6-3.枕元の談論
「シビュラ様が、薬物中毒による肉体の損壊を復旧する術を編み出していたとしたら――それは私の世界でも成し得ていなかったすごいことです」
私はベフルーズの部屋のベッドに、腰掛けた上で上半身だけ仰向けに投げ出しながら、冊子を読まされていた。これはベフルーズがスクラップした“ここ数年で新しくお触れの出された新法”の瓦版の記事だ。
ベフルーズは机で教本にひたすら付箋を貼っている。明日夜までの間にそこを読んでおけという「明日の宿題」らしい。筆記テストではなく、面接対策として、一般常識の法律や話題に困らないようにという、ベフルーズ先生の親切心である。
ランタンは机の上にしかないが、使い魔はどうやら夜目が恐ろしくきくようだということは今日の夕食時にサラにもベフルーズにも話しておいたので、特に気は遣われなくなった。
「四百年前の昔話でトロユの王子が阿片にハマって使い物にならなくなった、っていうのを受けて、グリグ以外の周辺国は、軒並みオピウムだけは禁止しているのは一緒なんだが。オピウムが切れると人が変わったように暴れ出したって話くらいしか知らないんだよなあ」
「なるほど、法整備のきっかけの話でもあったのですね。私の故郷の国も、隣の大国でオピウムが大流行して問題視された時点ではその被害はまだ広まっていませんでしたから、オピウムの規制は間に合ったと聞いています。――まあ、その後他のドラッグが色々広まってしまうのですが」
「へえ」
「でも、オピウムに関しては放っておいても我が国では需要があまりなかったかもしれないと言われてもおりましたよ」
「えっ? どういうことだよ?」
「どうやら我が国は他の国と少し違っていて、求める薬物の傾向が違ったそうなのですね」
「うん……?」
「オピウムというのは、ダウナー系……気持ちをぼんやりさせて鎮静させるドラッグですよね?」
「そうだな?」
「ウチの民族というのは基本的になんというか…別にそんなことをしなくても他の民族より陰鬱としているほうだと評されてしまっているくらいで……」
なんだかあらためて、自分で話していて鬱になってしまう認定だな。
「どちらかというと『興奮させる薬』のほうがずっと需要があったそうなのです。薬として発明された時は、軍人や工員をよく働かせるために使われたそうですよ」
そこまでして働かされたくないよなあ、としみじみ気の毒に思う。
「……お前の故郷、どんだけ普段のテンション低いんだよ」
ベッドのスプリングが軋んで、寝転んでいる上半身がバランスを崩す。スクラップブックを取り上げられる。ベフルーズは付箋を貼る作業を終えたらしい。
「祭りや飲みの場といった場面ではそんなことないと思うのですけれど」
「お前もそうなの?」
ベフルーズは、私が足を投げ出している反対側の側面に足を投げ出して、ベッドに上半身をうつぶせに、腕を組んで顎を乗せるようにしていた。
「……ベフルーズからはどう見えてますか?」
「大人しいとは思うよ。陰鬱さは感じないけどなぁ」
「それはよかった」
腹筋だけで、上半身を勢いはつけずに起こし、ベッドを揺らさないように立ち上がる。いい腹筋だこと。
「常にテンションの高いタイプの民族もいましたけど、私は“時々”ハイになるくらいがその『時』を楽しめていいと思ってますしね。この性質に不満はないのです。……どうしたのですか、ベフルーズ」
机の上の本のラインナップを確認しようと移動した私を、ものすごい不満げな目で見ている。
「どうもしねえよ」
「いや、してますよね……」
寄って皺になっている眉根を人差し指でぐりぐりと押してやった。
振り払われるかと思ってやったのだが、ベフルーズは目を閉じてじっとしている。
腰かけなおして、座っている状態そのままで、額をなでてやった。額に皺ついちゃうよ。
「≪ベリード≫――閉じよ――」
「ベフルーズ? ……ん?」
突然、まだ聞いたことのない魔術の詠唱をされたので呼びかけると――己の発した声が反響して空間の違和感に気づく。
「え、なんですか? これ」
思わずきょろきょろと見回すが、特に何かが出現して見えるわけではない。
「防音魔術」
それ以上説明してくれなかった。音波がこの中に閉じ込められてるってことかな……。
「なんでそんなこと……」
「夜中に喋ってる声響いてたらサラの眠り妨げるかと思って」
「ああ。え? いや、だから私も、ベフルーズの作業が終わられたのでお暇しようかと思ったのですが」
「こうしておいたら別にまだいいだろ」
「……あなたはあなたで明日またお仕事でしょうに」
なんだ、まだ寝たくなくて話し相手を逃したくなかったのか。
だからって魔術まで遣わなくても……。
「この魔術、疲れたりしないのですか?」
「この家の敷地全部とかだとさすがにアレだけど、半径1メートルは息するようなもんさ」
それ、かなり常に近づいてないといけないのでは?
日本人のパーソナルスペースなめんなよ――と思ったが、このベッドの範囲くらいか。わりと広い。
「わかりました、あなたが寝付くまでお付き合いしましょう。ランタンの灯だけ落としますよ」
スプリングを刺激しないように立ち上がり、机の上の灯りを吹き消して、もう一度ベフルーズの魔術の有効範囲まで戻る。
「とりあえずそのまま寝てしまっても大丈夫なようにちゃんと寝転がってくださいますよう。寝落ちた後で私に抱きあげられたいなら別ですが」
出来ると思うけどね、この身体の腕なら。お姫様だっこで寝相を直すのなんて造作もなさそう。
そう考えながら、駄々をこねた大きな子供の顔を覗き込んでやる。
おもむろに鼻づらを掌で押しのけられたが、痛くはない。
「何をするのですか。鼻が潰れてしまいます」
「多少顔面偏差値が下がっていいんじゃねえの」
「あっそういうこと言います? ベフルーズの方が鼻高いのにそういうことを言いますか?」
「うるさい」
悪態をつきながらも大人しく正位置に収まり、上掛けの布をかぶった。
ここの寝具文化水準はまだわからないが、羽毛や綿が入ったようなふかふかの掛け布団は見かけていない。寒い場合はさらに毛布をかぶるようだった。
ふと、外から犬の遠吠えが聞こえてきた。
「この防音の術は、外からの音は聞こえるのですね」
よかった。サラに何かあってもちゃんと察知できそうだ。
「ああ、元々は身を潜めるための術式だったからな。外敵の足音も消しちまったら余計危ないだろ」
「なるほど」
「…お前、昨夜も寝てないのに大丈夫なのか」
「ベフルーズが寝たら、私も寝られるんですがねえ。……本当に大丈夫なんですよ」
ベフルーズの胴体くらいの位置で腰掛けて、後ろ手に、一定のリズムで彼の腹のあたりを「ぽん、ぽん」と優しく叩くことを続けた。
さすがに子守唄は歌わないけれど、幼い頃、母にこうして寝かしつけられたのを思い出す。
「なんだこれ」
「心臓の音と同じテンポでこうすると、ヒトは安心するでしょう?」
「そうなのか」
「嫌ならやめますが、嫌ですか?」
「……ううん、嫌じゃない」
「そうですか」
ベフルーズが寝たら、本を二、三冊持ち出して、廊下で読んで夜を過ごそうか。
使い魔であるこの身体は寝なくても大丈夫なのだから、時間を有効に使わない手はない。
歴史や法律の書を読むのは嫌いではないのだ。
そんなことを考えながら、ベフルーズの腹を撫でるように叩いていると、
「≪スィオー≫――眠れ、仔よ」
「……え」
「……使い魔だからって、寝なきゃ脳がパンクするぞ、馬鹿――そこまでして俺たちを守ろうとしなくていいんだよ」
――でも、眠るのは怖い。
だって、おかしな夢を見るの。
私じゃないヒトの夢を見るのは、怖いんだもの。
ベッドのシーツの上に倒れ込んでしまう前に、ベフルーズの腕に抱きとめられたのを辛うじて知覚したが――眠りに落ちることに対しては抗えなかった。
こういうギリギリな感じが好きです。
捕捉:BL方面のギリギリさってことでした(言葉足らずだった)