5-11.使い魔の目録
日が高い内に、できれば昼食、最低限でも夕食の確保を済ませた方がいいだろうと、私は一度、狩りのために結界の外に出た。
今日はサラに魔物避けの施術同伴をお願いしてのハンティングである。
ウズラを捕らえることができた。
昨夜のキジよりも肉の体積は少ないため、これを遅めの昼食としてしまうと、肉の量が夕飯の分までは足りない。
一度ベフルーズに処理をお願いしに戻り、改めて獲物を求めたのだが、十二時辰で言うところの未の刻のころまでに追加の収穫はなかった。逃したわけではなく、鳥や獣を見かけることができなかったのだ。これは言い訳ではない。
「申し訳ございません」
「いいよ、それならそれでやりようもあるから」
「私はパンでも焼こうかな」
せめてと手伝いを申し出たが、サラには例の「使い魔の伝承」をまとめた書を読むのを勧められたので、大人しく従うことにした。
書のタイトルは、『魔術士の使い魔たち』。
目次には魔術士の名前ではなく、使い魔の名前が並んでいた。
普通は遣い手、主人の名前が有名になるものではないのだろうか?
そう思い、プロフィールのページを掻い摘んで開いてみると――理由の一端は悟ることができた。
ちらほら、主人が「不明」の使い魔がいるのだ。
使い魔も、目次を流し読みする限りは全員が「名前」ではない。「炎熱の執行人」「宵闇の猫」のような、通り名が名前代わりになっている者もいた。これ、その当時「お、お前は、“炎熱の執行人”!!」「フフ……さてな」みたいな会話があったのだろうか。私はやらないからな、絶対やらないからな!
そして、サラから聞いてはいたが「人間」ではない使い魔は多かった。
まず先程の「宵闇の猫」。彼は猫だった。キャットである。彼である。オスだ。
『召喚時の翻訳魔法により、彼は人語を操れた。』
私と同じ作用が猫にも働いたわけだ……。
私のいた世界では猫は「人間の五歳児位の知能」を持つと聞いた覚えがあるが、「宵闇の猫」氏の世界ではまた異なるものなのだろうか? 五歳だとしたら、次に続く情報が「高度な行動」すぎたので、“異なる”と思わざるを得ない。
『彼はその体躯を駆使し、潜入と籠絡を得意とした、一流の工作員であった。』
籠絡? と一瞬疑問に思いかけた。しかしなるほど、猫は可愛い。苦手とする人もいるが、好きな人は多い。私のいた世界では古来、古代エジプトの時点より連綿と、猫を崇拝する派閥が一大勢力であり続けているのだ。
工作員が工作員だとこうして書き残されてしまっている時点で「工作員」としてはダメなのかもしれないが、書にはこうもあった。
『籠絡された要人の内、破滅の途を辿りし者たちは、その局面に際して「宵闇の猫」にハメられたことに気がついたが――かといって、彼を害する気にはなれなかったという。』
……「宵闇の猫」氏の主人は、ちゃんと相手を選んでいたようだ。
主人が彼につけていたであろう名前が不明なままなのは、罠にかかった要人たちとやらがめいめいに名付けていたかもしれない、と私は考えた。
人外の使い魔は他にも「ティベリオ」という「大蛇」、「キシロナ」という「半鳥人」、「ファリーダ」という「鰐獅子」と、様々だ。
私の世界では幻獣扱いのものがちらほらいるが、もしかしてこちらの世界では実在する種なのだろうか。
何せ「この世界で生まれていたら」という術だ。「ファリーダ」さんの元の姿はただのワニだったとか、「キシロナ」さんの元の姿は歴としたホモサピエンスであったとか、有り得ないことではない。
だとしたら、私のケースにおける性別や人相の変化などは些細なものだったのかもしれない。
たとえば首から下が鳥になっていたら、私はちゃんと飛べていたのだろうか? ――いや、飛べた可能性は高いな。実際私はこの身体の武芸を活用できているのだろうから。
「キシロナ」は女性だった。中途半端なオカルト知識の記憶から考えてみたら、「半鳥人」というもの自体が「女性」であったはず。ここでセイレーンは種として著されているが、“ギリシャ神話のセイレーネス”は名前がそれぞれある姉妹だった気がする。
もちろん、この世界の常識ではどうかわからない。
『キシロナの歌は、どんな怪物も眠らせ、すべての男女を恋に落とした。』
すべての、とは大きく出たものだ。
『しかし、彼女の主人だけは彼女の誘惑には惑わされなかったという。彼女の主人の“愛子夫”への愛情は、使い魔の魔法ではびくともしなかったのだ。』
――愛子夫、ということは、キシロナさんの主人も女性だったか。
キシロナの主人の名前は「ハズナ」とあった。
ほとんどの使い魔は、晩年の様子については記載がない。
晩年という表現をしたが、そもそも使い魔は「生き物ではない」。寿命は「主人の命運」によるのだと――主人が死ねば、使い魔はその身を維持できないため消える――冒頭にあった総括に書いてあった。
しかし例外もある。先述した「ティベリオ」――大蛇の使い魔だ――彼には、“敵対した国の将軍に焼かれ、あわれ、敵軍の食糧となってしまった”などという悲惨な結末があった。(主人は無事だったが、その後同じ将軍に斃されてしまったとある。なんだか、お伽噺になったらティベリオ氏陣営が「悪役」にされていそうな顛末である。)
……そうか。サラは真っ二つになっても回復させてみせると言っていたが、相手に食べられてしまっては回復あるいは蘇生させることができないのかもしれない。
「生き物」でない、と言っているのに、捕食される側になり得るのだろうか?
まあ、消化される段になって分子が消滅したところで、捕食した側は消化したように勘違いするだけなのかもしれない。クマとかに食べられてしまわないよう、気をつけよう。
そんなティベリオ氏の主人のように、使い魔を失った時、次の使い魔は喚び出せるのか?
その疑問に対する答えも、総括に答えがあった。
それが本当にそうかはわからないが――
『一人の魔術士が、その生涯において召喚できる使い魔は「一体」のみである。』
言い伝えられている「成功例」は一冊の本で済んでしまうほどの数しかいないほど、難度の高い術であるにもかかわらず、「運命の相手」たる使い魔は、唯一だというのだ。
3/13付けで更新をすることができず、連日更新が途絶えてしまった…くやしい…。25時、今25時だから…。
かつ、盛り上がりに欠ける回ですみません。よろしくお願いいたします。