4-1.使い魔、お小遣いと財布をもらう
朝、やっとシャワーを浴びて、しかし筋肉痛に苦しむサラが朝食を用意するのを手伝っていると、ベフルーズが身支度を整えてダイニングへやってきた。
「おはようございます、ベフルーズ」
「おはよう。サラ、魔力切れはもう平気か」
「そっちは平気~。なんだけど、今は筋肉痛~~……」
「そんな大した登山じゃなかったろ」
「私は森歩き専門な~~の~~」
わからんでもない。平地と山では使う筋肉が全然違ってくる。
「ベフルーズ、私たちは昼に自警団の詰所へ行って、昨日の件の聴取に応じてこようと思います。アリーさんから、行くように言われておりまして」
「ああ、そうか。そうだな、昼夜はあんまり関係ないけど、今日は可能なら陽が落ちる前に家に帰っとけ」
「わかりました」
「はい、ポーチドエッグお待ち」
「お、さんきゅ」
ポーチドエッグ以外にも、焼きスパムのようなハムに、ミニトマトが添えてある。
それぞれ祈り――私は挨拶に近いが――てきぱきと平らげた。
“ベフルーズ先生”の出勤を見送っていると、サラが暖炉の部屋に呼ぶので、従う。
「なんですか?」
「ミャーノにもお金、渡しておこうと思って。お小遣い程度は手持ちがあった方が自然でしょ?」
「そういえばソマは、あなたが財布の紐を握っているのを完全に見抜いていましたね」
年上なのに、お金を自由にさせてもらえてない、とか思われてるのかな。間違ってないんだけど、誤解なんですソマ、間違ってないんだけど。
「あ。せっかくだから、昨日ソマさんにもらった9000銅貨、ミャーノ全どりね」
サラはいたずらっぽくほほ笑む。
茶卓の上で、私がいる側に9000銅貨分――1000銅貨を9枚――を押しやった。
「それとこれ、お財布ね。お父様が使ってたものでちょっとくたびれてるんだけど」
「えっ、そのような大事なもの、お借りするのは」
服も遺品としては大事なものなのだが、財布となるとまた「大事グレード」的なものが変わる気がする。その財布は革製で、茶色い小銭入れ風だった。そういえば銀行券的な紙幣は見かけていないな。硬貨だけなのかもしれない。
「貸すんじゃないわ、あげる。いいのよ。失くしても怒らないわ。――中に入れたお金を失くしたら怒るけど」
「…ベフルーズの兄上様でもあらせられる。彼にも許可をとらなければいけないのでは」
「それならさっきとっておいた。本当に、捨てなくてもよかったから捨ててなかっただけなの」
「……そこまでおっしゃるのであれば、有難く。それはそうとして…ソマからのボーナスを私がまるまるもらうのは少し筋が通りません」
「なんで?」
「これはキイキイ鹿の報酬ですよ。あなたと、なんならロス君も含めて山分けするのが妥当なのでは」
「ロスへはちゃんと依頼料で支払うからいいのだわ。私なんて本当についていっただけの状態だし、キイキイ鹿を狩ったのは、あなた一人の功績よ」
「では、その依頼料はこの9000銅から」
「だーめ、却下。いいから、せっかくあなたがこの世界で初めて稼いだお金なのだから、受け取っておくのだわ」
「……わかりました。謹んで、頂戴いたします」
あまり固辞するのも礼を失するかもしれない。素直にもらうことにする。
そういえば、16歳の時に初めてバイトして稼いだ二万円くらいのお札を、封筒に入れて、使わずにずっと持っていたな。すぐに五千円札と千円札の偉人の肖像が変更されたので、結局使う気にはなれなくて、引き出しにしまったままだったのだ。
向こうの世界の私が消えたり死んだりしているのだとしたら、あのお札はどうなったのだろう――
そんな思いに耽っていたが、サラは話を続けた。
「ところで、この辺の銅貨とか銀貨とかの計算はわかる?――わけないよね?」
「ええ。街で見かける値段が概ね銅貨のみだったので、後でお聞きしようと思ったままつい忘れておりました…」
「だよねえ。最近は、金・銀が1:10、銀・銅が1:12500の相場になっているわ。私たちは金貨をあまり使わないでしょうけど」
うん、なんて? もう一回比率言って? 算数からして数字そのものが苦手な人間ナメないで?
「いちまんにせんごひゃく…かけるはち、ということはええと、あー…じゅうまん銅貨もしたってことですね、この剣…」
そのままの数字では暗算ができない人間でも大学は卒業できるのだという事実が悲しい。2500×4×2+10000×8という小学生並みの式でやっと理解した。やっぱりかなり高いじゃないか!
「いやー、いい武器って高いのねえ…」
「というか、今更ですがキイキイ鹿の角とかの相場がえらい高くないですか!? けっこうあっさり捕まえましたけど!?」
いや、でも日本でも熊胆の卸し価格は数十万とかだったか?いやいや、熊と鹿じゃ難易度が違うし。鹿肉なんてそんなに高いモノじゃなかったはずだぞ。
「薬の原料の相場にはあまり詳しくないのだけど、キイキイ鹿がというか、西の鉱山で何かを狩ること自体が普通の市民にしたら難題なのだわ」
「どういうことです?」
「私は魔術があるし、ミャーノも腕が立つけれど、普通の市民はそうではないということよ」
「猟師もいるでしょう」
「猟が得意な民族はいると聞いているけれど、このへんには…生業にしてる人は何人もいないはずなのだわ」
「え、そうなのですか?」
「だって危ないもの。肉は牧畜でまかなえるし、いくらジビエが美味しいからって、命と天秤にはかけられないでしょう」
「でも、ならなぜ最初にロス君に西の鉱山のガイドを探してもらおうという発想が…」
「自警団だけは、西の鉱山で魔物の討伐を行うことがよくあるから、ロスなら心当たりがあるだろうと思ったのよ」
ロス本人が最近討伐に参加してたのは知らなかったけど。サラはそう付け足す。
「なるほど…ベフルーズもサラも、魔物について全く気にしてなさそうだったので」
坑道に入らなければ大丈夫とか、そう言ってたのに。
「坑道は難しいけど、日中の山の外側なら魔物避けの術が使えるから。叔父さんもね」
「……サラ」
「え、なに…?」
サラのすべすべした頬を、両手で軽く包む。触れてから、己の掌がマメでガサガサごつごつしているのを思い出したが、こすったりしなければ傷はつかないだろう。
「下山時に獣避けの術を遣っていただけかと思ったら…あの数時間ずっと魔物避けを…!?」
そりゃあ疲れもするよ、というかよくそんなの持続できたね!?
「だ、だいじょうぶだったって!魔物避けも獣避けも、そんなに集中力要らない、おまじないみたいなラクな術だから」
「…ベフルーズも教えてくれれば。サラ、疲れている時は疲れたと私に教えると、約束してください」
「わ、わかったのだわ…」
ため息をつきながら、サラの頬から手を離し、解放した。
「それにしても、昨夜ベフルーズにも実演してもらったのですが、魔術というのはいくつも同時に行使することができるのですね」
「?なにをしてもらったって?」
サゥイェについて教えてもらったこと、離れた場所に影を送って、かつその派遣先でこうしたら攻撃が可能になるであろう術式の組み合わせ、というのを実演してもらったことを話す。
「ベフルーズは3メートルが限界と言っていたのですが、サラはどれくらい可能なのかについてベフルーズは知らないようでしたね」
「うーん、あんまり試したことないからなあ。あの術、疲れる割にリターンが少ないのよね…千里眼の視界もはっきりしてるわけじゃないから、身体もぎこちない動きになるっていうか」
千里眼とな。そういえばベフルーズはあの時目を瞑っていた。内視鏡カメラで手術するお医者さんみたいなイメージなのだろうか。
「でも私もそんなに何十メートルも先に顕させることができる気はしないのよね…」
「だとしたらまさか、あの近くに本体が?」
「まだ影傀儡の術と決まったわけではないのだけれど、可能性の一つとしては考えておくべきなのかしらね」
「同じ動きをしないといけないとなると、ある程度の広さがあって、人目につかないことが条件になってくるのですか…有効範囲がはっきりすれば、割り出せそうな気はするのですが」
「かといってあの辺りのお家を御用改めというわけにはいかないのだわ…」
「そうですねえ…」
思考は簡単に行き詰ってしまう。
サゥイェの分析については一旦切り上げて、私はサラから、先ほどの9000銅貨とは別に、5枚の1000銅貨を支給してもらった。
お金の説明回でした。