4-8.使い魔と伽話
「魔術学なら私だって教えられたのだわ」
「だってサラちゃん先に『おやすみ』って部屋に帰ったしさ」
「ミャーノのことは待っていたのだわ!」
「えっ、それはすみませんでした」
「待ってたって、どこでさ」
「? ミャーノの部屋に決まっているのだわ…?」
「ちょっと待とうか、サラちゃん」
「ベフルーズ、苦しいのです」
襟を掴まれて引っ張られる。いや苦しくはないんだけど、せっかく買ってもらった大事なシャツが伸びてしまう。
「なんでお前の部屋にサラちゃんがいたのかね」
「ベフルーズ、私も初耳です」
「もう、叔父さん! 何でミャーノを怒るの! 使い魔の部屋に主人がいて何がいけないというのかしら!」
ここはサラの味方をしておこう。
「ベフルーズが心配されていることはわかりますが、…さすがに私でも、サラに何かしたら取り返しがつかないのはわかっております」
別にサラにそういうことをしたい気持ちはない、などと言っても、ベフルーズは信用しないだろうとはわかっている。なので、そこを否定はしないでおいた。
「まあ……そうだろうけど」
襟が解放される。よかった、さすがにその信用は既にあるのか。
「気が済んだ? では、もう寝るのだわ!」
パン、とサラが手を叩く。
「叔父さん、明日も仕事でしょう」
「そうでした。すみません、ベフルーズ。色々質問して」
「いや、解説始めたのは俺だから、そこは気にすんな」
暖炉の火を落として、三人それぞれの部屋に戻る。
ランタンに火を分けようかとサラから申し出があったが、もう寝るだけだから不要だと断った。
――自身の夜目がやけにきくことに、私はさすがに気が付いている。
最初は月明かりのおかげだと思っていたが、幕を下ろして真っ暗にしたにもかかわらず、部屋の中はしっかり視認できるのだ。それは「目が慣れる」というレベルではなかった。
サラ達がランタンを使っているのは、それが必要だから。
つまり、この世界の人間の夜目はそんなにきかないということであって、私のこの視界は人間のそれではないということで。
自分がここでは人間ではないことは承知しているつもりだが、そういう人間離れした側面を新たに知られるのが何となく寂しくて、サラには言えないでいた。
この世界の様子や、自分の力量が何となくわかってきて、少し落ち着いたのか、ぼんやりと思考を巡らせることができた。
召喚される「直前」の記憶がはっきりしない。
これはどうしてなんだろう。
地球の歴史とか、自分の仕事の内容だとか、学生時代に学んだこととか、そういう事柄はちゃんと思い出せるのに。
召喚前夜の報道番組のニュース、食べた料理、進行中の仕事、友人と会う約束があったか否か――そういった事柄が何も思い出せないのだ。
まあ、仕事はいい。インフルエンザで休んでいたとしても、私の穴の抜け方はそう変わらないし。
約束をしていた友人がいたら、怒らせていないだろうか。心配させてはいないだろうか。
実家の母は、どうしていただろうか。どうしているだろうか。
弟は――お互い家を出てから、一年に一度Eメールを交わすくらいしかしていなかったから、いいか。
台所の生ゴミは?冷蔵庫の食材のストック状況は?
家にいた時に召喚されたとしたら、火の元や、エアコンのON/OFFは?
家賃引き落とし用の口座の残高は大丈夫だったっけ?
――そもそも、「都子の身体」は、どこへ消えた?
召喚の術を、サラに教えたのはシビュラだ。
シビュラの家に、何か手掛かりになるものがあるといい。
そういう下心は、何となくサラに見せたくなくて、夕飯の時には結局、それは言えなかった。
「……眠れない」
寝る前にあれこれ考えてはいけない、というのは承知してはいたのだが、無理な相談というものだろう。
足音を忍ばせて、徐ろに起き上がる。机に立ててあった本の中から、一冊を手に取った。この部屋の前の主、フィルズのものだろうか。
「『王女カトレヤと鈴蘭の騎士』」
表題をなんとなく口にする。物語かな。
せっかく夜目がきくのだ。御伽草子として読ませていただこう。
『むかしむかし、キーリスに、蘭の花のように可憐なお姫様がおりました。』
おや、この国の伝承だろうか。
『お姫様の美しさに、他の国の王子たちは、姫をお妃にしようと、躍起になっていました。』
『お姫様が他の国に嫁げば、その国との間には戦争は起こりません。』
『しかし王様は、お姫様を他の国へ嫁がせたくはありませんでした。』
そういえば、キーリスには王軍がある――たしかロス君が言っていた――のだから、王政なんだろうか?
王家がいても、行政府は別にある政治体制はあるから、一概には言えないよな。
「嫁いできた王女が美しかったから嬉しい、ならわかるが、政略を踏まえないといけない者たちが、美しいからといって争奪するだろうか。おそらく、キーリス国が強かったということなのだろうな」
思わず独り言を口にする。
己の口から男声が漏れるのは、まだ慣れない。
サラたちと会話をしている際はあまり気にならないのだが、こうして一人で己に対してのみ発声してみると――やはり違和感は残る。一人しかいないのに、他人と話しているようだ。
『王様は考えました。「そうだ、周りの国を、全てこの国にしてしまおう」』
ひぇっ……。
『王様はお触れを出しました。「キーリスの騎士たちよ。武勲を最も立てた者に、我が姫の夫となる栄誉を与える」』
自分の配下から婿をとるなら、アリなのか。
でも変な言い方だな。次の王にしてやろう、とかではなく、単に「姫の夫」か。
あ、キーリスには他に王子がいたのなら変ではないな。
『将軍たちは、老いも若きも、沸きました。』
老いた将軍は自重してほしい。
『キーリスには、鈴蘭と呼ばれた騎士がいました。』
表題の名前が出てきた。
『鈴蘭が遠征した国は、トロユでした。トロユには、大きな大きな、メシキの森がありました。』
『メシキの森には、魔女がいました。』
え?
『偉大なる魔女ミネルウァは、』
――シビュラではなかった。
そうか、この物語の時代の地図では、メシキの森はトロユの領地だったのか…。
『偉大なる魔女ミネルウァは、トロユの王子から、キーリスを倒すよう命じられていました。』
『しかし、ミネルウァは悩みました。ミネルウァは、トロユの王子を愛していたのです。』
『キーリスを倒してしまうと、トロユの王子は、蘭の花の姫をお妃にしてしまいます。』
昼ドラかい。
私は元々恋愛本位で物を考えられない人間なので、どうにもこの手の動機に感情移入できない。
『鈴蘭は、ミネルウァの葛藤を知ると、ミネルウァを説得しました。』
『鈴蘭は言いました。「トロユを征服しても、トロユの王子は殺しません」』
『ミネルウァは疑いました。「そなたにそんな力はあるまい」』
『鈴蘭は答えました。「あなたが私に協力してくれたなら、私の常勝は約束される」』
ええ…待って、こういう物語で騎士が主人公の場合に、こういう狡猾系騎士は許されるのかい。
『ミネルウァは鈴蘭を信じられません。「いいや、そなたは姫さえ娶れば満足してしまい、きっと私を裏切るだろう」』
『鈴蘭は告げました。「その心配は要りません。私は女ですから」』
『鈴蘭が兜をとると、その鎧には似つかわしくない、野に咲く花のような少女の顔が現れました。』
ええーっ、こういう物語で叙述系トリックみたいな展開やめてくれないかな!? 余計なところでびっくりする!
『鈴蘭は続けました。「そして、我が姫はけっして蹂躙を望んではおりません」』
『ミネルウァは頷きました。「わかった。ならばそなたと共にゆこう」』
わかっちゃうんだ……。
『偉大なる魔女ミネルウァは、鈴蘭に投降し、彼女の配下となりました。』
『そして、メシキの森を越えて、鈴蘭は、トロユに攻め入りました。』
まだ途中ではあったが、いつの間にか空が白んできていたので、本を閉じた。
朝日がさしこんできて、その筋は、棚の隅を指し示すように伸びている。
――白いハンカチが、綺麗に畳まれて置いてあった。
古いもののようで、少し黄ばんでしまっているが、しかし繊細な刺繍にはほつれはない。
刺繍の意匠は、「鈴蘭」だった。
世の中の童話ってあんまり百合百合しいお話ないよなあ、と書きながら思ったのですが、
だからってホモホモしいお話があるわけでもないのでどっこいどっこい…いや、
ホモホモしい話はけっこうあるな…?
……ブクマしていただけるとすごい励みになります!
よろしければご感想などいただけるとめっちゃ有難いです!!