5-15.バニーアティーエ家
三人の侵入者の気配が遠ざかり、やがて感知できなくなった段階で、私は家の中に戻った。
「お二人とも、ご無事ですね?」
サラにはメシキの森での加護があることを教えられていたが、どこまでの危害から守られるものかはわからない。森以外における警戒のそれと変えることはしないことを決めていた。
ベフルーズも警護対象なのは言わずもがなである。
「もちろん! ミャーノは怪我とかさせられてない?!」
「ええ、かすり傷もないです」
サラが駆け寄ってきてくれるので、安全のために剣はさっさと鞘に収めた。
「……おっまえ、結構な迫力あったなあ……」
「おや、そうでしたか?」
そりゃあまあ、意識的に凄んではいたから、迫力がなかったなんて評されたら情けないものだが。
ベフルーズが妙に感心してくれていたので、すっとぼけておくことにした。
「ベフルーズやサラからは、彼らの顔は見えましたか? 面識は?」
「いや、お前が最初に蹴り飛ばした奴の顔しか見えなかった…遠くにいた二人が半馬人と竜人ってのはわかったんだけど。少なくとも『ニコス』って呼ばれてた男は知り合いじゃねえよ」
「私も…ううん、竜人の顔は見えたんだけど、竜人の顔の区別は私あまり得意ではないのだわ……」
半馬人も竜人も実際に拝むのは無論私は初めての経験だったが、やはりその人種名で合ってるのか?
いや、翻訳機能が元々私のオカルト知識から適合した名前を引っ張ってきて充てているだけなのは承知しているのだが。
「トロユ、とは自称しておりませんでしたが……十中八九、かの国の者でしょうな」
「あわ~~どうしよう…つい勢いで『カルガモ亭に行ってやろうじゃないの』ってなっちゃったけど勝手に答えてごめんねミャーノ」
「いいえ、サラ。私がけしかけておきながら最終返答をお任せして、私こそ申し訳ありません」
サラはおろおろしながら私の左手を握らせたり開かせたりしている。何がしたいのかよくわからなかったが、されるがままになっておいた。
「俺、流れわかってないんだけど……結局、お師匠様が攫われた理由、ミャーノが言ってた『薬物中毒の治療』が当たってたってことだったのか?」
「竜人の男以外の反応は薄かったですが、あのガラシモスだけは“心当たり”がなくもなさそうでしたね。まあ、その点は明後日に直接改めて聞けばよろしいですな」
ガラシモスがあっさり退いたのは、連れの二人にはそれを聞かせたくなかったのではないか、という気すらしている。
「ベフルーズ、今夜はやはりあなたは家の中で寝てください。そして私は一応起きていた方がよいでしょう」
「……わかった、頼む。悪いな」
「お任せを。なるほど、使い魔が睡眠を取る必要がないのは当然の『仕組み』なのでしょうね」
「……私もリビン…」
「いや、」
サラのセリフは私とベフルーズが同時に遮って否を唱えてしまった。
どうぞ、とベフルーズに譲る。
「……お師匠様の寝室はさらに結界が張られていただろ? あの中は安全だし、明日はまた森を歩いて帰るんだから、いいベッドでちゃんと身体を休めなさい」
「……はぁい」
はい、その通り。
「サラ、あと、お風呂、入り直されますか?」
「あ、ほんとだ。そうする」
オジギ亭の時ほどではなかったのだろうが、やはり緊張はしていたのだろう。
この少女は今やっと、まだ髪が生乾きの状態であることを思い出せたようだった。
「ミャーノってさ、ちゃんと戦士だったんだな」
「え?」
本棚にあった『幻獣図鑑』をめくっていると、長椅子に横たわってくつろいでいたベフルーズがポツリと呟いた。
「ちゃんと、ってなんですか」
「んー。臨戦態勢っていうの? 狩りをしてるのは一度見てるけど、対人戦ってなると全然違うもんなんだなと思ってさ」
「ああ。迫力がどうのとおっしゃられてましたね、先ほど」
私が掛けているのは一人用の椅子だ。背もたれとしてフィットする弾力性のあるクッションがつけられており、座り心地が良い。本から手を離して、肘置きに腕を預けた。
「ベフルーズ。私は召喚されるまで戦ったことはありませんでした。もちろん、戦闘に関する知識もありません。私の住んでいた国では、私が生まれた後には戦争はおろか、内戦すらなかった」
「戦争の経験がない…ってのは、俺やサラも一緒かな……」
「対外的なものは北方の国との戦争が最後で30年前でしたっけ?」
実はシビュラの工房に地図があり、トロユの場所を教えてもらいついでに、トロユ以外の敵対国についても、昼間に少し話を聞いたのだ。
「そう、『ルーリアナ』って国。向こうから攻められてウチが防衛した形だが、お互い結局国境線は変わってないはずだな。元々、今のウチとトロユみたく山が国境だったから」
防衛に成功はした。かといって向こうの領土を奪うまでの交渉をする旨味はなかったということかな。
「俺もあんまり当時の事情に詳しくないけど。ルーリアナは寒冷地帯だし、土壌もあんまり豊かじゃないから、キーリスの肥沃な土地が欲しかったんだろうな」
この世界の月の様子などを見ている限りは、きっとこの大地は地球と同じように丸い天体なのだろう。
北が寒いということは、このキーリスは恐らく地球でいうところの北半球と考えてよさそうだ。その東西南北の寒暖感覚なら、馴染みがある。
「そういう経験の記憶がなくっても、あんな風に立ち回れるのか」
「その局面にならないと、己の一挙手一投足をどうしたらいいのかは全くわからないのですがね」
「……もしかして、その筋肉もなかった?」
「あれ、それは申し上げておりませんでしたか」
「うん。戦闘経験がないってのは聞いてたから、肉体作りとかもそうかなとは思ってたんだけど。そうだよな。アリーもそうだけど、武芸に興味がないのに鍛えてるってなったらわけわかんねえもんな……」
いやベフルーズ、「見せ筋」という種目はあります。あれは“単純な筋力はついているが、武芸やスポーツに優れている面がない”パターンのはず。
「そうですね。ですから、この身体はアリー殿達と違って『私』が努力したものではありません。――失望しましたか?」
「えっ? なん…あ……いいや、そんなことはない。気に障ったんなら悪かった」
「ああ、いいえ」
私に失望していたのは私自身だ。八つ当たりで嫌味になってしまってごめん、ベフルーズ。
今はこれで十分だとしても、この身体が本来備えていたであろう向上心が私にはないゆえに――現在以上に強くなるということがこのままでは難しい。
「ベフルーズの弟御、フィルズ殿は王軍の騎士でいらしたのですよね」
「ん? ああ、王都で、盗賊団狩りに参加した時、殉職しちまった。……まだ三年しか経ってないってのに、なんだか随分昔のことみたいだ」
三年前。有望だっただろう若者は、余りにも早く喪われていた。その兄に私は今、ひどい話題を振ってしまったのではないか?
「突然どうした? もしかして、エル先生に『王軍勤め』かって訊かれたの気にしてるのか?」
「あの、無神経な質問をして申し訳ありませんでした。――そうですよね。私は――自分の気になることばかり」
「全然いいよ、気にするな。本当に」
ベフルーズから逸らしていた目を、おそるおそる戻す。
彼は寝転がったまま、こちらに優しく微笑んでくれていた。
「それより、何が訊きたいんだ?」
「――は、い……。私は強くなることができるなら、サラのためにも模索しなければと思うのですが。エル先生も、このバスタードソードを下さったソマも、私の所作を見て『騎士』と認識されていた。私は、その騎士というカテゴリにおいてどれくらいの実力を今持っているのか。知る術を…、また、上位でないのなら上位の強さを、得たい。そう思ったのです」
ああ、何を言っているのだろう、私は。まるで要領を得ていない。
私が黙ってしまうと、ベフルーズはぽつぽつと確認するように呟き始めた。
「トロユといよいよぶつかるってなったら、俺たち三人だけでどうにかなる話じゃあなくなるな。実際、既にシーリンは巻き込まれてるようなものだし」
「……」
「王軍、とのパイプ、つなぎ直す必要があるかもしれない」
「……つなぎ、直す?」
「『バニーアティーエ』の家は、曾祖父の代まで王都にあったんだ。俺には曾祖父だが、サラにとっては高祖父だな。代々、王軍勤めの騎士だったり、魔導士を輩出していたのさ」
「……そうだったのですか」
「俺の祖父は王軍で治癒士として活躍していて、さっき話していたルーリアナとの戦争が終わった後、あのシーリン郊外の畑の地主にしてもらったんだってさ。お前とサラ、シーリンで襲われた夜におっさんたちと帰ってきてたんだろ? その人らは多分うちの小作人の方々だぞ」
「そうだったのですか?!」
え、まさかあの辺りの農地の地主様でいらっしゃる? バニーアティーエは暮らし向きが豊かそうだなと思ってはいたが、ベフルーズが教師という安定してそうな職業についているためではなく、地主だったからなのか。
「祖母の出身がシーリンだったんだ」
「なるほど……」
「で、祖母はお師匠様の友人だったんだと」
「あ、それでベフルーズ達はシビュラ様とご縁があったわけですね」
「そういうことだな」
“偉大なる魔女”の導きを直接受けられることが稀なることだということには、さすがに私も気づいてはいる。
「フィルズは、エル先生にスカウトされて王軍に入ったんだよ。『バニーアティーエ』は氏としてまだ履歴書的に有効だったみたいで、簡単に採用されたってアイツは言ってた。……アイツ、アリーより弱かったんだから、落とされてくれてりゃ良かったのにな」
「ベフルーズ……」
ベフルーズは笑ってはいるが、それは冗談ではなく、本当の後悔だったのだろう。
グズ、という、鼻が詰まるような音が、確かに耳に届く。
「……わり」
「いいえ、ベフルーズ」
「……また、もっとフィルズのことお前に話しても、いいか?」
薄暗いリビングでは、常人なら彼の泣き顔は見えるまい。それでもベフルーズは、その腕で目を押さえていた。
「ええ。もちろんです、ベフルーズ」
「……ごめん、俺、もう寝るな。明日、王都の話はサラとも話そう」
「はい、おやすみなさいませ」
「うん、おやすみ」
ベフルーズが寝付くのを邪魔しないように、シャワールームからリビングに続く廊下に出てサラを出迎えることにした。
叔父を呼びにきた姪御には、叔父さんは明日シャワーを浴びると言ってもう寝てしまったと、勝手に朝風呂宣言をしておいたのだった。
ミャーノもお風呂はやめておきました。
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