3-6.交戦の後
「ロス君、先ほど攻撃を受けた方は、ご無事なのですか」
「あ、ああ、大丈夫。おっちゃんたち、怪我は肩とか額ちょっと切れたくらいで、今医者に手当てしてもらってる。それより、アンタらだ」
「サラも私も無傷ですよ」
「犯人逃がしちゃって、ごめんね」
「いいんだそんなの――よくはねえのかもしれねえけど――」
鞘に戻していない片手半剣に気づいて、その穢れに、ロス君は目を顰めた。
「剣でやり合ってる音が聞こえたけど…これ、斬ったやつ?」
「ええ。血はつかなさそうだなとは思っていたのですが、煤がつくとはね」
手拭いで拭きとってしまおうとしたら、サラに止められた。
「それは魔術で浄化しちゃうわ。ちょっと掲げて」
「わかりました」
たしかに気持ち悪いとは思っていた。手拭いで拭ったところで、それを捨てるわけにもいかないし。
「≪アブー・アブー≫――洗え、≪ドァーク≫――暖気よ、旋風となれ」
水球がぷかりと穢れた部分を包み、水球の内側だけが激しく回転し、そして強力なドライヤーで一瞬にして蒸発する。
「とれた?」
「綺麗になりました。ありがとうございます」
すっきりした輝きを取り戻した剣を、鞘にやっと納めることができた。
「――お店、ひどい……」
「そうですね…」
落ち着いて改めて店内を見渡せば、自分たちのいた東側は無茶苦茶だ。柱や床はどうやら無事だが、窓と調度品はぐしゃぐしゃになっていた。
「明日、自警団のほうで被害確認した後、補助とかは受けられるとは思う」
なるほど、火災保険のような機能があるらしい。
「なんだったんだ、あれ」
青い顔をしてつぶやくロス君に、答えられる方便は見つからなかった。
自警団の人たちがばらばらと駆けつけてきて、その中にはアリーもいた。
「ミャーノ、暴漢とはアンタが交戦したってマジか」
「ええ。ちょうど、怪我を負われた方たちのテーブルの近くにいたんです」
「馬鹿。あぶねえことすんな。ロスにだけ避難誘導任せてねえで、そういう時はアンタも逃げるんだよ!」
「…すみません」
直感的に、狙いが自分たちだろうと思ったため、その選択肢はなかったのだ。
「客たちからは『真っ黒な化け物』としか聞いてないんだが、実際なんだったんだ?」
「まあ、見た目はそうでしたね。実際の攻撃も、『見えない剣』だったとしかいえません。ただおそらく、奴の右だか左だかの手首は斬り落とせたと思います。気分の悪い手応えがありました」
どこまで話したものかわからないので、サラに視線を遣る。
「サラ、大丈夫ですか?――アリー殿、申し訳ありませんが」
「おう、気が回らなくてすまん。サラ、怖かったな。今日は帰って、明日また午後でいいから来てくれるか?」
「…あ、…はい…」
「では帰りましょう、サラ。ロス君、すみませんが、鹿肉はそのまま預かっていただいてもよろしいでしょうか」
「うん、大丈夫。――気をつけて帰ってくれ」
「ええ、…酔いも醒めてしまいました。また今度、呑みましょう」
「…ふふっ、そうだな」
緊張していたロス君の顔が、少しだけ緩んだ。
バニーアティーエ邸と同じ方面に家がある男たちが、帰り道を同行したいと申し出てきたので、集団下校のような体裁になった。
サラに「サゥイェ」のことを聞きたかったのだが、これでは帰宅するまでまともに話はできなさそうだ。
おっさんたち皆も酔いはさすがに醒めていたが、別の意味で興奮してしまったらしく、ヒーローインタビューのような質問がやまない。
自分が後ろめたく思う必要はないのだが、自分たちがあそこで飲んでいなければ、彼らが巻き込まれることもなかったのかと思うと、気は引けてしまう。
サラもそうなのだろう、気まずそうな顔をしていた。
「ただいま」
「ただいま戻りました」
「おー、おかえり。なんか外、賑やかだったな?」
おっさんたちが合唱しながら歩いていったからね。
しかしおっさんたちの心情はわかる。私もおばけ屋敷が怖くてアン○ンマンのマーチとか歌いだしてしまうタイプだったので。
(お化け屋敷は怖かったんだけど、お化け自体は怖くはなくて、夜中の墓地とかは逆に平気だったんだよな…。怖いのは、お化け屋敷のグレードを究めんとする人間だったと思うんだ…)
益体もないことを思い出してしまった。
「ええ。実は街でひと騒動ありまして…」
ベフルーズも明日街に出勤したら聞くことになるだろうが、もちろん共有しておく。
なにせベフルーズは、私とサラにとっては唯一、トロユとの諍いを相談できる人なのだ。
「夕飯を食べていたら……サラ?」
「ん、あ…ごめん。ちょっと魔術の使いすぎで眠い…かも」
ああ、そういえば今日は鉱山からずっと、さっきの浄化まで魔術を遣っていた。やはり消耗はするものなのだな。
「わかりました、サラ。ベフルーズへの報告は私ができますから、もう寝んでください」
「なんだなんだ…」
「うん…ミャーノは、だいじょうぶなの…?」
「私はほとんど疲れておりませんから」
「そっか…じゃあ…叔父さん…ミャーノに聞いといてもらっていいかな…おやすみ…」
うとうととしながら、トントンと階段を上っていく。
何となく無言でその背中を見送る。ついていったほうがよかったかな。まあ足取りはしっかりしているから大丈夫だろう。
「――茶入れたら飲むか?」
「ええ、ぜひお願いします」
サラには疲れていないと言ったけれど、精神的には、気が緩んでやっぱり疲れが出てしまっている。
今日の目的だったキイキイ鹿の狩りは問題なくあっさり完了したこと。
このバスタードソードは無事に手に入ったこと。ついでにボーナスもつけてもらったこと。
鹿肉は今日持って帰ることができなかったから、詰所に預けてあること。
――「オジギ亭」で、おそらく「トロユの『サゥイェ』」と交戦する事態になったこと。
それらを、時系列順でゆっくりとベフルーズへ告げる。最後の報告の最中には既に、ベフルーズはサラの様子に得心がいった様子でため息をついていた。
「それで、帰り道は他の――ご近所の方ですかね?同じ方角の方に『一緒に帰ろう』と誘われましたので、大人数で帰ってきました。…私たちが別れる段になると、護衛役がいなくなるということで、怖かったのではないでしょうか」
だから大合唱が、家の中にいるベフルーズのところまで届いていたわけだ。
「なるほどなぁ…いや、まずはお前だ。ありがとな、サラをちゃんと守ってくれて」
暖炉の前の長いすの右端と左端に腰をおろしていたが、左側に座っていたベフルーズは長い腕をひょいと伸ばして私の頭をひと撫でした。気分は飼い犬だ。
「いえ。…お店の人たちや自警団の方の不安を思えば、仕留めるか捕まえるかできるのがよかったのでしょうが――どうにも、倒しきる策が掴めなくて。すみません」
「いや、その陽炎のような影の術には心当たりがある。それだとしたら、捕まえることはできねえよ。むしろ、攻撃がよく通用したもんだ。そうか、あっちが攻撃しようとしたらその瞬間は実体との境目が曖昧なのかもな。…そんなこと試した話は文献には載ってないから、できないものだと思ってたぜ。相手もそうだったんじゃねえの。それで泡くって一旦退いたっていうなら、わかる気がする」
「『サゥイェ』、というのはなんですか?『使い魔』と同じ意味なのですか?」
「いいや、違うもののはずだ。使役する目的は似たようなもんだけど…わかりやすい決定的な点は、おまえは異世界から召喚された者だってこと」
ベフルーズは、ゆっくり丁寧に説明をしてくれるようだ。その様子は、サラと似ている。
「『サゥイェ』は、『影』っていう言葉そのまま、“同じ次元にかつて存在した”魂が召喚された姿、だったはずだ。悪いな、記憶だけで説明してるから細かいニュアンスは違うかもしれん」
「いえ」
言いたいことはわかった気がする。
「使い魔」は“この世界に存在していない者”を再構成してこの世に顕された者。
「影」は“この世界の死者”が喚び出された姿。
そういう理解でよさそうだ。
「サラはそのサゥイェに向かって、そんな姿でしか現界させられないような主、みたいなことを言っていたような気がするのですが…サゥイェは本来はそんな、影法師みたいな状態ではないのですかね?たとえば、私のように、現世のものと変わりがなく見えるものなのですか?」
「そもそもサゥイェに遭遇した実例が俺にはないからなあ…実際のところはどうかわからんが、見た目はそんなボヤッとした影の姿じゃないはずだぜ」
「だから向こうは私もサゥイェだと言ったのですね」
「しかし、その影法師、向こうの実体じゃないと思うぞ。光系統でそういう『傀儡』を遠方に派遣することができる術式があるんだ。その類じゃねえかな」
「……光…というからには映像なのですか?でも、攻撃の瞬間は質量があったのですよ?」
「その傀儡で、派遣先の物質に何かしようと思ったら、傀儡と自分の身体を入れ替える必要があるんだろう。それはまた別の術を併用すれば可能になる」
マグカップを茶卓に置くと、ベフルーズは深呼吸を始めた。
「ベフルーズ?」
「ちょっとやって見せる。驚くなよ。驚いて俺の腕斬りおとすなよ」
そんな、「押すなよ絶対押すなよ」みたいな。
「って、できるのですか、あなたも」
「奴さんがどこで術を発動してたかは知らんが、俺ですら派遣できる距離は3メートルが限界なんだ。そこらの術者は1メートルも難しいだろうよ。――いくぞ」
詠唱はしていない。目を閉じて、右手を暖炉の方へ伸ばしている。
――私の目の前に、影法師が立っていた。
あのサゥイェとは違って、かなりはっきりくっきりとした黒い影。それが私の前で、空気椅子のような姿勢で、右手を私へ差し伸べている。
「ベフルーズ…これは…」
答えはない。詠唱がされない分、何か別のことをする必要があって喋ることができないとか?
戸惑っていると、左に座っていたベフルーズがゆっくり立ち上がって、一歩、進む。同じ動作を目の前の影法師がトレースしている。
やがて右手がうろうろしたかと思うと、それは私の左肩にぽんと置かれた。
たしかに、左肩に「手が置かれた感触」がある。おそるおそる影の右手に己の右手を重ねてみると、人間の皮膚の触感があった。と、影法師とベフルーズが慌てたように右手を離した。
影法師がはじけて消える。
「手重ねてんじゃねえよ!」
実体のほうのベフルーズに怒鳴られてしまった。ちょっとホッとする。
「驚きました…すごいですね、ベフルーズ」
「めちゃくちゃ集中力いるんだよ、これ。久しぶりにやると疲れるな…」
頭を抱えている。でもわかりやすかった。確かにこれなら理論上は「オジギ亭」の剣戟は再現できるだろう。
「あ、少々お待ちください」
脇におざなりに置いておいたサックの中から、粟おこしの入った袋を取り出す。
「美味しいですよ、これ。疲れた時は寝るか、甘いモノの摂取なのです」
「…もらうわ」
なぜか更に疲れたような顔をして、ベフルーズはおこしを袋からひとつ摘まんだ。
「それにしても、ベフルーズの今の影ははっきりしていました。奴の影は黒いのは黒かったのですが、ゆらゆらとしていて、かろうじてヒト型の面影が感じられたという程度だったのですよ」
「それは…推測しか言えないが、元々の実体がゆらゆらしているか、術の使い手の力量の問題の可能性が高いと思う。輪郭の維持ってのは、距離にも反比例するからな」
「元々がゆらゆら…」
「サラが『そんな姿』って言ったのは、そういうこったろうな。そういえばサラはどれくらいの距離で遠隔操作できるのかね」
「あの、私も魔術使えるようになったりするのでしょうか」
「…使い魔は生き物じゃないからなあ。魔術の影響は受けられても、行使はできないって話をアップルから聞いたことがある」
「アップル。シビュラ様の使い魔ですね?」
「ああ。アップルはアンタと違って元々使えてた魔術があったらしいが、召喚されてからはそれが使えなくなっていたと言っていた」
「むぅ…残念ですね。髪を乾かす程度は己でできるようになれば、サラの負担を減らせると思ったのですが…」
「ドァーク程度の生活魔術レベルなら、キュウリを切るより疲れねえよ」
気にするな、ともう一度、ベフルーズは私の頭を撫でる。
この人の照れる基準がようわからんな。
3本ほど袋に残っていた粟おこしを食べきったあたりで、これで報告は十分だとして、ベフルーズに風呂を勧められた。
彼は、私が上がるのを起きて待っていてくれて、髪を乾かしてくれたのだった。
サラは別格としても、ベフルーズもサラの叔父らしく、一般の魔術士よりも腕が立つのです。
ブクマ11件ありがとうございます!
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2018/3/2:横書きWeb小説だしと思い文頭空白つけてなかったのですが、つけました。