5-3.メシキの森
目覚める。窓の外はまだ夜明け前だったが、寝巻から服に着替えることにした。
そういえば、街中でもこの邸でも時計を見かけていない。
ロス君と待ち合わせをした時はサラに行動を任せていたので、時刻をどうやって知るのか実はまだわかっていなかった。まあ、今のところ困っていないので、のんびり知っていこう。
隣のベフルーズの部屋の扉が開く気配を感じ取ったので、自分も廊下に出ることにした。
そっと開けると、思った通りベフルーズのまだ眠そうな顔がそこにあった。
「おはよう。早起きだな」
「おはようございます。何か準備でお手伝いできることはございますか」
「いや、水筒は水だしな。弁当も作るわけでもなし」
遠足ならお茶を入れるところだが、山や森のトレッキングなら確かに水が適切だ。怪我をした時や目にゴミが入った時などの洗浄にも使えるからである。
ベフルーズはサラの部屋の扉をノックし、モーニングコールをする。
数秒して、扉の向こうから、微かに「起きるぅ~…」という寝ぼけた声が届いてきた。
「先に洗面所使っとけ」
「では、お言葉に甘えて」
まだ起きてこなさそうだもんね。
部屋からタオルを持ち出して、勧められた通り洗面所へ向かった。
サラが支度して一階に下りてくるころを見計らって、ベフルーズは玄関で術式を展開し始めた。
昨夜サラが言っていた「収納魔術」というやつだろう。
まず行われたのが布団圧縮袋のように毛布から空気を抜くことだった。
そして次に、テント用の分厚い布と太い棒をパキパキと折りたたむ。
「ええっ」
魔術というのは分かっているが、思わず目を疑う。「小さくする」のが「小さく分解して固めてキューブの状態にする」ことだとは思っていなかったからだ。
てっきり亜空間的な収納スペースが異次元にあるのかと思っていた。
半畳のスペースに嵩が脛くらいまであったボリュームの毛布とテントが、あっという間に国語辞典や英和辞典くらいの大きさになる。
「うわぁ、便利ですねえ。いいなあ、この魔法」
「これは魔術な、魔術」
そうでした。
「元に戻したい時は術式かけた本人でないと戻せないから、ほんとに便利な程度だけどな」
「私、これ苦手なのよねえ」
「元に戻せないもんなぁ、サラちゃん…」
どういうことか確認したら、「圧縮した手順」「戻す手順」をきっちり同じにしないとダメらしい。
「ああ、なるほど」
と、サラが不得手なことを納得してしまったところ、サラからはたいそう不興を買ってしまった。
ご、ごめん。だってベフルーズとサラを比べたら、サラのほうが大らかそうじゃないのさ。
東へ歩を進める。途中から街道を外れていたが、二人に従っていれば大丈夫なことはわかっているので、不安は全くなかった。道はやがて木立、そして森となる。
道々、サラやベフルーズが「これは血止め」「あれは止瀉」など、薬草の植生について教えてくれた。
その中には、無学な私でもさすがに知っているヨモギもあった。りんごやびわのことを考えたら、植物は割と地球と変わらないのかもしれない。
「へえ、ヨモギは風邪薬なんですか。私のところでは薬以外に、てんぷらやお餅にしておりました」
「テンプラ? ってなんだ? 餅はわかるけど、“餅にする”? 米から作ったのしか知らないぞ」
「おや、もしかしてこちらでは馴染みありませんか」
「ねえねえ、ミャーノはそれ作れるの?」
「てんぷらは小麦粉と卵で揚げるだけですから、まあ」
「ああ、テンプラってフリッターか」
「あ、そんな感じです。しかしヨモギ餅の方は……上新粉、もしくは白玉粉はありますかね?」
ヨモギ餅を作ったことはあるが、餡子や黄粉がないといまいち魅力がお伝えできない。そもそも「上新粉になったうるち米」等がないと私では作れない。
「白玉粉なら売ってるな。俺はあんまり使わないけど」
よかった。「白玉粉」で通じるんだ。
「それは何より。では今度台所をお借りしてやってみましょう」
「やったー」
「森には魔物というのはいるのですか?」
「いるけど、今はサラが魔術遣ってるから」
「獣避けのほうは、叔父さんがしてくれているのだわ」
「そうだったのですね…ありがとうございます」
「まあ、たまに無視して襲ってくるような鈍感なのもいるから気をつけないといけないんだけどな」
「魔術を遣われていても、私は全く何も感じないのですが、魔物や獣たちは違うのでしょうか」
「ミャーノは虫除けの香とかわかるかしら?」
「除虫の薬ではなく、香りの方ですか? 薄荷などを使っていましたね」
「そういう感じよ。魔物や獣が何となく忌避する感じを発動してるの」
「ここでいう『獣』っていうのにはヒトを含むんだが、俺たち人間は鈍いから『人避け』としては役に立たないのさ」
「獣人系の種族は嫌な感じがわかるのだそうよ」
「ほう…」
翻って考えれば、獣人と行動を共にしている時は使用できない魔術ともいえた。
そんなことを学びながら、森の奥へ、深く深く分け入っていく。木々の背が高くなっているような気がする。
太陽が見えない上、体感時間も曖昧だったが、ベフルーズが「昼食をとろう」と言ってくれたので休憩と相成った。そうか、もうお昼か。
「ミャーノ、お前釣りは?」
「やったことはありますが…こちらのやり方は全く知りませんよ?」
「よし、付き合え。あっちに川があるから」
そう言いながら、ベフルーズは自分のザックの中から縮ませた釣り竿とテグス、そして針を取り出す。
「あ、ミャーノこれ使って」
サラからは虫取り網の網部分だけのような袋を渡された。魚篭かな。
「いってらっしゃーい」
「がんばります」
確かに清流がすぐ近くにあった。
岩場がごつごつしていて、森というよりは、山の上流かのような様相を呈している。
「平地だと思っていたのですが、意外と傾斜があったのですね」
「森の中に小さな山があるって感じだな」
てきぱきと釣り竿を二本組み立てると、一つを私に貸してくれた。
ベフルーズは水中に靴のまま入って、頭くらいの大きさの岩を動かして何やら摘まんでいる。
(あっ、餌は川虫なのか…!)
どうしよう、触りたくない……。
レジャーとしての釣りの経験はあってももっぱら疑似餌派で、そもそもナマの虫を摘まんで刺すという芸当ができそうにない。
「……あの、ベフルーズ…」
「どうした?」
正直に言ってしまおう。
「ええと、すみません。私、生き餌を取り付けるのが苦手で…というか、虫が」
「あ、そうなのか。悪い、俺は逆にルアーがうまく使えないから持ってないんだ」
情けない、とか一言も言わずに申し訳なさそうにしてくれたベフルーズに、余計に居た堪れなくなってしまった。
「餌は俺がつけるから、それで勘弁してくれ。ちょっとそこで待ってろ」
「はい、申し訳ありません」
優しいなあ。それに比べて私ときたら、食べるための釣りすら満足にできないのかと思うと。嘆かわしい。
そしてベフルーズにわざわざ餌をつけてもらったのに、一匹も釣れなかった。
ベフルーズがアユを三尾釣りあげたので、引き上げる。
サラの元までの帰路、魚籠を運びながら落ち込んでいると、ベフルーズは逆にとても嬉しそうにしながら、背中を叩いて慰めてはくれた。
「そんな笑顔で慰められましても」
「悪い悪い。いいじゃないか、剣の腕は絶対お前の方が立つんだから」
私のボウズっぷりは、男としての対抗心に満足感を与えてあげられたということだろうか。ならば良かったと思おう。
都子として釣りの才能がないのは間違いないのだが、この身体も下手だったのかもしれない。
そう思うと、少し親近感がわいたのだった。
なにげにベフルーズの釣果すごいですね。
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