2-10.内臓があるぞう
昨日の帰り道、今日の往路のことを考えると、他に人のいるところを襲ってはこなさそうだ、という推測ができた。油断するのはよくないが、陽が沈む前、人通りがあるうち、そういう条件下で街道を行き来するのがよさそうである。
携帯食として、木の実を蜜で押し固めたような棒状の菓子をいくつか買った。ロス君とは、明日どこで落ち合うかを決めもしたので、あとは帰宅して準備をするばかりである。
バニーアティーエ邸に着き、門をくぐって結界内に落ち着く。
玄関を通りながら、やっと話せると心持ち急きながら、私はサラに報告した。
「サラ、相談というか聞いてほしいことがあるのですが」
「――お腹の虫のことよね?」
「え、ええ。厳密には胃だけでなく、心臓や、肺も」
「心臓もあるの」
「昨日、あなたからはこの使い魔の身の中身は生き物のそれではないと聞いておりましたが――これを」
サラの細い右手首をそっと握って、シャツの襟をくつろげて、胸に直接当てさせた。
歩きづめだったところに立ち止まった今この瞬間は、平静時よりは鼓動が分かりやすいはずだ。
サラはしばらく無言で右手のひらに意識を集中させていたが、躊躇いがちに確認をとってきた。
「んん…ちょっとわからないからその、耳あててもいい…?」
「あ、ええ。…失礼しますよ、サラ」
胸を肌蹴させると、少しだけかがんでサラの小さな頭を軽く抱き締める。
そこまでする必要はないのかもしれないが、どうせなら思い切ってしまったほうがいい。
「…本当だわ。そこまで偽装する必要があるようには思えないのに」
サラの頭を解放する。解放はしたが、サラが特に離れずそのまま心臓の音を聞いているようだったので、そのままにはしておく。
「しかしあなたの言っていた通り、その、排泄の必要は一切感じていません。少なくとも膀胱があったとして、それが尿として排出される気配はない」
水や食べ物は十分に摂取しているのだから、まともな生き物の造りでないのは間違いないとは思う。
「師匠と古文書は、昨日伝えたとおり、使い魔の体内は虚数空間のようなものだと言っていたの。私はまだ生まれていない時代に、アップルが左脇腹をえぐられてしまったことがあったらしいのだけれど――そこは星の海のような異次元だったのを師匠は見たとも」
かといって確認のために身体を大きく損傷する気にはなれない。
「多少の無茶はされても、私の治癒魔術でどうにかなると思っていたけれど――あまり重傷を負わないでもらっていいかな」
「…承知しました。それは私も望むところです」
「しかし本当にこの胸筋立派ね…ちゃんと中に本物の筋繊維がある感じするわ…」
「サラ、揉まないでください」
隆起している胸筋は意外と柔らかかった。もちろん感触は女性のそれとはまったく異なるものではある。
自分の精神は女なのだが、きっとサラも女性だからだろう、こうして揉みしだかれる分にはなんだか他人事な感覚がしている。
「いやあごめんなさい、男の人の胸触る機会なんてなくってさー」
「それはまあ、安心しましたよ…」
言いながら、玄関口にサックを置いた時に外を見遣ると、陽が落ちかけていた。沈んでしまう前に、昼間思いついていた「サラにボールを投げてもらってクロスボウでそれを狙撃してみる」というのを試させてもらうことにする。
「確か納屋に古いゴムまりがあったはずだわ」
庭の草むらにアヤから買ったクロスボウを立てて、弦を張り、矢を番える。
「実際のケースを想定して、サラに毬を投げてもらった後に安全装置を外すことにします」
移動中に解除しておくのは暴発が怖い。
「りょーかい」
サラには少し離れた左横の位置から、やや斜め右に向かって投げてもらうことにした。
位置的には自分の前方に飛び出してくる形になるはずだ。
クロスボウを放つ方向には人家はなく、畑が広がるのみ。人影もない。
射程は50メートルほどだと聞いたから、これなら問題ないだろう。
「投げていい?合図したほうがいい?」
「そうですね、最初はそれでお願いします」
「わかったー。じゃあいっくよー、そーぅれっ」
夕暮れの空に黒い毬が弧を描いて舞う。「そ」のあたりで安全装置を解除、構えて、放つ。
毬が視界から消えた。小さい衝突音は耳に届いたので、当たったのだとは思うが、えらく呆気ない。
「ひえっ…えげつな」
私より一足先に草むらに分け入っていたサラが呻いている。
「命中してました?」
「この通りよぅ」
直径8ミリの短い矢は見事に射抜いており、毬は球の姿を保てていなかった。
「貫通は仕切ってないんだね。上に向けて撃ったせいかな?」
「羽根の部分が引っかかるようにできているのもあるのでしょう。アヤによると鏃にもかえしがついているそうです。…よかった、この感じだと動物相手にも問題はなさそうですね」
「不思議な身体なのだわ。あなたの魂は戦いに身を置いていなかったというのに、身体の記憶は完全に軍人なのね」
「助かった、とは思っていますが…どこまで頼りにしていいのかはその場にならないとわからないのが、なんとも」
「まあ、狩りに関しては私も魔術があるから、明日は任せて」
「はい、サラ。頼りになる主人です」
「ふふーん」
おどけて胸を張ってみせるサラが可愛い。
見とれているうちに、陽が沈みきって、降りそうな星空が顕れていた。
次はベフルーズが帰ってきて夕食から
2018/3/2:横書きWeb小説だしと思い文頭空白つけてなかったのですが、つけました。




