7-2.クィントゥス王子
「少なくとも、件の王子が回復しないことには帰すことはできぬ。――場合によってはこのままトロユの王城に工房を構えていただく」
「勝手すぎるのだわ!」
「メシキの森はトロユのものであったのだ。ならばメシキの森の魔女の正統な主はトロユの王であろう」
「ミネルウァ様はともかく、シビュラ様にそれを適用するのはやはりおかしいでしょう。彼女は最初からキーリスとしてのメシキの森の主だったのですから」
「――この点に関しては平行線だな」
腹が立つことに同感だ。私たちは折れる気などないし、ガラシモスも説得などされてくれないだろう。
「建設的な話をしよう。ブロシナ」
「はい」
ケークサレにフォークを伸ばしかけていたブロシナは、突然話を振られて已む無くそのフォークを置いた。ちょっと気の毒だ。
「――ブロシナさん、食べながらでも我々は構いませんよ」
思わず助け舟を出してしまった。私たちと違って、あらかじめの腹ごしらえなどとガラシモスに気を遣ってもらっているとは思えないし。だとしたら、ちょうどお腹は空いているだろうし。
「ありがとう存じます。――しかし……」
「ミャーノ殿が良いのであれば問題あるまい」
「で、では」
「私も食べよっと……」
サラもやっとドーナツに手を出せた。
……私はさすがに少し我慢しておこう。
どうもガラシモスは――ブロシナもだけれど――サラではなく私に向かって話をしている節がある。
まあ、主人であるサラを差し置いて、ガラシモス達にずけずけと物を言っているのは、確かに私なのだが。
ガラシモスは私がサラの従者であることは先の戦いで間違いなく承知しているはず。ガラシモス達のその、私の方に向かって話をするというのはサラに対して失礼というものではなかろうか。
……なんて、腹に据えかねている私を、「随分と使い魔が板についてきたな」と冷静に俯瞰する私もいる。
営業職でもなく、取引先と直接話をすることは年に一回あるかないかだった都子は、どちらかというと相手側や自分側の上下関係に気を遣って話を回していくのは苦手だった。なにより、「上司を上司として立てよう」と思いたい上司の存在が未だかつて記憶にない。
そこへきて、「サラをないがしろにするたぁふてえ野郎だ」なんて感情が今はあるものだから、面白いものである。
「ミャーノ様は、パラース王についてどの程度ご存知なのでしょうか?」
そうブロシナに問われたので、サラに視線を遣ると頷きで返された。好きに答えろということと解釈する。
サラって結構私に投げっぱなしな時ありますよね。
「キーリスの鈴蘭の騎士と戦い、捕虜になったことのあるトロユ王家の方……。阿片中毒になってしまった際にミネルウァ様がお救いになった方ですよね?」
「はい。オピウムはその後各国で禁制を敷かれます。しかし、ケシを原料とする薬物の濫用者は、現在に至るまで我が国で問題になっているのです。濫用者を減らすため、大麻は許容したりなどしたようですが、あまり効果はありませんでした」
ブロシナは一度そこで言葉を切り、ケークサレにフォークを入れた。
「大麻の方がケシよりも依存性は低い……からですな。すでにケシに取り憑かれている者にはその施策の意味は薄かった、と」
「はい、そう考えられます」
肯定しながら、もう一口分、ケークサレを切り分けている。
私もレモネードを一口飲んだ。
「パラース王は喘息持ちでしたが、クィントゥス王子は頭痛持ちなのです。幼少より、一般に処方される頭痛薬を用られていたのですが、耐性ができてしまったのか……とうとうどの鎮痛薬も効かなくなってしまったのです」
クィントゥス王子。シビュラが攫われる原因となった王子の名だろう。
「故に、モルヒネを?」
「そうです。しかし常用するにはモルヒネは強烈な劇薬です。現在、クィントゥス王子は頭痛以外に、薬物の離脱症状、あるいは中毒症状に悩まされてしまっています」
「――……気の毒では、ありますね」
「……シビュラ様に縋ったのは、かの御方がミネルウァ様の後継者だからだと聞いております。しかし、パラース王の場合と決定的に違う要素があるのです」
ケークサレの最後の一切れを口に運ぶ彼女を見ながら、私が言葉を繋ぐ。
「クィントゥス王子の薬物中毒を解決できても、そもそもの原因である頭痛を何とかしない限り、問題は解決しない」
「そうなのです」
しょんぼりする彼女につられて、私も思わず眉尻を下げてハの字になってしまう。
都子は慢性的な頭痛持ちではなく、緊張や風邪、あとは月のものの時に悩まされるくらいだったので市販の頭痛薬や総合感冒薬で十分ことが足りてしまっていた。しかし知識としては、視界がおかしくなるほどの慢性的な片頭痛や、余りの激痛に銃を持っていると衝動的に自殺してしまうほどであるという群発頭痛は識っている。ウィルスや内臓の炎症が原因ではないから、“こうすれば治る”という特効法がある類のものではなかったはずだ。
ご典医がサジを投げたのであれば、この世界においてもクィントゥスの頭痛は解決できないものとされているのだろう。
私が医者だったらこんな場面でも誰かの役に立てたのかもしれないが、――この世界に来てからというもの、後悔にキリがない。
「――その表情よ、ミャーノ殿。……其方、やはりオスタラの――鈴蘭のに連なる者なのか? あるいは――オスタラ、お前なのか」
「――は?」
眉根を寄せてため息をついていると、適当に卓上に投げ出していた手を――私の手をとって、ガラシモスがまっすぐにこちらを見ている。
何を言っているんだ、こいつは?
「ああ、やはり――そうなのか? 私がこうするとお前はいつもそんな表情をしていた」
そりゃあ、“そんな表情”は、突然敵から手を握られたら誰でもするんじゃないですかね。鳩だって豆鉄砲喰らった後は喰らわせた奴を睨むと思う。
「……おい、放せ」
それだけ唸るのが精一杯なほど、私は困惑している。
にもかかわらず、ガラシモスは続けた。
「サゥイェは召喚される際にその姿形が変わることがあると聞いている。――私は竜人の姿のまま召喚されたがな。お前がオスタラであるなら、いつか思い出してくれ。私はガラシモス。かつてお前とジェノーヴで剣を交え、負けて下った竜人だ」
そこまで告げられたところで、ようやく、ごつい男の手からごつい男の手は解放された。放されてからその手が熱かったことに気づく。呆然としている我が手は、今は涼しい。
ガラシモスから視線を逸らせないが、サラがぽかんとしていることは感じ取れた。
長くなるので一旦ここで切ります。




