5-6.シビュラの結界
次に目覚めた時、まぶたを開けるとベフルーズの逆さまの顔――めちゃくちゃ凄んでいる――が目の前にあったので――寝てるフリを続けた。
「今起きたろうがお前!」
「ベフルーズ、怖いのですが」
「お前、自分の胸の上見てもわからんか?」
「はい?」
ベフルーズがその怖い顔を退けたので、上体を起こそうと――あ。
「ああ……なるほど」
そうだった。昨夜夜半から、サラは私に抱きついて寝ていたのだった。
「んあ…おあよ…」
「おはようございます、サラ。起きましょう」
「はーい…」
むにゃむにゃと寝ぼけて、わたしの胸に額を擦りつけたかと思うとそのまま動きが止まってしまう。
「起きなさい、サラちゃん!」
横からベフルーズがサラの肩を揺さぶって起こそうとする。
肩と連動してサラのふくよかな胸が私の腹筋にぷにぷにしてきてちょっと心地いいから止さないかベフルーズ。
「んわ、ごめんミャーノ。重かったよね」
ようやく覚醒したサラが、やっと身を起こした。
「いいえ、それは全く問題ありません。サラの方は寝苦しくはありませんでしたか?」
「ううん、全然!寝心地最高だったのだわ」
「サラちゃん、そういう問題じゃないんだよね。ダメでしょ男の毛布に潜り込んだら」
「だって叔父さん、ミャーノの身体、叔父さんが展開するエアーマットよりふかふかで気持ちいいのよ」
サラが無遠慮に、心臓マッサージのごとく胸筋と腹筋をプッシュする。
おう、痛くないけどやめて。
「はあ?」
「いやベフルーズ、何触ろうとしてるんですか」
ベフルーズが手を伸ばしてきたので思わず拒否してしまった。
「違う!だー、もうサラちゃん、そういうことしない!」
サラの手をどかしてくれようとしただけのようだ。ごめん。
昨日のキジ肉の残りで軽い朝食を済ませ、テントは再び、ベフルーズの収納魔術で折りたたまれた。
シビュラの家はここから徒歩一時間半ほどらしい。
「…今なにかバチッと」
静電気のようなものが足元でパチリとした気がする。
「え、ちょっと待って」
サラが慌てて私を押し戻した。どうしたのだろう。
「それたぶん、師匠の防御魔術の警報に引っかかっているのだわ。私の使い魔なら私に準ずるかと思ったのだけれど、そうでもなかった…?でも、ウチの結界は問題なかったのに」
「サラちゃん、推測だけど、ミャーノは最初“発生”した時にウチの結界内にいたからじゃないのか」
「あ、そうか。その家で生まれた者への祝福と同じ扱いなのね」
よくわからないけど、親が日本国籍しか持ってなくても、アメリカで生まれたらアメリカ国籍がもらえるみたいな話でいいんだろうか。
「ミャーノ、悪いけど俺の血を呑みこめ」
「えっ?」
言うや否や、ベフルーズはナイフを取り出すと左前腕の内側を浅く裂いた。
すぐに赤い血がぷつぷつと滲み出てくる。
「叔父さん、そんなの私がやるべきだわ」
「もう切っちまった」
「も、もう…」
「えっ、あの、この血を? 直接?」
「男の血なんざ嫌なのはわかるが、俺の血が混じってればお前もお師匠様の結界に問題なく入れる」
ほら、と目の前に差し出される。
抵抗はもちろんあったが、理解はできたので、このままためらっているとベフルーズが無駄に失血するだけだということが己を焦らせた。
幸いというかなんというか、ベフルーズは腕の内側は毛の一本も生えていない。綺麗なものだ。
「――わかりました」
支えるように腕をとる。
浅い切り傷とはいえ、その痛々しい一条。その赤い一条から肌を伝って、垂れ流れ落ちかけていた血をそっと舐めとった。
ベフルーズの腕が硬直したのがわかる。痛かったか、申し訳ない。
「うひゃ……、が、がんばって、ミャーノ…!1㏄か2㏄も呑みこめば理論上は大丈夫なはずだから!」
それはけっこうな量な気がする。傷口を口に含んだ。
(すみません、ベフルーズ)
口をきけないので、横目だけでそう詫びて、そのまま吸ってみた。
(血ってこんな味だったっけ…しょっぱい…そうだこれ、生理食塩水の味だ…)
「も、もういいかなぁサラちゃん……!」
「もうちょっと…もうちょっとなのだわ……」
ふと気がつくと、サラがガン見しており、ベフルーズは涙目になっていた。
ベフルーズの腕の傷はサラの持っていた膏薬で血止めをし、傷に被せたガーゼを包帯で固定した。
「あー…なんか疲れた」
「ありがとうございました、ベフルーズ」
「さあ、ミャーノ、もう一回結界内に入ってみて頂戴」
「はい」
さきほどパチリとしたところへもう一度踏み入ってみた。今度はそのようなことはない。
「大丈夫…みたいですね。ちなみに、あのまま他所者として入っていった場合は…?」
「お師匠様がどんなえげつない罠を仕掛けてるか、俺は考えたくない」
「…心得ました」
「師匠が帰ってきたら、ミャーノも認証してもらわないといけないのだわ」
「ぜひお願いしたいですね」
ベフルーズもそう何度も男に血を吸われちゃたまらんだろうからな。
茂みを抜けると、急に視界が開けた。
「ようこそ、ミャーノ!ここが、偉大なる魔女シビュラの家よ」
「これは……」
強い既視感に眩暈を覚える。
そう、夢の中で――
見た夢を忘れたと思っていたが、この家の輪郭と、たき火を共に囲んでいた魔女、ミナ。
その姿と名を、一瞬のうちに思い出したのだった。
ベフルーズも(ミャーノも)体毛は薄い方というどうでもいい情報でした。
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