12-5.竹籠の中
「僕、少し自信を喪いました。取り繕うことに関しては、昔から得意だと思っていたんですけどねえ」
アラナワ熊の血抜きは仕留めた山道で粗く行っておいたが、今は改めてフランシスに連れてきてもらった清流で丁寧に仕上げている。
「まあ、私が申し上げても余計なお世話かもしれませんが、落ち込まないでください。八割方、カマをかけただけのようなところがありましたから」
「それはそれで、引っかかったという話になるじゃないですか」
「確かにそうなんですがね……」
『監察の目的は、私の素性の裏取りでしょうか?』
アラナワ熊の頸部を無事一撃で仕留めて、7メートルの遺骸となったそれをできるだけ丁寧にひっくり返し、心臓マッサージをするように胸部に圧力をかけた。噎せかえるような鉄臭さが鼻を刺激する中で、フランシスの顔色が変わるのを背中で感じていた。
『――僕が監察官だと、いつから気づいて……?』
『すみません。実を言うと確信はありませんでした』
『え……?』
『ただ、あなたの絵の才を知っているはずの騎士団が、それを遊ばせておくだろうかと不思議に思いまして。仮に私が上長であれば、あなたを新聞の挿し絵に使うだけに留まらないだろうと』
そんなことで、とフランシスは嘆息したのだった。
「私の遍歴の、どの辺りからご存知なんですか?」
「それを僕に聞いちゃうんです?」
「探られて困る前科とかありませんしね」
それは本当だ。
探ってもらえるミャーノの半生が存在していないだけで。
「先月シーリンで、影傀儡だと推測されている何者かと酒場で交戦したのはあなただということは調べられました。元々その事件は王軍本部に報告が上がっていたんです」
フランシスはそう明かしながら、竹籠の中をごそごそと漁りだした。
「……あったあった。後日、あなたがトロユから我が国に赴いている外交官と会食していたのもわかっていますよ」
メモ用紙らしき木片を二、三枚取り出して確認している。
「場所はカルガモ亭、外交官の名はブロシナ」
「そんなことまで調べがつくんですね」
正直驚いた。
「ン……山菜というか、きのこは本当に採ってたんですね…?」
木片から微かにマツタケやマイタケのような香りが漂っているような気がした。
「さすがに多少は担いでおかないと怪しすぎるでしょ」
私の指摘に、ひとつかみ、マツタケを掴んで取り出してみせてくれた。
「いいですなあ、土瓶蒸しにしてすだちを絞って冷酒をキュッと…あ、申し訳ない」
フランシスが『話の腰折りやがって』と言いたげな顔をしている。
「外交官と会った数日後にあなたは推薦状を手に入れ、シーリンを発っている。こんなのどう考えたって怪しいですよ? スパイ目的で騎士団に入ろうとしているとしか、この状況は言っていません」
「そんな風に思われてしまっていたとは、慮外でした。……サラも同じ行動順序のはずなんですが」
「彼女の経歴は出生から今現在まですべて明らかになっているそうです。僕には少なくともあなたの調査の命しかくだってません」
めちゃくちゃ疑われていた。
私は少しだけ逡巡してから、告げる。
「疑われて面倒事が増えるくらいなら言ってしまいます」
「……は、はい」
「スパイ目的ではなく、査証目的なんです」
「査証?」
「旅券も欲しいのです。私は、既にあなたが調査されている通り、ドのつく田舎に生まれて過ごしておりましたから、国境を越えるには不審なのです」
「トロユに行きたいんですか?」
「いいえ、ジェノーヴです。私はまず、できればサラと共にジェノーヴへ行く必要に迫られている」
「ジェノーヴ? なんで?」
「詳らかにお話ししたいところなのですが、これ以上はキーリスの政治に関わってきてしまうのですよね。私としては――いえ、バニーアティーエとしては、なぜそんな羽目になったのかをキーリス王家関係者にむしろ共有しておきたいと考えています。だからサラと私はまず王軍に入ろうとしたんですよ」
サラのことはわかっているなら『偉大なる魔女シビュラ』の件を知っているのかもしれないが、そのことは敢えて言わなかった。
――ようやく、アラナワ熊の遺骸から血が出切ったようだ。
「僕程度の騎士には聞かせられないと」
「巻き込みたくないだけだとお思いください」
「おっしゃりたいことはわかりますよ」
フランシスには、少し拗ねた声を出された。
「しかし、あなたが申告したからと言って、それで『スパイではなかった』と僕が報告できるわけではないのはわかってるでしょう、ミャーノさん」
「困りましたねえ」
「他人事じゃないんですよ」
間違いなく他人事だよ。
「それで入隊試験に落ちたら、他の正当でないやり方で目的を遂げるだけですので」
そのせいで後手に回って困るのは、おそらく個人ではなく、国家の方だろう。
私はアラナワ熊を背負って下山することにした。
もちろん体長7メートルの巨躯そのままでは“バランスの問題”で担げないので、部位ごとに六分割にして、重ねて束ねてみている。
3メートルくらいのヒグマやグリズリーが600キログラムあったはずだから、この遺骸は血を抜いた状態でも1トンはあるのかもしれない。ちょっと重い。それでも背負える。
重力や斥力の魔術の分野で、重たいものを運べるようなものは開発されていそうだが――フランシスは知っているはずだ。エルドアン鋼の剣を持つ私は、魔術を行使し得ないことを。突っ込まれないことを祈ると共に、帰ったらアークに、私にも異次元行李を作ってもらえないか頼んでみることを心に決めた。
「この状態で街に入ろうとしたらその時点で尋問されそうな気がするので、一緒に帰ってもらっていいでしょうか?」
「ええ~……どうしようかな……」
そんなジト目で見ないでおくれ。面倒くさそうにもしないでおくれ。
お読みいただきありがとうございます!
次回更新は10/26(金)ごろまでに行う予定です。




