5-10.シビュラのアトリエ
「しかし、お二人とも今のところは、敵が申告した呪いをそのまま実現する術式のパターンは思いつかれていないのですよね」
「……もう少し未読の書をパラ見してみるよ」
「私は師匠のアトリエを少し覗いてこようかな。ミャーノも一緒に来る?」
「シビュラ様のアトリエに私が入っても怒られませんか?」
「この際へーきへーき」
リビングから台所を抜けて、物置を過ぎると「工房」があった。
パピルスのような紙に、煤や膠の固まった絵具皿が雑多に広げられていた。
「師匠はここで日がな一日研究したり執筆したりしていたのだわ。家事とかに関してはもっぱらアップルがお世話をしていたの」
「現在も、アップル様はシビュラ様とご一緒なのですよね…?」
「そう願いたいわ。…古来から貴人を監禁する場合は従来の付き人も一緒に、がマナーというものでしょう」
嗚呼。相手が貴人としてもてなしていたら、の話とはなってしまうが……。
「今のところ、唯一の使い魔としての先輩ですからね。きちんとご挨拶をしないと」
「そうね。アップル、びっくりするわ。私が使い魔の召喚に成功したことを早く教えてあげたい」
サラの口調から少し強張りがなくなった気がした。
「そういえば、召喚の魔術に関する書というのはないのでしょうか?」
「ん? あるわよ。といっても、昔の使い魔の伝記みたいなもので、術そのものの解説書ではないけれどね」
このアトリエにもあるのかな? ときょろきょろしていると「ここじゃなくてさっきのリビングの本棚にあるから、後で教えてあげるね」と、あやされてしまった。
アトリエのパピルス――パピルスではないかもしれないが、パピルスとする――そこに描きつけられた図案をじっと見つめる。文字ではなくて図形なのだということが、見ていても意味が浮かんでこないことでやっとわかった。
「これは紋様であって文字ではないのですね」
「あっすごいね、使い魔の翻訳能力ってちゃんとそういうのもわかるんだ」
「そういえば、ベフルーズから魔術の『詠唱』について聞いた時、『定型詠唱』『無詠唱』『独自詠唱』という詠唱の分類を聞いたのですが、サラが昨夜地面に魔方陣を描いて発動させた防衛魔術は『無詠唱』なのでしょうか?」
「あれは詠唱にはカテゴライズされないのだわ。そのまま『魔方陣』よ。叔父さんも誤解させておくなんて説明下手ねえ」
ベフルーズの講義が中断してしまったのは私が話の腰を折った上に、サラに闖入されたからなのだが、それに言及するのはやめておいた。
「ミャーノを召喚した魔術も『魔方陣』なのだわ」
「私が召喚された時、床に紋様などありましたか?」
「紋様は一度発動しきると視認できなくなるのよ。簡易防衛結界もそうだったでしょう?」
「ああ、そうでした。しばらく光っていましたが、その後消えてしまっておりましたね」
そのまま発動しているかどうかが傍目からわからないのは、敵を翻弄するという意図においては幸いするが、味方が掛けた術の有効性を確認するという意図においてはデメリットかもしれない。
それが魔術である場合は、仕掛けた本人には効果が持続しているかどうかわかるそうである。
私をここに存在せしめている召喚の魔術には魔法が組み込まれているせいで、遠くにいて感知できるかというと――わからなかったそうだ。
サラがそれに気づいたのは、街と邸とで離れ離れになる実験をした時だったという。試しておくものである。
「これらの魔方陣はすべてサラの知っているものなのでしょうか。それから、これは綴じられる前提のものなのか、一枚ずつ独立しているものなのか、わかりますか?」
散乱していたパピルスをかき集めて揃えて、机上の筆記具を少し避けて整然と並べてゆく。
魔方陣は、その表意文字の通り、四角い。
私たちの世界の数学で定義されている魔方陣とは意味が異なるが、私の脳にはこの文字で伝わってきている。確かに「魔の方陣」なわけだけれど。
「うーん…」
サラは唸りながら、黙々とパピルスを入れ替えていく。ルービックキューブのようだ。あれも方陣といえば方陣であった。
「たぶん、出来たのだわ。――おかしいわね、これの一連が途中一枚足りていない」
サラは最後尾のシリーズをつぅっと指で流すように指した。
もう一度床などを見渡すが、もう残っているパピルスはない。
「サラ、それはどういった術式なのでしょう?」
「羊毛用のヒツジの毛並みが良くなる術……なのかしら?」
キャラ名覚書の部を除いてこの回で50回目となりました。
全部読んでくださっている方ありがとうございます。
今後も引き続きなにとぞよろしくお願いいたします!
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