13-10.ケンソルの傍見(ぼうけん)・3
三人称になってます。
フランシスは、ミャーノの尾行を続けていた。
知り合いらしき厳しい男と酒場に入っていったところまでを見守ったが、彼らに続いて店内に入るには、その店は狭すぎた。店主とは知り合いであったので、厨房側の裏口から入って、カウンターの内に潜んで監視をすることにした。
しかし、
「しかしなんだ、その。貴殿をその不審者としてつきだしたら、本物がどう出るか興味はあるな」
「淡々とした顔で冗談を言うな。本気にするぞ」
「冗談だと思ったか?」
「おおう……仲間だなどとはさすがに嘯かんが、一応これでも今は協力関係にあるつもりなのだぞ?」
「こちらの要求を呑んでもらっていないのに、先に協力関係が成立していると思われても心外ですね」
「えー……」
描画や洞察には長じているが、耳が特別に良いわけでもない常人の――そう、獣人ではない――フランシスには、どうにも二人の会話が耳に届かない。
(同じ距離でも、本部の時は聞き取れたのに)
フランシスは歯噛む。
ガラシモスとミャーノの二人は実は、王軍本部では敢えて声を潜めていなかった。意識していたわけではないが、本能的に、怪しまれないような話し方をして、まるで、王軍に対しては疚しいところなど一切ないかのように振る舞っていたのだ。
無論、逆に殊更声を張り上げるような真似もしていない。
酒場では卓に着いている者の間だけに聞こえるように話していても全く怪しくはない。
それは、ただのマナーの良い客である。
「……貴殿の用が私への状況共有だけであるなら、この後は国へ帰投を?」
「いや、どうせお前が査証を手に入れるのを待たねばならぬし、お前に付き纏う気でいた」
「やはりつきだします」
「逸るな。他意はない」
「何が他意なんですか? 本意が何だったら今の犯罪宣言がOKになると言うのですか」
「やっと宥められかと思ったらすぐ野良猫のように威嚇するのを止めんか」
「誰がドラ猫だ」
「そこまでは言うておらん」
「……ブロシナさんが割りを喰うのも気の毒ですから、勘弁して差し上げます」
ミャーノは溜め息と共にそう告げると、背もたれに身を預けるようにして腕を組み、足も組んでふん反り返る。
ミャーノ達から見えない位置に隠れているフランシスには、その動作は、彼からもまた見えない。“監視”と言えど、視覚による確認は、現状では難しい。
「――竜人でないのなら、竜人に扮装するメリットとは、何なのだろう……」
独り言のようにミャーノは呟くが、ガラシモスは当然己に向けられた問い掛けと捉えて付足する。
「ふむ。まあ、絶滅したとされているようだが、我が種はもしかしたらまだ存続しているのかもしれんぞ?」
「だとして、竜人であればヒト族の姿をとれるのでしょう? 目立つ風体で不法行為を目撃されても何もいいことは――利点は……その場合もまた、あるのかもしれませんが」
「お前、それは文章の前後が噛み合っておらんが?」
「すみませんね、思考を口にしながらあれこれ思いついてしまう性質で」
「……それで?」
「……今更ですが、意地の悪い顔をしますね、貴殿は」
ニタリと笑う、往年の大将軍としての貌。大軍勢を率いる将を務めた経験など有しない若輩者である都子の精神は怯む。
望ましい答えをあらかじめ用意している上司から試されるような、そんな居心地の悪さを感じていた。
「ちなみに、だ。竜人の化身の法は、青年期に会得するものだったが、それは自然に――そうさな、本能やらなんやらというのか――そういうやつで得られるものではない。竜人の先達たちから教えを受けられない状況では、可能になるものだとは……少なくとも、私は思わんな」
「先祖返り等で突然竜人の子が生まれたとしても、その子はヒト族の姿に変われない、と」
そうだ、とガラシモスは頷く。
「逆に、貴殿の言ったように、竜人の隠れ里でも何処かにあって……そこで伝統が受け継がれていれば、出来るのか」
「私情を言えば、そちらの方が私は嬉しいが」
そう述べながら、徐ろにミャーノを指差す。
「どちらであるにしても、件の侵入者が竜人の姿で城壁を越える道理はある。だろう?」
指された方のミャーノは、観念して結論を口にした。
「扮装したヒト族あるいは化身の法とやらを使える竜人である場合は、城壁内ではヒトの姿をとっていれば、いずれにしろ手配を免れる」
正体が竜人か他の人種であるかは、結局のところ不問なのだ。
化身の法が使えない竜人である場合は、単にありのままの自分で侵入しただけである、と二人は考えた。特段穿つことでもない。
不意に、彼らの卓には沈黙が訪う。
それは双方にとって全く気まずいものではなかったが、ミャーノの方は胸中で「食べ終わった後、ずっと喋ってたのか……」としみじみとしてしまった。
そのふわふわとした沈黙を、ガラシモスの喉の奥を鳴らすようなくつくつという笑い声が破る。
「いや、愉しいと思ってな。ほれ、影としての私の同僚はニコスとコスティスであったゆえな――忘れたか? 小人と半馬人がいただろう」
ニコスとコスティス、と告げた時点でミャーノが怪訝な顔をしていたので、ガラシモスは註釈をしたつもりであったが、ミャーノとしてはそれには不満を抱いた。
(槌野郎、あれはドワーフだったんかい)
とは確かに新しい情報を彼は得たわけであるが、ミャーノが片眉を上げたのはそこではない。
「覚えていますよ、襲撃者の名前はさすがに。『愉しい』の意味がわからなかっただけです」
「なんだ、わからんのか? それは私が可哀想ではないかね」
その俄かに用意された同僚とは、論議に興じるところまでに至れたことはなく、そこはつまらなかった――とガラシモスは、自分がそう感じていたことに、今ここでやっと気がついたわけである。
だがそこまで言ってしまうのは陰口のようでもあり、よろしくない。
言わぬが花、とそれ以上は言及しなかった。
囁いておきながら自己完結されてしまった方のミャーノにしてみれば、何が何だかさっぱりわからない。
かと言って大してミャーノの興味を引く挙動ではなかったので、彼はすぐに元の無表情に戻り、紅茶の残りを無音で啜るのであった。
そしてぼやく。
「気にはなるものの、この件には私は関係なさそうなのがなぁ……ああ、ここにフランシス殿が張り込んでいたりしませんかねぇ……」
厨房カウンターの内から、ゴン、と鈍い音が響いた。
気の毒なことに、身を潜めていた青年が、その不意打ちに頭を強かに打ち付けてしまったのだ。
ミャーノはその言葉を発する直前までは、ガラシモスにしか聞こえないように話しているつもりがあったが、この言葉だけは全方位に向けて開けた声色をとった。
聞こえないように会話をする段においてはそれは意識的なものであったが、後者はそうではない。
その衝突音は、ミャーノとガラシモスの注意を厨房カウンターに向けるにあたり十分な音量であった。
ミャーノ達以外の客の視線もまとめて浴びることになった店主は、曖昧な笑顔を浮かべてそれを受けている。
他の客らは異状がないと判断してすぐに視線を戻したが、ミャーノとガラシモスは、そのまま視線の先を、カウンターの下の方にゆっくり移動させた。
店主の曖昧だった笑顔は、やがて苦笑いになった。
「あれは、いつからだ?」
「さあ。私も全然気づいていませんでした」
二人は顔を見合わせると、もう一度、今度は店主に目を向ける。勘定を要求するためだ。
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平成最後の更新になるんですね……




