6-2.紅葉鍋の会議
ペーパーテストの顛末を聞いてサラはコロコロと笑っていた。
「生徒の得点がよくて不機嫌になる教師がどこにいるのよ~」
「生徒じゃねーもん」
「魔術学を教えてくれると言ったではないですか、ベフルーズ先生」
「先生じゃねーもん。魔術学だったらケレム先生のほうが詳しいです~」
「叔父さんがムクれてもあんまり可愛くないのだわ」
可愛くないことはない。ベフルーズも最早半分冗談でやっているようなのだが、居心地がよくないので勘弁してほしいものだ。
「ベフルーズ……せっかくの紅葉鍋ですし、ね」
「? 『紅葉鍋』ってなぁに?ミャーノ」
「ああ、私の故郷では鹿鍋の別称として『紅葉鍋』と言い慣わしていたのです」
「鹿とモミジ? “紅”くなる“葉”のモミジで合ってるか?」
「ええ。有名なものだと、古典の歌に『奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき』というものがあるのですが、昔から『鹿』と言えば『紅葉』という連想が根付いていたのですね」
よしよし。ベフルーズの気が逸れた。
「歌?」
「吟じるように詠むこともありますけど……詩のほうが近いのでしょうかね? 今のは恋歌なのかな……あ」
歌の意味と作者の名前と、目の前の「紅葉鍋」の生前の姿を併せて思い出し――ちょっと気分が悪くなってしまった。
「……どうした、ミャーノ」
「――いえ、二人にまで嫌な思いをさせるわけには……」
「え、どういうことなの、気になるのだわ。もういっそ言っておしまいなさいよ」
「そうだそうだ」
「う……」
今引き合いに出した百人一首の猿丸太夫の歌は、“発情期に伴侶を探すオスの鹿の声にひとり寝の寂しさを重ねる”というものなのだが――
――猿――鹿――
そう、この鹿鍋の鹿は「キイキイ鹿」、猿面の鹿なのである――
……それを二人に話すと、二人はなんだか納得するように、柔らかく煮込まれた鹿肉を噛みしめていた。
「いいのよ、ミャーノ。聞いたのは私たちなのだわ……」
「そうだな……」
「……お、美味しいのにすみません……! サラ、私、こういう味噌煮込み大好きなのでまたお願いします……!」
森で採取したきのこの旨味が長ネギと肉に味噌の風味と共にたっぷりしみ込んで、旨い。芯からほかほかする。
「うん……ありがとうミャーノ、また作るね……鹿は発情期のが一番美味しいのがまた困るのだわ……」
「あああ……」
本当に美味しいんだってちゃんと伝わったかなあ!?
「それにしても随分雅な名前つけたもんだ」
「他にも『牡丹』『桜』なんてのもありますね。イノシシや馬の肉なのですけれど。――でも別称がつけられた理由はどれもそう雅ではないですよ。昔、宗教上の理由でお上が獣肉を食するのを禁じたことがありまして。でも『薬食い』なんて言ったり、肉の名前を草花の名前に言い換えて呼んだりして誤魔化して食べてたのだそうで」
「禁じられたところで、結局は隠れて食べちゃったってことね」
「そうだなあ、ドラッグと違って身体に悪いわけでもなし」
「そういえば、各国ではそれぞれきちんと薬物を禁止する法などの整備はされているのでしょうか?」
そこが少し気にはなっていた。なにせ私のいた世界でも国によって「良い・悪い」の線引きが全く違ったのだ。トロユとキーリスでその判断が異なる可能性は高いと思っていた。
「あー。あるかないかでいえばキーリスはもちろん、キーリスの周りにある国――ルーリアナもトロユも、ジェノーヴ、ヤギラもある。俺が知ってる限りだと、敢えて禁止してないのがキーリスから海を挟んだ西の向こうにあるグリグって島国だな」
「敢えて? それで問題はないの?」
「害が少ないドラッグときついドラッグだと、“少ない・軽い・依存性がない”ものが安価だし手軽で好まれるらしい。手を出すような奴はそれで済むし、元々出さない奴は法がなかろうが手を出さない。まあ、これは小国だからうまくいっている方針だと思うんだが」
確かに私の世界でも、某国は敢えて大麻を許容することで“ひどい薬物”に手を出す人間を減らす効果を出していたと聞いたことがある。
「こちらに阿片系の麻薬やコカインが存在しているのは昨日お聞きしてますが、他にどのようなものがあるのでしょうか?」
「俺もそんないわゆる裏社会に詳しいわけじゃないんだぞ。ええと…他には『幻覚性きのこ』…これには昔の巫覡が使用してた種類もあって、キーリスの場合は確かいくつかは特定の手続きを踏めば使用OKなものがあったはずだ」
「へー。そういうのもあるのね」
「それから『大麻』。これはキーリス以外にルーリアナとジェノーヴは禁止しているが、トロユとヤギラは合法だな」
「『有機溶剤』とかは?」
「有機溶剤? それは溶剤でドラッグでは……え、待て」
あ。これは開示してはまずい異世界知識というやつなんだろうか。
「――すみません。言ってしまったのでベフルーズとサラには教えますが、絶対口外しないでくださいよ」
有機溶剤のまずい使用法と、その末路を解説した。
「うはぁ……嫌な臭いだし、皆気をつけて換気して使ってはいると思うが、そんな使用法が……」
「私や叔父さんが知らなかっただけで、実はそういう使い方している人達はいるのかもしれないわね……」
「他のドラッグでも同じですが、いずれも脳の委縮や内臓の損壊など、私の世界の文明では取り返しがつかないこととされていました。気を付けてくださいね」
「うん……」
それとも……救命医療の魔術というものが発展しているこの世界はそうでもないのだろうか。
シビュラ様は、もしかしたら――
もみじ鍋の名前の由来には諸説あると思いますが、まあ花札説に対しては花札の元ネタがさらにあるでしょというのがミャーノの解釈です。