4-7.はじめての魔術学
帰宅して早々、ベフルーズがこしらえてくれた鶏の竜田揚げ――ジャガイモから作った粉をまぶした鶏肉を揚げていた――をメインディッシュに、「明日からの行動予定について」を肴にした。
「メシキの森に行ってみたい――というのは、やはりまずいでしょうか」
サラの師匠・シビュラが攫われ、サラが襲われた最初の場所は、シビュラの家だ。
シビュラがかけた呪いの正確な内容を知る手掛かりは、そこにはないだろうか?
「サラちゃんが一度危ない目に遭ってるからなぁ…」
「その理屈で言えば、私一人で撃退した実績がある、とも言えなくはないのだけど」
「シビュラ様のお家は、トロユに荒らされたりはしていないのでしょうか」
「そうね、それも確認したいわ」
「お師匠様はウチ以上の防御結界を張っていたはずだ。無事だとは思うけどな」
「……やはりベフルーズは、サラの兄弟子でいらっしゃる?」
「ん?そうだよ、言ってなかったっけ」
「何となく、そうかとは思っておりましたよ」
ベフルーズとサラ以外が魔術を行使する場面には、そもそも二人以外に魔術を遣える者にはまだ遭遇していない。だとすると二人の「先生」がバラバラというのも不自然な気はしていたのだ。
「――まあ、俺も気にはなる。明後日の休みまで待ってくれ。お前たちが様子を見に行くのなら、俺も一緒に行く」
「了解なのだわ」
「ありがとうございます、ベフルーズ。では明日は、このお邸の掃除でもしておりましょうか?」
「そうねえ、洗濯物片付けちゃうかあ」
「メシキの森に行って帰ってくるとなると泊まりがけだからな。テントとかの点検もしとけよ」
おっと、思ってたよりも大変そうだな。
脳裡には、行ったこともないのに白神山地の光景がよぎった。
屋久島にも行けてなかったんだよなあ…。行って、みたかったな。
食後に出してもらったコーヒーは、いい香りで落ち着いた。
目が覚めるどころか、とろとろと眠気を誘われてしまったほど。
「おう、ミャーノ。来い来い」
シャワーを使わせてもらったので二階へ上ろうとしたら、ダイニングで帳簿をつけていたベフルーズに呼びとめられた。
ああ、これはあれか。髪の毛を乾かしてくれるのだ。さすがにもうわかってきた。
仕草で座れと言われたので、素直にベフルーズの横の椅子に腰かける。
「お願いします、ベフルーズ」
「ん。≪ドァーク≫――暖気よ、旋風となれ」
ふかりとした空気が、瞬時に髪の水気を蒸発させる。
その風の温かさにはどうしても、思わず目を瞑ってしまう。
思えば、美容院でドライヤーをかけられている間はいつも目を瞑っていたかもしれない。そしてたいてい居眠りをして、美容師さんには笑われてしまっていた。
「ありがとうございます、ベフルーズ」
「俺が声掛ける前に、自分で頭突き出してこい。お前の通り道で待ってるのも面倒だから」
「あー…それは、申し訳ありませんでした。しかしベフルーズ、魔術というのは疲れるものですし」
「これくらいは平気だって言ったろう」
「すみません。ちゃんと弁えておかないと、この魔術かけてもらうのがラクで心地よすぎて増長しそうで…」
「ドァークでどんな増長しようっていうんだ…そういやあお前、初めてこれやった時に驚いてはいなかったな。似たような術があったのか?」
「魔術の代わりに、物理学や化学は発達していたので。温風や冷風を発生させる安価な絡繰があったのです」
厳密に言えばドライヤーは冷風を発生させているわけではないのだが、使用場面においては結果的には冷やすのだからよかろう。詳しい説明は面倒くさい。
「フーン」
「でも、ベフルーズの魔術のように一瞬で適度に乾かしてくれるわけではありません。髪の毛から水分を蒸発させる時、乾燥させすぎないというのはすごいですね」
自分の髪に手櫛を入れてみる。ドライヤーでは乾燥させすぎるだのマイナスイオン機能が必要だので揉めていたのに、ベフルーズの調整はちょうどいい。
「ああ、俺と同じくらいの髪の長さだし、やりやすいんだ。そういう点では、サラより俺のほうがお前向きだと思うぜ」
なるほど、説得力がある。
「まあ、お前の方が少し癖っ毛ではあるか」
「そうですか? そういえばベフルーズとサラは髪の毛の色は似ていますが、サラの方が癖はなさそうです」
「そりゃ、サラの方が髪が長いからってだけだと思うぞ」
「それはそうですね…。ベフルーズ、この世界では、髪の毛の長さと魔力の強さには関連性はないのですか?」
ベフルーズの髪が短いことについて、大変どうでもいい点が気になった。
「は? なんだそりゃ?」
「私の世界では、迷信だったかもしれませんが、髪の毛に魔力が宿るという考え方があちこちの国であったようだったので」
魔力はこの場合広義のワードとして、霊力や神通力の類も含ませてもらおう。
「へえ。うーん、よし、ちょっと魔術学の授業するか」
「えっ?」
ベフルーズ先生の“スイッチ”を入れてしまったようだ。
暖炉の部屋に移動する。ティーセットにおかきがついてきた。
やべえ、夜の個人授業だ。
そんな冗談を胸中でひとりごちながら、暖炉の前の長椅子に並んで座り、ベフルーズが持ち出してきたA4判くらいの大きさの黒板を覗きこむ。
「この世界には『魔術』と『魔法』が定義されている」
白いチョークで「魔術」「魔法」と書いているのがわかる。もちろん、文字は全然違うのだが。上手く言えないのだが、日本人の感覚だと「漢字」を見て「その意味がわかる」感覚が近いと思う。
「読めるか?」
「ええ。使い魔に付与されている『翻訳の術』というのは便利なものですね」
「それ。お前を召喚したのはサラの『魔術』だが、お前に備わっている翻訳能力は厳密に言えば『魔法』なんだ」
「んん?」
ベフルーズは「魔術」と「魔法」の間に縦線を引き、分断した。
「お前が使ってるのは『翻訳の術』じゃない。『翻訳魔法』なんだよ」
「そういえばサラは確かに、『翻訳の術では本とかの文字は読めない』とおっしゃっていましたね…」
「『魔術』は俺やサラが色々遣ってるのを見ているだろう?“使う”のが『魔術』だ」
「『魔術』と『魔法』の違いというのは、“使う”か“備わる”か…ということですか?」
そうだ、と答えて、ベフルーズは黒板に「使う」「授かる」と、それぞれの列に書き足した。
「与えられたもの……ですか」
「ここまでで疑問はあるか?」
「あります、先生。『授ける』の主語は?」
「“誰か”はわかっていない。――お師匠様に言わせれば、“今の人類にはわかり得ないもの”なんだそうだ」
「抽象的な意味での『神』という理解でいいのですか?私の世界では『宗教における宇宙』が適用されそうだ」
「お前の言いたいことは何となく伝わったぜ。俗な言い方をすると“高次元の存在”ってヤツだな」
「しかし、私の身体を構成したのは、サラの『魔術』なのでは…?」
「ややこしくて悪いんだが、『召喚の術』ってのは、おそらくお師匠様レベルの魔女だけが知っているような秘術なんだ。古い術っていうのは、現代の実用的な魔術と違って『魔法』がかなりの割合で“組み込まれて”いる」
「――あ。もしかして、『よくわからないけど、こうしたらできたから、これでいいや』――というものでしょうか…」
「はいご名答。察しがいいな。はいご褒美」
チョークを持っていない方の手で、おかきをひとつ手渡してくれた。ポリリとかじる。しょっぱくておいしい。
「お前の身体を構成する魔法。お前に翻訳能力を備わせる魔法。そういう魔法が、『召喚の術』に含まれているだけだ、ということをまず理解してくれ」
全然わからん。わからんが、頷く。
「お前がどんな能力を持った使い魔として造られたのか、それは『神のみぞ知る』ってことだ。だから、サラにはお前の力は把握できてなかったろう?」
「ああ、そういうことか…」
確かにサラは、使い魔の身体の造りについて、すべて推測で話をしていた。
サラが「再構成」したわけではないのだから、納得だ。
「さて、それじゃ、『魔術』の話をするぞ。いいか?」
「はい」
「俺やサラが魔術を遣ってるのいくつか見てるだろ、気づいたこと、何かないか」
「ベフルーズ、先生っぽいですね」
「うるせえ、こちとら先生だわ」
「気になってたことはあります。『詠唱』したりしなかったり、してますよね?」
影傀儡の術を実演して見せてくれた時、ベフルーズは呪文の類を詠唱していなかった。
それに、サラが遣っていたと後で教えてくれていた「獣避け」「魔物避け」の術も、ずっと一緒にいたが唱えた声は聞こえなかった。それは、もしかしたら聞き逃しただけの可能性はあるのだが。
「あるある、その分類が確かにある。さっきのドァークは『定型詠唱』、この前やって見せた影傀儡の術と、影置換の術が『無詠唱』。あとは『独自詠唱』がある」
黒板の「魔術」列に、その3種が付記された。
「『独自詠唱』?」
「そのまんま。『定型詠唱』は目的を達成するのに最適な術式が歴史的に確立していて、誰が使うんでも同じ理屈で使われるから、詠唱の文句も決まってるんだが、『独自詠唱』はそうじゃない」
「汎用的な理屈がないから、その遣い手独自の文句を詠唱しないといけないんですね?」
「そういうこと。広めたい場合は、その理論とセットで詠唱文句を吹聴すれば、そのうち定型詠唱になるのかね」
特許みたいなもんだろうか。
「無詠唱は? 詠唱が必要な術とそうでない術の違いがピンときません」
「ああ、その点に関しては俺たちも感覚でやってるとこあるからなあ。ただ、無詠唱で行使する術は『定型詠唱』の術よりずっと消耗するんだ」
「声を出す方が気合が入る、ようなものでしょうか」
「そんな感じ。――なんか、脳筋なたとえで不服はあるが」
「私に筋肉があるだけよかったと思っていただきたい」
都子にはロクな脳も筋もなかったのだから。
「なんだそれ…。詠唱の研究については、ケレムが詳しいと思うから、暇な時に訊いてみたらいいよ」
「そうなんですか」
そういえば、ケレムは魔術学を教えていると言っていたな。
「ケレムさんも魔術が使えるのですか?」
「ああ、使えるよ。俺たちには及ばないけどな。でも、独自詠唱の創作は面白いのが多い」
「へえ。何か簡単なの教えてもらえたらなあ」
「――お前、そこは俺に習えよ」
「ベフルーズ、私がドァーク使えるようになりたいと言ったら難色を示されていたではありませんか」
「だからってバニーアティーエ名乗ってるお前が、わざわざケレムに魔術習ってたら変だろ」
「では使い方を教えてください」
「…やだ」
「ほらー!」
「ゴフッ」
つい、ツッコミのつもりでベフルーズの胸を叩いてしまった。
ガチの噎せる声に背中を擦りながら謝り倒す。
「す、すみません…普通にはたいてしまいました…」
「くそっ…ゲホッ、お前やっぱりアリーと同類か…!」
ガン、と、部屋の入り口で木造の扉の腹を叩く音がした。
「――楽しそうね。ミャーノ」
ベフルーズの背中を擦っている私と、私の大腿を弱々しく叩いて抗議を示すベフルーズの姿を見る、サラの目が、心なしか、冷たい。
「二人ともなかなか二階に上がってこなかったから、様子、見にきたのだけれど」
「あの、サラ?」
「また二人で遊んでいたのだわ――!」
「いえ、サラ、遊――」
言いかけて、ベフルーズと顔を思わず見合わせる。
「――んでましたかね、これは」
「いや…ええと……」
「――私抜きで、楽しそうだったわよね?」
申し訳ございません。思わずベフルーズとハモって謝ってしまった。
説明回の振りしたベフルーズとのターンでした。
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