7-3.オスタラのかたち
「影の姿で其方と邂逅した時はわからなんだが、森で其方を見ているうちに、――オスタラ、お前の形を感じたのだ」
「貴殿が何を言っているのかさっぱりわかりかねるのだが、話を戻してくれないか」
「私に捕捉をさせてくださいませ」
ブロシナは自身の携帯していた鞄から、巻いた紙を取り出した。
「パラース王の研究家である私は、鈴蘭の騎士、第十四代目オスタラ・ヴォルフの研究もしております。鈴蘭の騎士は確かにパラース様が王太子の時期に――メシキの森での戦役よりも前ですが――ジェノーヴで竜人族の軍と戦って勝利を収めております。その時の将がガラシモス様だったのです」
そうか。サゥイェはこの世界で実在した過去の人物を現在に顕現させたものだった。ということはガラシモスはかつて、生きていたのだ。
「そして、現代では絶滅したとされているので確かなことはわからないのですが――伝承では、竜人族には魂の形で個を認識する能力があると言われているのです」
ブロシナが手元の紙を広げながらそう解説してくれるが、後半が頭に入ってこなかった。
その紙には少女の肖像が――銀の鎧がやけに似合っている、葛野都子の姿が描かれていたからだ。
「ミャーノは鈴蘭の騎士と関係ないわ。大体、だったら何だと言うの? ミャーノの主人はこのサーラー・バニーアティーエよ。ミャーノがトロユに出向いてやる理由なんてどこにもない」
私が使い魔だからこそ、この世界の人間だった鈴蘭の騎士、オスタラではないとサラは言い切れる。
だが「サゥイェ」だと思い込んでいるガラシモス達に手札を見せたくはないので「使い魔」であることは伏せておきたい。サラの声にはそんなもどかしさが滲んでいた。
「――オスタラ、お前は昔からそうだ。女どもがこぞって“己が真の鈴蘭のの友だ”と対抗心をむき出しにして噛みついてくる。今世でもそうなのか。聞いたぞ。お前、結局結婚しないまま死んでしまったのだろう? 子供くらい作っておけとあれほど言っておいたのに、お前という女は……」
「だから、うちのミャーノは鈴蘭の騎士でも女性でもないってば!」
「……鈴蘭の騎士が女王カトレヤや魔女ミネルウァと昵懇にされていたことは伝わっておりますが、もしや他にもそのような女性が……? ガラシモス様、そこのところを少々……」
ガラシモス達が何か言っているが、私はそれどころではない。
「……ミャーノ? 大丈夫? ――真っ青なのだわ」
私の指先は冷え切っていた。さっき触れられていたガラシモスの手などよりも、サラの小さな手が懐炉のように熱い。
『――サラ』
そう主の名を発声しようとしたのに、声が出なかった。
私を喚び出したサラですら、私の――都子の貌は知らないのだ。
なのに、目の前にある肖像は都子だった。
でも、今の「私」はこの貌ではない。
それだけのことが、こんなにもショックなのか、私は。
「ミャーノ」
「むぐ」
知らぬ間に苦味に支配されてしまっていた口の中に、粉糖の優しい甘味がじわりと染み込んだ。
――チョコドーナツだ。サラが、私の口にチョコドーナツをねじ込んでいた。
ふんわりと揚げられているそれは口どけよく、大して噛まなくても自然と嚥下されていく。
じっとりとかいていた冷や汗のようなものに、そこでようやく気付いた。
使い魔のくせに、こんなところは人間らしいのだな。
「ご、ごめんなさい。つい。何か食べさせたら持ち直す気がして」
「……いいえ、マスター。その通りです」
残り半分もモグモグと食べてしまう。
体温が戻ってきたのも感じた。
まだ少し残っていたレモネードを飲み、チョコと粉糖の甘味に塗れた舌を刺激するその甘酸っぱさに目を覚ます。
「ガラシモス殿。私はミャーノ・バニーアティーエ。私はかつての貴殿を存じ上げない」
彼はまだ何か言いたそうにしていたが、やがて止めたようであった。
「ミャーノ様、こちらの肖像は複製です。貴方に差し上げるつもりでお持ちしているので、どうぞお納めください」
「いえ、それは……」
「戴いておきましょう、ミャーノ。ブロシナさん、ありがとう」
躊躇う私の手元からスイと肖像画を引き取り、サラは、ブロシナがそうしていたようにくるくると巻き直した。
「話をクィントゥス王子の件に戻すぞ、ガラシモス殿。今の王子の状態を教えていただこうか」
「シビュラ様の魔方陣内であれば、モルヒネを用いず鎮痛を施していただけておる」
「師匠の魔方陣? それはもしかして、鎮痛というよりは――」
「ああ、鎮静だ。痛みから守られはしているが、その殆どは眠ってしまっている。モルヒネを利用するよりは中毒症状を引き起こさないため、マシというものだがな」
「その安楽の術は、師匠が毎日かけ直さなくては持続できないものじゃない」
「そうだ。故に、シビュラ殿を手放すわけにはいかない」
術の持続といえば――
「――『竜の巣の卵石』は?」
私の呟きに、サラとブロシナがハッとした。ガラシモスは無反応だ。
「『竜の巣の卵石』? なんだ、それは」
「ガラシモス様、『竜の巣の卵石』は鈴蘭の騎士とミネルウァ様の伝説も出てくる秘宝でございます。大きさにより効果範囲は異なりますが、主に結界系の防御魔術の恒久的な動作の要石となるそうです」
ブロシナのその解説に、サラも頷く。
「安楽の術も魔方陣を敷いて、作用する範囲を限定するものだから『竜の巣の卵石』は使えるのだわ。――でも」
「希少な物、なのですよね……」
「ええ。あれはそうそうその辺に出回るものではないのだわ……」
「モルヒネを用いずに眠れる場所が王子に確保されるのであれば、トロユ王家は予算を惜しまないことと存じます」
「ブロシナさん、お金さえ出せば手に入るというものではないのだわ。あれは、ジェノーヴの火山帯に住んでいた竜の巣でのみ――」
そこまで言いかけて、サラとブロシナが今度はガラシモスを見た。
「な、なんだ」
しかし ガラシモスは おどろき とまどっている!
「ガラシモス様、もしや鈴蘭の騎士とヴェスヴィウス火山に挑まれた竜人というのは貴方様でしたか!」
ブロシナが噛みつかんばかりにガラシモスに迫り出した。
「は? うむ……確かにオスタラとヴェスヴィウス火山には行ったな……ん? ああ、『竜の巣の卵石』とはあの時オスタラが土産にした“竜の卵の化石”のことか」
化石だったのか。というか竜の卵の化石ってそんな恐竜の卵の化石みたいな。いやそういうイメージでいいのか。
「化石だったのですか!?」
「魔石じゃなくて竜の卵の化石……!? なるほどなのだわ、それなら魔素が凝縮されているのは道理ですもの。竜は最上級の魔素を蓄えているという精霊……そうだったのね……」
学者である女史二人にとってもそこは初耳の様子でった。
「……ガラシモス殿。ヴェスヴィウス火山にはまだその化石は眠っているのだろうか」
「あるんじゃないか。いや、この四百年の間に掘り尽くされていたりしたら知らんが……しかし、このブロシナの様子やヴェスヴィウス山の過酷さを考えると発掘が盛んになったとは考えられん」
「……一応お聞きしますが、オスタラ殿とガラシモス殿はどういう状況でその化石を見つけたのですか? その辺に転がっていたわけではないでしょう。そもそもなぜ火山に?」
「……あー」
ガラシモスのその反応を見たからか、背中がそわそわして嫌な予感がする。
「キーリスには活火山がなかったらしくて……マグマが見たいとねだられてな……」
観光かい。
「……それで火口近くに連れ立って行ったら、そこをナワバリにしていたその、ニーズヘッグと喧嘩になって……それもかなり激しい……、オスタラが山の一角を抉ってしまった……」
「『憤怒の臥竜』。お待ちください、ガラシモス様。あのくだりは討伐ではなかったのですか」
「…………すまない。いや、殺してしまったわけではないから……そろそろ元気になってるだろう……もう四百年も経つのだし……」
不都合な真実かよ。
「――ガラシモス殿、ブロシナさん。トロユに戻り、今からお伝えする三点の承諾をご検討いただきたい」
一つ、ガラシモスが我々と共に、ジェノーヴはヴェスヴィウス火山に向かうこと。
一つ、『竜の巣の卵石』を持ち帰ったら、シビュラを自由にすること。
一つ、シビュラが帰還を望んだら、我々の迎えを阻まないこと。
「サラ、私がジェノーヴへ赴こうと思ったら旅券、そして査証の交付を受ける必要がありますよね」
「え、ええ。そういえば貴方達は――」
「密入国に決まっている」
「あ、私は正統な手続きを踏んで入国しておりますからお気遣いなく」
外交官だもんな。
「……じゃあ、検討してもらっている間に私たちは王都で交付を申請しないといけないわね」
「――ク。くっくく……」
ガラシモスが笑いを堪えている。
「なんですか」
「いや――サゥイェなんて亡霊稼業も、お前ともう一度旅ができるなら悪くないと思ったのさ」
「――いい加減になさいませ、ガラシモス殿。私は違うと」
「ああ、済まない。だがな、本当に嬉しいのだ、私は。許せ」
ガラシモスはそう言うと、席を立つ。いつの間にかガラシモスの手元のケークサレは平らげられていた。いつ食べたんだろう。
「また連絡する。なに、お前の無茶振りには慣らされてしまっているからな、やってやるさ」
――この点に関しても、私たちは平行線だった。
評価・ご感想などお待ちしております!
ブクマなどいただけると励みになります!!
4/11 13時ごろ
設定に矛盾があったのでサラの竜に関するセリフを一部修正しています。