでしたし」
私のせいで団長さんと喧嘩になってたとかじゃないならいいのだけど。
「ミャーノ、小腹空いてたりするなら何か作るけど?」
「お気遣いなく。ありがとうございます、ベフルーズ。お二人とももうお風呂使われてますよね? 私もお風呂いただいて明日に備えようかと」
「わかった。それならいいんだ」
小腹空いてなくはないけど、そんな成長期の男子高校生じゃあるまいし。
ベフルーズはほんと私を何だと思ってるんだろう。
「それにしても、サラと離れているとやはり疲弊はするようですね。この家に着いたら、それまで感じていた疲れが嘘のように吹き飛びましたよ」
「へー。王軍に入ったら別行動になることも多そうだけれど大丈夫かしら」
「大丈夫ではありましょう。疲れると言っても、私が元の肉体で感じていた疲労とはペースも耐久性もまったく次元が違う気がいたしますし」
この体感が、この身体の特性なのか、使い魔の特性なのかはわからないけれど、前者だとしたら「鍛えられた体」というのは一財産だな。
シャワーを浴びながら鼻の下や顎をさする。
(髭が生えてくる気配はないんだよなあ……)
ついでに言えば、腕や足も産毛程度なのは召喚された時に確認していたが、最初に風呂を借りた時には脇毛もないことを確認していた。陰部は申し訳程度に生えていたが、胸毛や腹毛はない。
サラに新陳代謝や老化の事情を確認したが、――それは使い魔の目録の本にもあったのだけれど――使い魔は年を取らない。つまり、成長しないということは髪の毛が伸びたりしないということだ。
そして、骨を折ったり髪の毛を切ったりしたら、それは「修復」される。筋肉や脂肪は増えないし、減らない。技術を磨くことは可能だ。
使い魔は「元の世界に在った姿における最も優れたコンディション」で召喚されるということだった。
この身体は文化面で常に脇も髭も剃っていた可能性はあるが、――でもなあ。そういう感じじゃなくて本当にただ単に生えてないだけという様子なんだよなあ……。
(集団生活でルームメイトもいるとなれば、爪すら伸びないというのは、不審に思われないだろうか)
切ってる振りとかしないといけないかもしれない。そういえば、私が知っている爪切りは確か割と最近の発明だったような。ハサミやノミで爪の処理をする振りしようにもそもそものやり方がよくわかんないや!
二日三日にいっぺん爪やすり掛けてる振りするのが無難かな? 女子かよ。いや中身は女子だけどさ……。
(まあ、禿げる心配がないのは男としては有難い)
ここ数日間ですっかり男性的な思考が混じるのに慣らされてしまっているし、自分の腕や脚を己の四肢として扱うことに違和感もなくなってきているが――股間の絵面にはまだ慣れそうにない。
「はぁ……」
気疲れからため息が出るが、それでも綺麗に洗って――洗い方に自信はないけれど――風呂場から出た。
さくさくと夜着を身につけて脱衣所を出ると、一階に人の気配は既にない。
ベフルーズに乾燥をお願いしようと階段を上った。
ノックに応答があったので遠慮なく部屋に入ると、ベフルーズはベッドの上で読書をしていた。
「お待たせしてすみません」
「いや、別に」
「お願いします」
「ああ。――≪ドァーク≫――」
“暖気よ、旋風となれ”。すっかり耳に親しんだ短い詠唱が、頭部の過剰な水分を飛ばす。
ベッドのヘッドボードにもたれて座るベフルーズの目線に頭を下げようとしたため、ベッドに四つん這いになるような姿勢でお願いをしたわけだが、終わったからといってさっさと立ち上がって去るのも失礼かなと思い、そのまま腰をねじって本の表紙を見る。
「……『養生魔術各論』?」
「ケレムに借りたんだ。お前のためだぞ」
「私?」
「お前、今疲れてはいないんだっけ?」
「? はい、全然元気ですけれど」
「じゃあ日にちもないしやってみようか。≪ベリード≫――閉じよ」
「へ?」
ベフルーズはパタンと本を閉じてサイドボードに置くと、いつかの夜に展開した防音魔術を突然展開した。
「調子が悪いって言ってたろ? 『性養生』の魔術施してやる」
「は? ああ! え?! あの話本気だったんですか?!」
「冗談であんな気俺が回すと思ってんのか。心配すんな、俺、“救命医療”はサラより巧いってお師匠様のお墨付きなんだぜ」
「いや、でも、あの」
「変な方向に考えんなよ。こうやって学術書にあるくらい治療の一環なんだから」
「治療? 私は病気じゃないですよ?」
「治す術が編み出されている以上、“不感症”は立派な病気だぞ、観念しろ」
観念したら色々なものを失う気がする。
「いえ、大丈夫、大丈夫ですから」
「全然大丈夫じゃない。俺、お前はてっきり女に慣れてると思ってたけど、そうじゃないみたいだし」
そりゃあね! でもある意味その辺の男より女に耐性はあるから大丈夫だよマジで!
「自分でちゃんとコントロールできればタチの悪い女に遊ばれることもないから。な、心配なんだって」
うう……百パーセント善意なのがわかってしまう……。
――ミャーノ押しに弱い性質なのよ――
そう言ったサラの顔が思い出され――ああ。その通りですよ、サラ!
――その後どんな治療を試されたのかについては、ここでは割愛させてくれ。
伏線回収はしとかないともう王都行っちゃうしな…って…
君の犠牲は忘れない
いや忘れよう