1-4.主従、街に着く
「なんとなく勘付いてはいましたが、サラ。私はあなたに言わなくてはいけないことがいくつかあります」
「い、いくつもあるの?許可するわ、どうぞ」
「では。まず――私はあなたに会うまで、怪異も魔法もないところにいました」
実はあったのかもしれないが、私自身は妖怪にも幽霊にも魔法使いにも遭ったことはない。
オカルト話自体は大好きで、幼稚園のころから和洋問わずその手の本をしこたま漁ったが、ついぞ出会うことはなく大人になって久しい。
「であるので、そういったものと対峙した経験もありません」
「まあ異世界にはそういう存在がいないこともあるって話は聞くわね。でも概念はあるんだ?ホントはあったんじゃない?」
「かもしれませんが――どちらかというとあなたの目的が私の能力であるなら、問題は次です」
「うん?」
「私は戦争や戦闘を体験したことがありません。軍などにいた経験もないし、訓練もされていません」
自分の職業を思い出す。何の特殊な特技も必要がない、商業Webサイトのダウンロード素材の更新と運用管理。
デザインはデザイナー任せだし、更新素材は営業がとってくる。データベースに登録するSQLも、素材をアップロードするコマンドも、プログラマーがそういうツールを作ってくれていたから、手順通りにボタンを押すだけ。
常々、異世界に召喚された時に定番の「現代日本知識で無双」というのが私にはできないとは思っていたのだ。
物理も化学も苦手で科学チートはできない。
工作や調理に秀でているわけでもないから産業チートもだめ。
パソコンを使っていてもパソコンは作れないし、ネットを利用していてもネットを構築することはできない。
頭の中で箇条書きにしてバツをつけていくにつれ、私は自身に失望をし始めた。
ああ、こんなに人生をやり直したいと思ったのは初めてかもしれない――
「ええっ?こんなに鍛えられてそうな身体をしているのに?冗談でしょう!」
「私の記憶が確かなら、私の身体ではないのです、これは」
「は?」
これは告げて大丈夫なことのなのだろうか。失敗だったなら要らないとばかりに始末されてはしまわないだろうか。
夢の中でも殺されたら心臓発作で本当に死ぬことがあるとも言うし、そういうホラーな夢ではないことを願うが――現実だったら、なおのこと。
「どういうこと?誰の身体なの?」
「あ――誰の、までかはちょっとわからないのですが…。――私はその、そもそも女でした。」
「は???ちょっと、私が子供だと思って馬鹿にしてるの?私見たわよ、ちゃんと男だったじゃない」
「だから、私も何が何だかわからないんです!」
凄んできたサラに、思わず泣きそうになりながら言い返す。
「私は元々母語の読み書きができる程度のしがない庶民で、戦闘力は5にも届きません。ええ、なんだか強そうな身体をしていますとも。でもこんなに筋肉がつくような努力もした覚えは皆目ありません!」
「戦闘力5ってなに?」
「弱いってことです!」
思案してほしいところはそこではありません、サラ。
泣きそうにはなったが、涙は出ない。自分の身体ではないにせよ歩行などの運動には支障はないようだが、表情筋とかは動かせているのだろうか。鏡が、鏡が欲しい。
歩みは止めずに口を閉じる。サラのほうにわずかに捻っていた上半身を正面に戻すと、首筋がちりりとした。
「ねぇミャーノ…」
「サラ!」
「ひゃう…っ!?」
おずおずと何かを言いかけたサラをとっさに抱え上げ、地を蹴って道の外の草むらに跳び退る。
同時に、寸前までいた場所は轟音を立てて、石畳だったものは石つぶてとなり、四方八方に飛び散った。
私が半身をサラの前に出していたのでサラには当たっていないが、私には当たる。痛いが、大したことはない。
「ミャーノ…!こんなのしかないけど、これ」
「ありがとうございます、サラ」
サラは腰にさげていた短剣を抜いて手渡してきた。私は何の躊躇いもなく柄を握る。
短剣は包丁やナイフの形ではなく、まっすぐで左右対称の、刺突に適した形状をしている。
刃物なんて、鋸と包丁のような生活用品にしか縁がなかったのに、どう構えるのがよいのか、わかる。手首が翻る。
「私離れてた方がいい?」
「いえ、このまま。」
敵の状態も目的もわからない今は、彼女を置いて飛びかからぬ方が良い。
右手に短剣を構え、左半身に彼女を包む。
抱え込めるくらいの体格差があり、短剣を強く握り、身体の前に掲げていても腕はちっとも疲れない。
この身体は良い。
土埃はやがておさまったが、直径1メートルほど破壊された石畳しか現れず、
――「何が」石畳を破壊したのかはわからなかった。
首筋に感じた不快感も消える。
「何となくですが、もう安全と感じます」
口をついて出る自分の声――未だに慣れないが――に、そもそも何故危険を感じたのかを疑問には思う。
「ありがとう、ミャーノ。びっくりした…」
「隕石…とかではないですよね」
「そういう魔法は使われた可能性があるわね…。ごめん、街まで20分くらいだし、まさかもう襲撃されるとは思ってなかったの」
サラは抱き込まれたまましょんぼりとしている。
「私も驚きました。やはりこれは私の身体ではありません」
サラをかばったときの跳躍と、短剣を受け取ったときの感覚を思い返す。
「いいえミャーノ、これはきっとあなたの身体で間違いないのよ」
彼女はそう否定すると、私の胸筋を軽く撫でた。私はゆっくりと身体を開き、膝の上から彼女を下ろす。
「『再構成』と言ったでしょう。この身体と能力は、こちらの世界でのあなたの可能性のはずだもの」
彼女に短剣を返し、街道に戻る。
道の向こうに街は見えるが、そういえばさっきから他の人の姿は見かけない。
「種族や性別、顔かたちまでが変わってしまう例はあまり聞いたことはないから特殊ではあるんでしょうけど」
顔はまだわからないが、元の顔がこの肉体にのっていると物凄くシュールな絵面になる予感はする。
「でもね、あなたの魂と肉体が別人のものだったら、さっき私は無事じゃなかったわ。だって、私が使い魔として契約したのはあなたの魂だもの。魂と肉体のどちらもミャーノだから、ちゃんと私を助けてくれたの」
「…よく、わからないのですが、サラ」
「ううん、そうね。戦った経験も訓練したこともないと言っていたわよね。でもね、あなたのこの身体は“この世界にミャーノが生まれていた場合の身体”なの。」
「ここに別の私がいるかもしれないということですか?」
「それは違うそうよ。“この世界にいない魂の召喚”だもの。逆に『間違いなくあなたはここにしかいない』と言える」
「なるほど…?」
「ねぇミャーノ」
「はい」
「あなたにとっては馴染みがないのかもしれないけど、私はあなたの顔も、私を守ってくれる腕も、すっごく好みなのだわ!」
「はぁ、それはどうも、恐縮です」
「何を苦笑いをしているのかしら。そこは『あなたこそ可愛いですよ』とか主人を褒めなさいよね」
じろりと睨み、唇を尖らせている。
「ああ――すみません。サラ、そんな風に怒った顔も可愛らしいですが、先ほどの笑顔はとても華やかで美しかった」
すごいぞ、口から自然に歯の浮くようなセリフが飛び出す。
サラが満足そうだからいいかとは思うが、内心は恥ずかしい。
「…ちょっと。そういうこと言えるのかーよしよしと思った直後になんて顔してんのよ」
「え?」
「照れるくらいなら普通に褒めればいいのに。顔まっか」
己の頬に手をあてると、確かに熱い。額には汗もかいていた。
「その…すみません。可愛いのは本当です」
本当に。
「あなた、この世界に最初から生まれてたら浮名流してそうね」
「生まれてなかったのでお許しください…」
「ええ、許すわ!私は優しくて可愛いあなたのマスターだからね!」
あそこから街に入ることができる、と彼女が指差した先に、槍をもった衛兵が立っている門があった。やっと三人目の人間に会ったわけだ。
衛兵は鎧も軍服も着ていなかったが、ベフルーズや今の私のような服装の上に革のベストを着けていた。
「こんにちは!ミャーノ、シャヒンさんよ。自警団の班長さん」
「こんにちは、サラちゃん。そちらの男前は…」
「ミャーノ。私のはとこなの。ウチで暮らすことになったから街を案内しようと思って」
「おお、よろしくな。同棲かあ。ゆくゆくは結婚でもするのかい?ロス坊が泣いちまうなあ」
「どうしてロスが泣くのよ。あと、叔父さんが一緒に住んでるし同棲じゃないわ。ミャーノは婚約者でもないわよ」
「よろしく、シャヒン殿」
「シャヒンでいいぜ、ミャーノ」
握手でもするものなのだろうかと思ったが、槍を持っているせいかそのような挙動はなかった。
「ちょっとシャヒンさん、聞いてる!?」
「聞いてる、聞いてる。マーフの今日の定食は羊肉だとよ」
「行こう、ミャーノ!」
羊肉、と聞くや否や、サラは私のベルトをぐいと引き――引きずる勢いで門の中へ突入していく。転ぶ、転びます、サラ!
「また今度一杯やろうな」
体よくサラを追い払ったと思われるシャヒンは、しかしにこやかに私に手を振って見送ってくれた。
私も思わず顔をほころばせ、手を振り返すのだった。
次回くらいにやっと自分の顔が見られるといいですね
2018/3/2:横書きWeb小説だしと思い文頭空白つけてなかったのですが、つけました。