5-8.シビュラのまじない
サラがシナモンクッキーを焼き上げたので、もう一度紅茶を淹れた。
ベフルーズもサラも本当に料理上手だ。この二人の家に召喚されてつくづく良かったと思う。
――意地汚いと思わないでほしい。しかし私も、そりゃあ、日本人だったから、食をどうでもいいなんて思っていなかったわけだが――料理や食べることに関して、ここまでこだわっていただろうか?
「なるほどねえ、過去視か……」
サラが台所に立っている間にベフルーズと出した仮説について、サラに共有した。
「私や叔父さんは他者からの魔術干渉に対して無意識でも抵抗しているから、私たち全員に対して発信されていても、受けられたのがミャーノだけということもあるかもしれないのだわ」
それだと一人だけ風邪をひいた、みたいな状態か。
「私か叔父さんがミャーノと同じ夢を見させられたら、それはミャーノに由来する夢ではないと判断できるのだけれど……魔術士の私たちでは、試すのは難しいかも」
「そうだな、この抵抗とか耐性っていうのは解けって言われて解けるものでもなし」
すっかり二人を、ぽっと出の私の問題に悩ませてしまっている。
この状況はまったく本意ではない。
「当初の目的……シビュラ様がサラにかけたと思われる『トロユには立ち入れない呪い』について調べてみましょう」
「ミャーノ…」
「…そうだな、そうするか」
シナモンクッキーはもちろんまだ残してあるが、紅茶はそれぞれ飲み切っている。
立ち上がった私は、傍にあった本棚に目を遣った。
「サラたちはシビュラ様の遣われる魔術には詳しいのですか?」
「どういう意味だ? 俺たちが教えられた魔術は元々お師匠様が使役しているものだけど」
「シビュラ様がサラにそういう制約をかけようとした場合、どのような魔術の組み合わせでそれが実現するのか、推測できないかと」
「ああ、そういう……」
ベフルーズは本棚の前に立ち、唸っている。
「防御結界の類というのは、侵入を防ぐわけではないのですよね。対象者以外が立ち入ったら警報を鳴らすだけの術、特定のカテゴリの者に忌避させる術。と、今のところ、私は理解していますが」
前者はこの家のような結界、後者は魔物避けや獣避けの術だ。
「ええ、それで合っているわ。そして結界だけでは不十分なので、罠や迎撃の術を併せて仕掛けておく必要があるわけなのよね」
「防御結界の術と何かを組み合わせて――ってのはちょっと考えにくいかな。“トロユに入れない”だと範囲が広すぎる。そんなものどんな大魔女にも不可能だろう」
「そうね…国境に沿ってレイ・ラインを引きでもできない限りは、あの術の理論では範囲の指定ができないのだわ」
レイ・ライン。昨夜サラが敷いていたクリーム色の魔方陣だろうか。
「そんな広大な指定ができたと仮定して、どこから魔力を引っ張ってくるかって問題もある」
「家の結界を常に維持しているのもサラ達の魔力なのですか? でも、このシビュラ様のお宅は――シビュラ様が不在となってからもう一週間は経つのでしょう?」
「昨日私が遣った防衛結界の魔術が消費するのは、私の魔力だけれど。家の結界はそうではないわ。ここも、ウチも、『竜の巣の卵石』を中心に置いているの」
「竜の…?ここにはドラゴンもいるのですか」
「竜とドラゴンは全然違うわ、ミャーノ。竜は精霊で、ドラゴンは魔物よ」
あっ、そうか。自分が普段外来語を混ぜて使っているせいで混同してしまったようだ。
神龍とハ虫類モチーフの怪獣の姿を脳内で比較して、神龍の方にまず胸の内で謝罪した。
「失礼しました。確かに私の世界でも同じ認識です。――その、竜の巣の卵石が…魔力源となるということですね?」
「わりかし貴重なものでな。お師匠様の家もウチも、おいそれと動かせないような場所に隠してあってさ。見せられなくてごめんな」
「いいえ、いいえ。お邸の範囲にかけた術式を維持するためのそれはどれくらいの大きさなのでしょうか?」
「こんなものよ」
サラが胸の前で直径二、三十センチほどの球を模してパントマイムをしてみせる。
「国一つどころか、たとえばシーリンの街を囲う卵石を用意するのも不可能だな。まず絶対数がそんなにこの世にない」
「なるほど……」
本棚に手を伸ばす。
「ここには魔術に関する本もあるようですね」
ざっと見渡すと、「魔術」「魔法」「古代」「図鑑」といった意を文字から読み取ることができた。
「手にとって見ても?」
「見てはいけない本ならここに置いておかないと思うから、大丈夫よ」
では、と『コロールの魔術大系』という背表紙の本を手に取る。中は木版摺りによる印刷のようだ。『王女カトレヤと鈴蘭の騎士』もそうだった。いずれもある程度の数印刷されている本ということだろうか。
「…ミャーノ、読める? っていうか、わかる?」
「そうですねえ……」
これは「コロール」という作者がまとめた、魔術の種類の索引のようだ。具体的に「こうしたらこの魔術が成立します」ということを解説しているわけではない。
しかし、解説されても基礎の基礎も学んでいない――ベフルーズによれば使い魔はそもそも魔術を扱えない――私には、今は不要だろうから、それはいい。
「こちらの大系の書は、サラたちの認識とズレはない内容なのですか?」
「ざっくりなら似たりよったりなのだわ。もちろん流派はあるから、多少の小分類は議論の余地があるけれど」
「承知しました。少し眺めさせてください」
一文字一文字読むわけではなく、私の翻訳能力は文面の大意を読み取る性質のものだ。速読には及ばないが、そう時間は要しないだろう。
サラとベフルーズもそれぞれ本を何冊かとってテーブルに戻ってきた。
二人ともこの蔵書を全て読んだことがあるわけではないとのことだったから、未読の本を持ち出してきたのだろう。
それらのタイトルは『マギたちの誓書』『悪教皇の奥義』『幻視の書』『今夜のおかずベスト100』。……ベフルーズ、最後のは目的から外れてはいませんかね。
魔術書には一応元ネタがあります。