12-4.あなた以外には為し得ぬ其れ
絵画というものに関して、都子が門外漢だったことは間違いがない。ミャーノの、この身体の本来の持ち主の青年の手で地面に描いた絵を思うに、この人もそうであろう。そうじゃなかったらごめん。
芸術については、全般的によくわからない分野だと自負している。
(『では他に達者な分野があるのか』と問われると、ないわけだが)
だが、絵画について造詣が深くないと言っても、持論がないわけではない。いや、“持論”と言うとどうにも偉そうだ。“そこそこの人数の賛同が得られていると思われる考え方”と言い換えよう。
“芸術として抽象画を描ける”ことの前提には、“写実を得手とする”という条件が置かれるべきである。
例外はあるだろうが、歴史的価値を排除してなお高値で取引される絵の画家のほとんどは、若い時分の人物画や風景画において、その写実性がとても高いのではないだろうか。
「写実的なもの以外も手がけられるということですか」
「騎士隊の仕事ではまず描きませんけどね」
心なしか自嘲の色を滲ませるフランシスの返答に、私は先に述べた持論を短く語った。
「ですから、フランシス殿は画家なのでしょうな」
「……」
「無論、それはあなたが騎士であることを否定する材料ではありません」
卑下するわけではないが、という断りを挟みながら、
「王軍の騎士となるための試験に合格したあなたは、騎士としての能力も持っていることがとうに証明されている」
「ミャーノさん?」
「それに比べて、私ときたらまず画才はありませんし、魔術の才能もありません。ただ、武器を使った闘争の能だけは多少覚えがあります。これで身を立てるしかなさそうであるから、私は騎士の身分が欲しくて王都に参ったのです」
よく喋る。私は自分で自分に呆れていたが、フランシスはもっと戸惑っているようだ。
「あなたが本来究めたいと思っているのは、抽象的な、それはあるいは誇張や簡略の表現でしょうか――そちらは、その画を見れば『フランシス殿が描いた』とわかる御仁がいらっしゃるということでしょう?」
はい、と彼は頷いた。
「紙に焼き付けたかのように見える写実でも、影の書き込みや輪郭の取捨に個性はどうしても滲み出るもの。あなたの画はどのそれにおいても、きっとあなただけが描き得る画だと、私は思いますよ」
よく喋る。もう一度、重ねて呆れた。
私は彼を警戒していた。
「ミャ」
「すみません。います」
躊躇いを振り切るかのように私の名を呼びかけたフランシスの声を遮るため私は、左手を彼の目の前にツイと翳した。
「え」
とは、彼は声に出さなかった。有難い。
私は右手を片手半剣の柄にかけかけたが、考え直して短剣を選んだ。
二十歩の距離の先に、遠近感覚がおかしくなりそうなほど大きな灰色熊がいる。
四足歩行でゆったりと歩いていた。
こちらに気がついていないのかもしれない。
風下とか風上とかはピンとこないが、向こうの方が勾配の上にいるのは確かだ。
「……ううぬ」
熊の尻側しか見えなくて、思わず唸ってしまう。
肉垂が確認できないと、アラナワ熊かどうか判別がつかぬではないか。
デスストーカーとやり合ってからこっち、数メートル程度の大きい獣というものに対してあまり恐怖心を抱かなくなってしまった気がする。実際にこうして邂逅した今、その想いをより一層強くしていた。
巨大昆虫など未知の拡大率に遭遇するのはまだまだ嫌悪感がありそうなのだが、哺乳類ならまず大丈夫そうな気がする。
日本人の捕鯨対象になっていたような小さめの鯨くらいまでなら、同じ日本人としていけるのではないだろうか?
シロナガスクジラ(25メートルくらい。ガン◯ムより少し大きい程度)とかになると、ちょっと白兵戦ではなくサラ辺りに魔術で何とかして欲しい気もするが……、立ち向かうのに抵抗があるかと言われると、それは完全に薄れている。
「何か問題が……?」
「いえ……無学なもので、ここからでは……」
「――アラナワ熊で合ってますよ、あれ」
「わかるのですか?」
「ええ。臀部に二又の尻尾があるでしょう。あれも特徴なんです」
確かに二又だ。濃いグレーの毛並みで言われるまで気がつかなかったが、良く見れば平たく短い尻尾がリボンタイのように二又になっている。
「それより本当にやるんですか?」
「それは、まあ」
フランシスは私の顔を見ているようだったが、私は熊から目を離すことはしなかった。
まあそうも思うだろう。
(あの熊、体長何メートル?)
恐怖感が薄れているのと、大きさが正確に測れないのは別の問題だ。
都子には十数メートル先の物体の大きさについて絶対値で割り出す能力がない。
「冗談じゃあない、あいつ、7メートルはありますよ」
さすが絵師。
「やはりいい目をお持ちだ」
「茶化さないでください。僕を戦力にカウントしてるわけじゃないでしょうね。二人がかりでも無茶ですよ」
「……私は元より一人のつもりだったのですがね」
「――」
「ここで待っていてください」
私はそう告げると、熊との距離を詰め始めた。
疾りはしない。まっすぐではなく、木々を渡り、九十九折りの軌道で寄った。緑葉がさわさわと鳴ったが、それは風のようでしかなかっただろう。
凡人の動きを努める必要は、フランシスに対しては無いだろう。
彼は恐らく、私の――ミャーノ・バニーアティーエの力のほどについては既に知っているはずであるからだ。
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次回更新は10/15(月)ごろ行う予定です。




