12-8.使い魔、アークと夜カフェをする
「南地区に借りたことまでは聞いたけど、どんな部屋なの?」
蕎麦屋『カナカナータ』を出て、宿の『カモシカ』までの短い道すがら。サラはアークたちに尋ねた。
「小さなダイニングキッチンと、個室が二つで、ちょうどいい感じなのです」
「なんと、キッチンはちゃんと魔動のコンロがついていたんですよ」
2DK。三階建てのアパートの二階なんだそうだが、お手洗いは共用らしい。もっとも、共用が標準ということだった。
トイレについて少し雑談をしよう。
シーリンに滞在していた間、風呂はともかく、トイレに縁がなかったので、水準についてはあまり気にしていなかったのだが、王都までの道中、ミーネやビラールに怪しまれないために、ちょくちょくトイレに入る必要はあった。
基本的に個室で男女共用である。モスタンの宿でも今の『カモシカ』でも、割と綺麗に使われているようで、不快な臭いも汚れもない。少なくともシーリンやモスタン、このハルカン市では善い衛生観念が存在しているようだ。
しかも水洗トイレが一般的だ。いや、厳密には水洗ではなく、魔術で浄化されていると聞いた。流れるのは肉眼では水のように見えたのだが、水ではなかったらしい。魔動家電とでも言おうか。でも電気じゃないしな、うーん。
ともかく。他の国の水準はわからないが、農家や畜産家など、肥料や餌としての下肥えが不要であれば、その魔動洗浄トイレを設けているものらしいのだ。
そして、基本的に、公園の公衆トイレのような、誰でも勝手に利用していいようなトイレはない。
その辺りは、元いた世界でもそういう国はたくさんあったから、疑問には思わない。管理しきれないのは理解できる。
(まあ、海外で有料公衆トイレに入った時、個室の扉すら無かったことがあったのを考えると、キーリスの文化水準は高いよな)
扉はないわ、水桶で水を汲んでそれで流さなきゃいけないわと、21世紀の日本人であった都子は、そういうカルチャーショックに既に遭遇経験があった。
ここまで余談である。
「風呂はさすがにないか」
これは私のぼやきである。元現代日本人の精神を保持しているアークへの同情である。
バニーアティーエ邸やシビュラの家には魔動シャワーがあったわけだが、あれは一般のご家庭にはないものだということは聞いていた。
自警団の設備にはシャワールームがあったから、王軍の寮にもきっとあるのだと思っているが。
「シーリンと同じように、銭湯があるのですって」
銭湯、とミーネが言ったが、そう聞いた時に瞬時に私の脳裏に浮かぶような、昭和然とした下町にあった大衆浴場とは、少し様相は異なる。
どちらかといえば、理髪店とごちゃ混ぜになった形態の店であった。
首から下はサウナだが、頭髪だけは魔動シャワーの利用が出来る。
その魔動シャワーは、元の世界における理髪店のシャンプー台そのものだった。
個室サウナで全裸の状態で首から下の垢を浮かせてから手桶三杯ほどの湯で流した後、着衣状態に戻り、シャンプー台のある部屋に移動するのだ。
私はキーリスの銭湯の利用は経験がないので、これは後々アークに聞いた話である。
「錬金術で個室シャワーとかは自作できないのか?」
とも聞いたが、
「機器の製作は可能ですけど、空気から水を作りだす部分がダメなんです。どう頑張ってもただの加湿器にしかならないんですよ。魔術はそういうところがマジヤバいんです」
「マジヤバいのかー」
せっかく異世界に来たのに魔術も錬金術も自分で操れない私は、そう返すしかなかった。
『カモシカ』はエル先生のオススメの宿だけあって、シャワールームがあった。個室についているわけではないので、他の客と譲り合いは必要なのだが。
召喚された時からバニーアティーエにお世話になっているおかげで、私は知らず箱入りの生活をしていたようだ。
そんなことを、そのシャワールームで存分に温かい雨を浴びながらしみじみ思う。
(この温水が魔術による精製だというなら、あの片手半剣を持ってたらこのシャワーが消えちゃうってことなのかな)
武器を持ち込んではいる。一応護身用にということで短剣だけだが。
(まさか裸一貫では落ち着かない日がくるとは思わなかったなあ)
この場合の裸一貫は、便宜的に「全裸で何も持っていない状況」だけを指させてほしい。
さらに誤解を招かないよう補足するが、これはけっして全裸が落ち着くという意味ではない。
都子の時は裸どころか肩や太ももが出る服装すら敬遠していたし、ここに全裸で召喚された時の心許なささといったらなかった。
かつて私に風呂に武器を持ち込むという発想があったかという話だ。
もちろん無かった。
召喚されてから今日に至るまで、知らない人も出入りするシャワールーム(日本の海の家のシャワー室を想像してほしい)を利用したことがなかったので、シャワー時に武器を携帯したことはなかった。
ちなみに、ビラールやソマが扱っているような武器は錆止め処理が施されているので、腐食の魔術攻撃などで侵されない限りは乱暴に扱っても大丈夫なんだそうだ。
「……どうした?」
「わーんやっと出てきたー! そうだった結構長風呂するタイプだったー!」
長袖の綿Tシャツと苧麻の十分丈のズボンを身につけてシャワールームから出てくると、ドアの前にアークがいた。私が出てくるのを待っていたようだ。
「こんなところで待たなくても」
男性用と女性用のシャワールームは、入口が別になっている。水着で入浴するモスタンの温泉は脱衣所が別なだけだったが、シャワールームはそのまま最終的にも別だ。
「ミャーノさんの部屋で待つわけにいかないでしょ」
鍵かけてあるからな。まず入れないもんな。
「サラさんはともかく、ミーネさんの手前」
ああ、そういう心配か。
私からすると、男性用シャワールームの前でうろうろしている女の子というほうがミーネからダメ出しされそうな気がする。
「食堂に行こう。ジュースでもおごろうか」
ズボンのポケットに小銭が入っていることを確認しながら提案した。
宿の食堂は、夜はカフェスペースになっている。アルコールを入れる気はなかったので、私も頼んだのはレモネードだ。
レモネード、割とどこでもメニューにあるのだ。そして味が違う。
酒でも茶でもないものを頼もうとする時、つい頼むメニューになってしまった。
アークに「レモネード好きなんですか?」と聞かれたので、そんなことを答えた。
「ああ、じゃあこっちきてからなんですね? 都子さんの時からレモネード好きだったのかと」
「どちらかといえば好きだったと思うが――まあ、確かに酸っぱいよりは甘い方が好きかな」
その時食べているものにもよるとは思う。
「それはまあ、そうでしたね。都子さんとは、外食らしい外食って、したことはなかったから……」
アークが頼んだのはりんごジュースだった。
「……長野県はりんごの名産地だったな」
「――あ。そんな、特に意識してなかったですけど」
彼女は「そう言えばそうだった」と小さく驚いている。両手でゴブレットを持ちながら、笑っていた。
「変なの。明だった時は『もうリンゴ食いたくねー』なんて言って都子さんに怒られたことあるのに。僕、今りんご大好物みたいなんですよね……」
「味が嫌いだったわけではないのなら、そういうこともあるさ」
実家の料理が、実家がなくなってから食べたくなることは大いにあろう。
「御嶽部隊とやらにいた時は、りんご以外の果物がなかったのかい?」
「僕らのところへの配給としてはあんまり覚えがないですね。長野県の果物って他に何があるんです?」
なんだったっけな。
「桃とかブドウだったかな――そうかなるほど、高い果物だったか……」
「それでりんご一択だったのかな……」
りんごも高い品種はあるんだろうけど、桃やブドウに比べれば手軽そうだ。
レモネードでのどを潤して、私は聞きたいことを聞くことにする。
「明くんだった時の話も興味あるんだが、私を待っていたのはその話でいいのか?」
「そうだったのです!」
アークに切り替わったようだ。
「明日からミーネさんとルームシェアしないといけないのやっぱりまずくないですか?!」
「もう諦めなさい」
「取りつく島がない!」
「私はキミ自身の身の安全の確保という面で後押ししたが、キミのことはそういう意味でも信頼できるから、ミーネの友人としても、ミーネも守れていいんだよ」
「友人ねえ……」
「何が言いたいんだね、アーク君」
「ミーネさんから話は聞いてるんで、ミーネさんの一方的なアレだっていうのはわかってますけど」
ミーネからの情報でアークがその認識になるということは、ミーネ自身の認識も私とズレがないということか。
「なんだかんだ彼女にはしないけど、友達としては大事にするってずるくないです?」
「ずるくないです」
大丈夫だ、アーク。キミのその感情は十分女寄りになっているぞ。
「――実は男が好きとか」
「どちらにも興味はない」
「僕はまだ疑っているのです。あんな――ベフルーズさんでしたっけ? 紋様ひかせといて、何でもないと思えって方が無理でしょ。男が男にそんな心配するのどんだけ!? サラさんみたいに元の性別知ってるならともかく」
「……ベフルーズに限って言えば彼も他意はないんだよ、私にもないんだ……」
「都子さんそういうとこ絶対疎そうだから、僕は信用しない」
ひどいな。私はアークを信頼していると言ったのに、アークは私を信用しないときたぞ。
「王軍の寮ってことは、ミャーノさん男所帯に放り込まれるってことでしょう? 心配なのです」
「あ、それアリーとサイードさんにも言われた」
「はァ?」
言っている最中にアークの表情が変化したので「あ、失言したんだな」と思い至ったが、
「また別の男の名前出てきた!」
撤回する間もなかったようだ。
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次回更新は11/15(木)までに行う予定です。




