3-2.鹿を追いし、かの山
狩りの表現があるので、「残酷な描写あり」注意を追加しました。
鹿を捕らえるには、大きく二つの手段がある。
罠を仕掛けて捕まえて殺すか、自由な状態を見つけて殺すかだ。
もちろん、都子としての私に狩猟経験はない。
富士山の近くで食べた鹿肉バーガー、おいしかったなあ…。店主が自ら狩ってきた鹿のジビエだという触れ込みだった。東京住みの上自家用車なんて持っていなかったので一度きりの邂逅だったが、もう一度食べたかった。
「ミャーノ、どうかした?大丈夫?」
「はっ、いえ、大丈夫ですよ?何かおかしな顔をしておりましたか」
ロス君とサラが胡乱げな視線を向けていた。
「すみません…故郷…で食べたことがあったと或る鹿肉の料理を思い出してまして…おいしかったなあと…」
「ミャーノさん、顔に似合わず食いしん坊なとこあるよな」
「キイキイ鹿捕らえた後、山で解体するの?」
「いや、血抜きだけ。ミャーノさん、血抜きは俺やってもいいかな。上手いわけじゃないんだけど、下手でもないはず。ちょっと練習の回数稼ぎたくてさ」
「ええ、お願いできればありがたい」
止めを刺すときのやり方は、知識としては知っている。
たしか、喉から胸の間辺りの血管をナイフで貫くのだ。呼吸をさせることで大量に失血させることができるというのを読んだことがある。
「ミャーノ、鹿解体したことある?私は叔父さんと二人がかりでやったことがあるくらいなのだけれど」
「…お恥ずかしながら、獣の類は。鶏や魚くらいしかさばけません」
その鶏にしたって、日本の法律の関係もあって、屠殺場で血抜きが行われたものしか扱ったことがない。
生きている魚を解体したことはないが、海老なら割とあるな…。絶命させる瞬間というのは、肉も魚も喜んで食べているくせに、どうにも苦手だった。お中元で桐箱が届いて何だろうと思って開けたら大量の活き海老がびちびち動いていた時は心臓がまずい跳ね方をしたものだ。
「ま、まあそんな落ち込むなよ。ミャーノさん確かに狩りとか料理とかはメイドさんとかがしてくれそうな顔してるもんな。育ちよさそう…」
最後は小さい呟きになっていたが、それは「おまえボンボンだろう」とかそういうことだろうか。ベフルーズにも「いいとこの坊ちゃんみたい」と評されていたし。
悔しいが、食環境については確かに甘やかされて育っている世代なので反論できない。
食事情が裕福だったかそうでないかは経済的にはそれぞれあれど、かなりの割合の子供は獣の狩りも解体も経験せず、大人になって尚それを強要されず、一生を終えているのだ。
「解体は詰所の解体スペースでやったらいい。今日なんかはちょうど肉屋のサイードさんが当直なんだ。もし使わないなら内臓だけはその日の内に食っちゃった方がいいから、そのままリーマさんにくれたらいい」
「一旦そのままソマのところに持ち込んで、必要な部位と切除する場所を再確認してから、詰所にお邪魔するのがよいですかね」
「そうね。じゃあもし捕まえたらよろしく、ロス」
「了解」
ほどなくして目的の4合目に着く。
「とりあえずここから林の中に入っていくぞ。昼過ぎまでつかまんなかったら、今日は罠を仕掛けて明日様子を見にこよう」
「わかったわ」
ロスの提案に私も頷くと、無言の索敵が始まった。
陽が高くなってきた。ずっと木立の中にいるために直接日差しが届くわけではないが、もう1時間と経たず、正午を過ぎそうだ。
サラの足取りに少し疲れが見え始めたので休憩を提案しようかと思ったその時、「キョアー」という鳴き声が耳に届いた。
「ロス君」
「ああ、聞こえた」
可能な限りの小声で会話をする。
「今のが?」
キイキイ鹿の鳴き声なのか。
「うん。ボウを用意しておこう」
「はい」
それぞれ腰からクロスボウを抜いて、弦を張り、矢を番える。安全装置はそのまま。
耳を澄ますと、再度同じ声が右手の奥から聞こえてきたのがわかった。
(なるほど、繁殖期って言ってたもんね。ということはこれはオスの鳴き声なんだろうか)
他の鹿はどうかわからないし、猿にも詳しくないが、ニホンジカはオスが鳴くという話が記憶にある。
「……すみません、ロス君。私が行ってもいいですか」
「あ、はい、どうぞ…!」
「ありがとうございます」
サラとロス君の前を通り抜けて、じりじりと前へ。ロス君を手で制する。ごめん、少し待ってて。
この感覚、昨日の地稽古の時にもあったものだ。俯瞰というか、辺りの全体像がまるで他人事のように――別のカメラで上から撮影しているように見える気がする。
もちろん別の映像が見えているわけではない。妙な感覚だが、やけにすっきりした気分だ。
悪くない。
――いた。鹿の身体だが、頭は猿。大きな角が、額から二本生えていた。
(ニホンジカよりも、トナカイって感じだな…)
首がとても太い。強そう。
標的まで10メートルほどの位置で歩みを止めて、安全装置を外す。
――気づかれた!
鹿が後ろ脚で地を蹴ろうとしているのがわかったのだ。
跳ねようとしている方向に合わせてクロスボウを放った。「キョアッ」という悲鳴を上げて、鹿は跳ね損ねる。矢は、彼の尻に深々と突き刺さっていたが、このままでは逃げられる。ボウを手放し、一気に距離を詰め、剣を抜く。後ろ両脚の腱を断った。
黒々としたキイキイ鹿の眼が、命乞いをしているのがわかる。
「すまない」
暴れられないよう、前脚の腱も断つ。
ヒトの顔に近い彼の顔を、見ているのは辛かったが、かといって逸らすのは失礼だとも思った。
「ロス君、止めをお願いします」
「は、はい」
もう逃がす獲物もないので、ガサガサと遠慮なく音を立ててロス君とサラが寄ってくる。
ロス君はナイフを鞘から抜くと、血抜きを開始した。
大量の赤黒い液体が、勢いよく倒したペンキの缶から流れるみたいに噴き出ていく。
知識としては知っているのだ。生きたまま血抜きを行わないと、この勢いでは血は出ないから、どうしても体内に血が留まる。そうなると、せっかくの良質な肉が台無しになってしまうのだという。
それでも、命の失われる瞬間というのは、ありていに言って「キツい」。
トロユの敵が生き物だったら、これと同じことを相手に対してしなければいけないのだ。
獣ならまだ弱肉強食という親しみのある建前があるが、「防衛」のための殺害というのは、馴染みがない。
いや、馴染んでいて、たまるか。
この身体は少なくとも、対人はまだわからないが、対獣は「経験」があると確信した。
そうでなければ、あんなに躊躇いなく腱を断てるわけがないだろう。
近くの、笹のような幅広の葉をひとつとって、刃の穢れを拭い、その葉は捨てた。
そこまでグロテスクな描写ではないつもりですが、念のため「残酷な描写あり」注意を追加しました。
初めてご感想コメントいただけてめちゃくちゃ嬉しいです!(語彙がない)
ありがとうございます!
2018/3/2:横書きWeb小説だしと思い文頭空白つけてなかったのですが、つけました。