12-7.蕎麦がきが蕎麦がきだった
西門の衛兵さんが南大隊に緊急要請を出していた頃、ミーネとアークとビラールは、王都での住まいの賃貸契約を終えて、実際に契約の開始となる明日に備えて今晩は一旦仮宿である『カモシカ』に戻るところであったそうだ。ビラールは二人を送ってくれた形になる。最後までちゃんと面倒を見てくれたあたり、保護者の自覚がしっかりある。さすが自営業主は違うな。
その帰り道で、「でっかいアラナワ熊を鯖折りにして闊歩している男? がいる!」という噂が聞こえてきたらしい。
鯖折りという用語があるということは、サバという魚がここにも存在しており、傷みやすい点も変わらないということなのか。あるいは、“相撲”という競技があるとは思えないので、単に同義の技名が、私に備わっている翻訳魔法さんによって上手いこと変換されただけなのか。
噂とやらの話が出た時点で、私は一瞬、現実から目を背けるためのそんな思考に逃げた。
「あっはははは、それ、ミャーノなのだわ!」
精一杯の逃避は、大笑いするサラに阻止されてしまったが。
「クマ一体、まるまる担いで帰ってきたのー」
「一応裁断はしてたではありませんか……まるまるそのままではさすがに担げなかったかと」
「一体まるまるっていうのだわ、それも。切り分けただけじゃあ総体積は1ミリも変化しないじゃないの」
「え? え? 鳥とか狩りに行ったんじゃないんです?」
「たしかにアラナワ熊も薬用動物には違いありませんけれど……単独で狩るものでしたか? いえ、貴方ならできそうですね……」
「どういうこと? なんでミャーノが怪獣大決戦みたいなタイトルに巻き込まれてるの? 狩りじゃなくて興行してたの? 見たかった」
ミーネたちは口々に疑問を口にした。最後に関しては他の誤解がある気がする。狩ったのは街中じゃねえし、あんなもんが街中に現れてたら噂で済まねえだろ。
というか、怪獣大決戦という概念が存在するのか?
有り得るか。ここは、ドラゴンがおそらく実在するような世界だった。
今日はコマツナ食堂ではなく、蕎麦がきがあるという噂の『カナカナータ』にやってきている。
せっかくの記念すべき蕎麦粉フードとの邂逅にふさわしくない、居心地の悪さよ。台無しである。
もっともこの件に関しては、自業自得なのかもしれないが。
「今となっては『軽率だったな』と反省しておりますよ。長旅でさすがに疲れていたのかもしれません」
少し考えれば、街中にそんな持ち込み方をしたら平穏を乱す方面で公衆に迷惑をかけることはわかっただろうに。
どうしてそこに考えが至らなかったのか。フランシスを警戒しすぎて、頭が回っていなかったのだろうか。
「職質とかされなかったんですか?」
「そこなのかい? リカルドさんが付き添ってくれたので、目立ってはいたけれど逮捕されたりはしなかった」
「ああ、デスストーカーの時の騎士の方がいらしたのですね。それならミャーノの力はご存知でしょうし、驚きはしな――いえ、驚きはするでしょうけど、面倒なことにはならなさそうです」
私にとって、全長7メートルのクマ(四足歩行の哺乳類なので、体高自体は2メートルほどだ。そんなに巨きくはない)が脅威にならないことは三人とも承知だろうと思ったし、実際三人のその点に関する感覚は鈍っていた。
その点、というのは、“私の戦闘能力や狩猟能力が常人のそれではない”という点のことである。
それにしたって、1トンの運搬はおかしい。ミーネとアークはそこに気がついていないようだから、このままそっとしておこう。
「おっかしいな、エルドアン鋼を帯びてたら質量操作の魔術は使えないし、そもそもミャーノ全然魔術使えないし、アラナワ熊って小さくても700キログラムくらいあるだろ……」
そっとしておこう。
「お待たせしました、そばがき三人前と、カナカナータオムレツ二人前、お持ちしました」
はい、この話題終わり!
スープにつかった蕎麦がきが三杯の丼でトントンとリズムよく卓上に置かれ、かつお節色のつけつゆの入った小さいお椀が五つ置かれて、その横に「オムレツ」の細長い皿が添うように配膳された。
私は日本ではもっぱら「蕎麦切り」を食べていて、「蕎麦がき」には縁がとんと無かった。なので、これが一般的な蕎麦がきかどうかは判定ができない。
すいとんのように一口大に湯掻かれたベージュ色のその塊が五つ六つ、香ばしいスープに浮いている。分葱のような薬味も散らされていた。
つけつゆには「お好みで足してください」と薫り高いおろしわさびが小皿で提供されている。
カナカナータオムレツ、と置かれたそれは、どう見ても馴染みの深い「日本の玉子焼き」であった。いわゆるオムレツではない。
でも良い。大根おろしと醤油がないけど、ふわふわの出汁巻そのものが、こんなにも美味しそうなのだ。
名称など問題にはならない。
「蕎麦がきは本当に初めていただきますよ。いやあ本当、教えてくれてありがとうビラール」
「僕は……蕎麦がき、故郷でたまに食べてました」
「へえ?」
アークがしみじみと言うので、彼女の生まれ故郷の話と受け取って相槌を打ったが、彼女は不満そうにした。
アークは私の隣に陣取っていたが、その間の隙間を少しだけ詰めて、一言だけ、小声で私に釘を刺す。
「御嶽部隊では都子さんもオレと一緒に食べてましたよ!」
失敬。今生の話ではなかったか。
数年間長野県にいたのなら、そういうこともあったのかもしれない。
……こんなことをアークこと明に言ったら絶対怒られると思うが、あちらの蕎麦がきの記憶がないのはとても残念だ。
「ミャーノさん、今絶対に『ちゃんとした蕎麦がき食べておきたかったな』とか思ったでしょ」
秒でバレていた。
「それはともかく、このつけつゆが麺つゆかどうかが問題だろう」
「誤魔化せてませんからね。でもこの玉子焼き、どう見ても見た目出汁巻ですよね…! これで味が別物だったらどうしよう……」
「ショックで一晩くらい寝込むかもしれんな」
「ミャーノ、それ、単に十分な睡眠を取れるだけじゃないの?」
私とアークの緊張をサラが茶化してくるが、それに返答する余裕は私にはなかった。
五人それぞれ蕎麦がきを一つずつつけつゆの椀に取り、匙で口に運ぶ。
私とアークだけ妙な緊張を迸らせていた。
「…………アーク!」
「……みや……ミャーノさんッ!!」
こら、今ビラールやミーネも聞こえる音量で「都子」と言いかけたな。まあいい。
私たちはがっしりと握手をした。高々と。その拳を掲げて。
「麺つゆだコレ!!!!!!」
男声と女声を綺麗にハモらせて。さらに。
「蕎麦だコレーー!!!!!!!!!!」
「いや、最初っから蕎麦食べに来たんじゃないの」
ビラールがいちゃもんをつけてくる。うるせえ。私たちにとっては蕎麦か否か確かめられるまで不安があったんだよ!
「アークちゃんはともかく、ミャーノは蕎麦を召し上がるのが初めてではないのですか?」
ミーネにつっこまれた。サラとミーネはこれが初蕎麦らしい。
「蕎麦がきは初めてでした。しかし蕎麦粉を使った料理は馴染みが深いのです。蕎麦は、麺やクレープにしても美味ですよ」
「これ美味しいわね。メンツユってこのソースのことよね? 私この味好きなのだわー」
それは何より。何よりなのだが……。
麺つゆの『メン』と蕎麦切りの『麺』は同じ意味なのに、どうしてそこだけ頑なに固有名詞とされて翻訳が作用しないんだろう……。確か昨日の時点でミーネも同じ言い方をしていたっけな。
翻訳魔法さんは時々不思議な動きをするが、結局は変換される言語に同じ概念があるかどうかなのかもしれない。
しかしそうなると以前、ロス君に勧められた『アイラン』という飲み物は果たしてこちらの発音で『アイラン』だったのだろうか? 該当する飲み物を知っている気がしなかったのだが。
この点において、ファールシー語と現代日本語のバイリンガルといえるアークに確認したところ、『アイラン』と私が言っているのがどうも『a i ra n』という発音ではないことは補填された。
後々、表音文字だけで綴ってもらって発声してみたら全然違ったのだ。
この時点ではそこまで確認をしていないので、一旦割愛とする。
翻訳魔法のあれこれにちょっともやもやするミャーノ。
お読みいただきありがとうございます!
次回更新は11/8(木)ごろまでに行う予定です。