7-9.ケレム先生に聞く魔導士団受験対策
「……なるほど、構わないぞ。午後は家に帰って家事をするくらいしか、用事はないからな……」
「すみません、お時間いただきます」
魔導士団の受験のメインはもちろんサラなので、今度は先程までは一歩引いていたサラがケレムにお願いをしていた。
「え~、ミャーちゃん、王都行っちゃうのぉ」
ケレムに少し遅れて教員室に戻ってきたアズラが横で私達の話を聞いていたようで、落胆の声を出している。
「筆記試験に落ちて帰ってきたら、ホントに個人授業してあげるわ」
「それは、落ちて享受するべきなのか、恥をかかないために根性を見せるべきなのか悩みどころですね」
「ちょっと何よそれ、ミャーノ」
「やだぁサラ、妬いてる~」
「妬いてませんー」
「……おい、準備できたぞ。行くんだろう」
「あ、はい。お願いします」
アズラとサラのじゃれ合いを完全に無視して、ケレムはさっさと教員室から出ようとしていた。
サラと共に慌てて後に続く。
「壱心楼」
ケレムがたまに来るというその店の看板にあった名前を思わず口に出して読んでいた。
シーリンにおいて名前は概ね日本語か、欧州らしい横文字かだったが、ここにきて突然表意文字が飛び込んできた。しかも中国語らしき響きだ。もちろん文字は「漢字」ではない。頭には直接その文字の意味が飛び込んできた。
ということは。
「もしや中華!? 中華料理ですか?!」
のれんを潜ろうとしているケレムに噛みつかんばかりに訊いてしまった。
……のれん?!
しかもこののれん、中国のものじゃなくて日本式の真ん中に切れ目入ってるタイプだけど!?
「……チューカ? いや、私はあまり料理文化に詳しくなくてな」
「いえ、すみません」
メニューを見ればすぐわかることだ。
そう思い、ケレムに続いて店内に入った。
椅子や卓はマーフの店やオジギ亭、カルガモ亭と特に差異はなく、洋式だ。
壁に掛けられた木片に書いてある文字は表の看板と異なり、表音文字だった。
『白身魚の甘酢あんかけ』『豚の角煮』『牛肉とピーマンの細切り炒め』『カニおこわ』『雲呑スープ』『たっぷり野菜の酸辣麺』。最後のは五目の自動翻訳だろうか。
「――って、雲呑があるのですか」
これはもう十中八九中華料理店だな、ここ。
「ワンタンって?」
「ええと、細かくした肉や野菜を、小麦粉を練った生地で包んで茹でたものです」
「……詳しいな、ミャーノ君? 屋号の看板も読めていたようだが、もしやシャルクアスの文化に詳しいのか」
シャルクアスは、このファールシー語圏の外側、東にあった大国だったはず。もしかしてそこの文化は私の認識でいうところの中国大陸に近いのだろうか。
「詳しいわけではないのですが……並んでいるメニューの調理法は大体わかります」
文字が読めたのは翻訳の術のおかげだろうから、シャルクアスの公用語で書かれた本もきっと読めるとは思うのだが。
「そうか。この店は先々代のご主人がシャルクアスの出身らしくてな。麺料理が旨いんだ」
「ケレム先生のお奨めの麺は何かしら? 私それを食べたいわ」
サラは、というか一般的なキーリス国民はシャルクアス料理に詳しくないものなのかもしれない。
「麺か……あっ、『酢豚定食』。う、『乾燒蝦仁定食』……!?」
麺以外のメニューにもめちゃくちゃ目移りする。ベフルーズ達の料理も美味しくて有難いが、私は中華料理にも和食にも飢えていたことに気がついてしまった。
「私のお奨めか。あんかけ旨煮麺を頼もうと思っている」
「じゃあ私も同じもので」
店員が冷茶を持って注文を取りにきたので、二人はそのままさっさと注文した。
「うーん…うーん……酢豚定食をお願いします……」
「ミャーノ、そんな一生に一回しかこれないお店じゃないのだから、そんな死にそうな顔で選ばなくても……」
「ふ、くく」
断腸の思いで一つのメニューに決めた私とそれに呆れるサラのやり取りを見ていたケレムが笑っていた。
無愛想な印象があった彼だが、普通に笑うようだ。当然か。
「……大丈夫、だ。ミャーノ君。王都には、シーリンより……様々な国の料理店があると、聞く。きっとシャルクアスの出身の人が営んでいる店も、あるだろう」
それは、何よりの情報だ。
「さて……王軍魔導士団の入団試験の話だったな」
旨煮麺の湯気で曇るためだろうか。ケレムはおもむろに眼鏡を外した。
「すでに、校長から…聞いていると思うが……試験は三種類ある」
「実技、筆記、面接ね」
「……そう。ただ、騎士は実技と筆記の総合で測られるが、…魔導士は…実技の段階で一旦、弾かれる……魔術は、大人になってから習得する、ことが、あまり……ないから、な。逆に、筆記は、読み書きが、できるかの、確認でしかない……らしい」
「どういう魔術を試されるのかしら」
「武力行使、国土防衛、救命医療、が主だ、と聞いている……君は、狩猟系や結界系の魔術が、ベフルーズよりも得意なのだろう?彼よりも巧いなら、まず、問題はない、だろう」
「そうね。狩猟系や結界系は確かに得意なのだわ。苦手なジャンルは特にないけれど、得意な方なら気が楽ね」
救命医療はベフルーズの方が巧いのだろうか。イメージ的にはわからなくもない。
「面接の内容は騎士団と同じなのかしら」
「人格を、見るという傾向か? 確かにその点も見るとは思うが……私の知り合いは、論文について質問責めにされたと言っていたな……」
「論文?」
「ああ、そいつは元々王都の大学生だったからな……。面接を担当するのは魔導士団の軍団長たち四人の内一人と、その軍団長以外の所属の班長が二人、だそうだ。魔導士は、私の知り合いもそうだったが、研究馬鹿の集まりと言っていい、らしい……。君も、そうだろう…」
「え、私そこまでじゃないと思うのだけれど……」
「ベフルーズは、君ほど病みつきにはなれない、と、評価していた」
まあ、自他共に認める偉大なる魔女の一番弟子なら、その評価がきっと正しいのだろう。それは姪に対しての称賛だった。
「でも私、大学に行ってもいないし、もちろん本も出していないのだわ。どう対策をしたものかしら……」
そこまで話をした時に、旨煮麺二つと酢豚が運ばれてきた。
――箸だ。箸が添えられている。
日本では箸は身体に対して横向きに置かれるが――中国でも唐以前は横向きだったそうだが――このイーシン楼では縦向きに置かれていた。サラとケレムの方はレンゲらしき匙もつけられていた。
「あ、私お箸使えないかもしれない」
「そうか。気が、回らなくてすまない……。すみません、フォークを――ミャーノ君は?」
「私は使えます」
と言ってから箸をとって右手に持つが、――持てたのだが、どういうことか、元の世界で普通に使っていた時よりも、心なしかぎこちない。
先日ロケットの絵を描いた時にも感じたが、もしかして手先の器用さや技術などは、武器の扱いと同様にこの身体の能力に準じているのだろうか?
それでも「箸を使えはする」ということは、この身体は箸を使う文化に触れているということだ。本来は騎士であったと仮定するなら、王都にいた可能性が高いわけで、つまり王都には箸で食べる料理がある程度存在しているということだよな。
やったな。王都に行ってもよろしくな。身体の胃、頼りにしてるぜ。
酢豚は私の知っている中華料理における黒酢の酢豚そのものだった。
そして定食というからにはライスがついているわけだが――普段のインディカ米とクスクスの混ぜご飯ではなく、なんとインディカ米の炒飯だったのだ!
あの、油と卵でコーティングされて輝くチャーハンである。ご丁寧に刻まれたネギも焼き豚も混ぜ込まれている。
そして、まさかこの世界で搾菜を口にできるとは思わなかった。
ところでこのザーサイ、小皿にザーサイだけ盛るという日本式の出し方をされている。のれんといい、妙に日本ぽいところのある中華料理店だ。
それに、張り出されているメニュー。私は大雑把に中華料理と言ってしまっているが、本来は四川料理だとか広東料理だとか、地方ごとにかなり違うはず。そこもまるで中国以外の国におけるそれのように、広く浅く扱っている様子があった。
世界は違っても、母国の料理を外国で展開しようとしたら、似たり寄ったりこういうパターンになるのかもしれないな。
あんかけ旨煮麺もたいそう美味しそうだった。
次にこの店に来る時は麺類にしよう。
明日木曜は更新をお休みして、次は金曜の予定です。
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