2-8.ビフォア・ランチタイム
アヤに礼を言って、よろづ屋を出る。
さてこの後はどうしよう。家に戻って明日の装備に必要なものがちゃんと揃うか確認するべきか。そうサラに確認したところ、
「ロープと雨合羽と、あと水筒ならちゃんと常備してあるから心配しないで。用意しないといけないのは携帯食くらいかな」
「そうですか」
サラがそう言うなら。
「あの、ミャーノ。さきほどは断られてしまいましたけれど、せめて自警団の訓練所を見学していきませんか?」
「?断られたって何?」
ロスはその話の時その場にいなかったな。
「自警団にスカウトされまして」
ミーネに言わせるのも忍びなくて、少し茶化したように私が言った。
「昨日来たばっかりの人に何無茶言ってんだよ、姉貴…」
「ロスだってあの場にいたら同じようにお願いしていたと思うわよ」
「いいや、姉貴今日絶対変だから」
「まあまあ。――サラ、せっかくですからお邪魔したいのですが、よろしいでしょうか」
「いいよー。私もいいですか、ミーネさん」
「ええ、もちろん。お二人ともその後、昼食も詰所の賄いでよければ召し上がって」
「わーい!ゴチになりまーす」
サラが遠慮なく食いついていたので、続けて礼を言った。
さっきミーネに何気なく言ったことではあるが、この身体がボウガンを扱えること自体はわかったものの、「動く的」にも当てられる実力があるのかはまだわからない。
今回はないと思うが、流鏑馬のように自分自身が動いている状態で的に当てないといけない機会もくるかもしれない。
小耳にはさんだ曖昧な知識だが、馬に乗りながら弓を引くというのは、そのための乗り方を習得している必要があったはず。だから文化によっては、弓は無理だが片手用のクロスボウなら馬上でも扱える、ということもあったという話だったような気がする。……我ながら、実に曖昧だ。
話を戻す。
とにかく、できれば今晩までの間のどこかで「動く的」を用意して、感触を試しておきたい。
家の庭でサラにボールでも投げてもらおうかな。
サラとミーネの野菜市場の高騰についての議論を聞き流しながらそんな思案を巡らせているうちに、さきほどの詰所に戻ってきた。朝、ロス君と立ち話をしていた時のロビーをそのまま突っ切って、裏へ案内された。訓練場は中庭のようだ。小学校などの校庭ほどは広くないが、十分「大きめの広場」といえた。
「ご覧のとおりですが、こちらが訓練場です。ミャーノ、先にご案内しておきますが、有事の際の市民の避難場所も兼ねているので、覚えておいてください」
なるほど、どこかから攻め込まれたり、地震なんかの天災の場合だろうか。
訓練に従事している人影がまばらで訓練器具もぽつぽつと置いてあるだけなので、こんなに広さが必要なのかと一瞬疑問に思っていたが、避難場所としてならいくら広くて開けていても足りないくらいだろう。
「アリー!今いいかしら」
「おう。――おっと失礼、お客さんか」
「お邪魔をしております」
会釈程度に軽く礼をする。
ミーネが話しかけたのは、少年3人を相手に剣術指導をしていた青年だ。
背丈はベフリーズくらい。日に灼けたようなくすんだ金髪に青い目の、がっしりした顔つきが印象的な、如何にもな好青年である。
「アリー、こちらはミャーノ・バニーアティーエ様。ベフルーズ先生のご親戚の方で、昨日から先生のお宅に引っ越していらしたそうです」
はとこの叔父さんだから従伯父か従叔父とかで合ってるだろうか。ダメだ、もう「親戚」で済まそう。
「ああ、ベフルーズの」
律儀に腰の手拭いで手の汗を拭って、右手を差し出してくれた。握手に応じる。
「アリー・カゼム。普段はライラック通りの花屋をしている。恋人に花を贈る日はどうぞ御贔屓に」
「その時はよろしくお願いします」
ああ~、こいつが店番してる時は男性より女性の客の方が多そうだなあ~。
そんな気持ちは全く出さないで済んでいるであろう自分の表情筋に再び賛辞を述べたい。
「ははっ、この営業すると相手は自虐するか謙遜するかが殆どなんだが、アンタ、おモテになるほうと見たぜ」
「そんなことはありませんよ。もう謙遜しても遅いでしょうかね」
残念だけど、単純に贈られたい側だったからどうでもよかっただけなんだよなあ。
「おまえら、素振り300回しっかり振っとけ」
「はい」
指導を受けていた少年3人が口々にしっかりと返事をする。
邪魔してごめんね、と私は軽く頭を下げておいた。ミーネは何で彼に声をかけたんだろう。
「アリー、申し訳ないのだけれど、普段大人同士で行っている地稽古をミャーノとお願いできないかしら」
「えっ?私ですか?」
見学と言われていたので、てっきり本当に「見る」だけかと思っていた。
それに「地稽古」?ってなんだ?
「それは構わねえけど。普通の木剣でいいんだよな?…準備運動とかいるかい?」
「すみません、『地稽古』といいますと…?」
誰へというわけでもなく素直に尋ねると、ミーネが答えてくれた。
「試合のようにルールがあるわけではありませんから、実戦だと思ってアリーと撃ち合っていただけますか」
「そら、ミャーノ、こいつでいいか?」
十字剣型の木製の剣を手渡される。木刀のようにある程度の重さがあった。訓練用だから、それはそうか。
「姉貴、いきなりアリーさんにぶつけるとか」
「訓練場にいる人にお願いしようと思って来たら、アリーがいたのだから仕方がないわ」
それ、アリーさんが自警団の中でもかなり強い方っていうことですよね?
「私でアリー殿のお相手が務まりますかどうか」
「地稽古は相手を負かすのが目的じゃねえから、俺も加減はするし、アンタもしてくれ」
「撃ち合いが続くほどよい、ということですか」
「そうさな、俺が知る限りは8時間ぶっ通しで応酬続けてた頭のおかしい地稽古の前例があったわ」
「…ランチタイムには解放していただけると、ありがたい」
軽口をたたきながらも、じりじりと間合いをとり、そして詰める。
「掛かってきな」
「では」
石畳と違い、訓練場の土は、蹴るとえぐれた。
大きく横薙ぎに一太刀を入れようとすると、切り返すように対称的な角度で受け止められる。
かといって柄を持つ手はしびれない。包むような受け止め方だ。
なるほど、目よりも口よりも、その木剣が「撃ち合いを続けよう」と言っている。
5合からはもはや数えていない。今何分経った?
アリーも私もお互いの身体には一太刀も浴びせていない。
剣に向けて剣を打っているわけではないのだが、アリーの剣はしっかりと切りこんだ場所で剣を受けてくる。
私もそのようにできているだろうか?
私が私を見られたらわかるのだが。
そう思い至った時、アリーとの間合いに集中しすぎていたことにはたと気づく。
――これは実戦を模しているのだ。敵は目の前の者だけとは限らない。
そう自覚すると、アリーに集約していた視界がぱっと開けて、空と土、少し離れたところにいるサラたちの気配を鮮明に感じた。
耳から聞こえる音がモノラルからステレオに――いやサラウンドに変化する。
周りが見えてからは、経過時間の感覚が明瞭になった。
そこから更に20分ほど撃ち合いが続いたころに、アリーが「参った」と音をあげてしまった。
「アリー殿、勝負ではないとおっしゃっていたかと」
もちろん剣は止めるが、若干の不満はある。
「俺が疲れただけだ、悪いな。アンタどんな鍛え方してんのかしらねえが、殆ど息上がってねえし」
呼吸を整え、吹き出した汗を拭いながらアリーがぼやいた。
「上がっていますよ」
心拍数――サラは使い魔の内臓は実際の生き物の構成とは異なると言っていたが、左胸にはトクトクと鼓動がある――も明らかに上がっているのだ。
「稽古、ありがとうございました」
「ありがとうございました」
自然と木剣を胸の前に垂直に掲げ、礼をした。
アリーも同じように返してくれたので、変な挙動ではなかったようだ。
「お嬢、いい男連れてくるじゃねえか。いつから入るんだ?」
「勧誘はしたのですけれど、正団員はまたの機会にと断られてしまったわ」
諦めてはいないということは今わかりました。まあ、サラは「まだダメ」と言っただけだったしな。
「なぁんだ。いやまあ、たまにでいいさ、ぜひ力を貸してくれ。ベフルーズの家に住むんだろ?困ったら連絡するから」
「ええ。たまにでよければ」
サラに一瞬視線を送ると、ほほ笑んでいたから大丈夫だろう。
「…ロス君?」
その横のロス君は、楽しそうなサラとは逆に強張った顔をしている。
「信じらんねえ…アリーさんって根負けするんすか…」
「ロス、お前俺を何だと思ってんだ。来年26になるんだぞ、そろそろ体力馬鹿みたいな顔してられなくなるんだよ」
どんな抗議だ、それは。
ソマのときもクロスボウ試し打ちのときも目の前の相手に集中していればよかったのですが、
ここにきて開けた場所での戦闘の勘を引き出せたようす。
2018/3/2:横書きWeb小説だしと思い文頭空白つけてなかったのですが、つけました。